皇直哉が所有する、人里離れた別荘の中の一軒、彼らに与えられた“本部”。かつては組の長の立場にあった府利ふうりなる人物の個人邸宅であり、故に様々な用途に使える「地下室」が備わっている。

 スラッシュはその「作業部屋」へ戻るところだ。

 あの男への「処置」は、情報が出ると出ざるとに関わらず、定期的に行うよう言われている。

 アクテに言わせれば、「良い警官と悪い警官」そのまんまの手法であるらしい。

 自分の利には反さず、実績自体も挙がっている為、彼にいやは無くこうして従っている。

 もうほとんど出尽くしたというのが少女の予想だが、念には念を入れるということだろう。

 そうして彼はいつも通りその扉の鍵を開き、

 

「………何?」


 いつもとは違う光景を目の当たりにした。


 その部屋は数々の道具が壁を覆い、中央には頑丈な椅子があり、手枷足枷を始めとした無数のベルトで拘束されている囚人が居る。

 それが、「いつも」である。


 今は、足りない。

 

 椅子に備え付けられた拘束帯が、左右に引き千切られてその役を投げ、そうなると当然捕まっていた者もいなくなっている。

 手足を固定する部品は傷一つ無い。何らかの方法でそこから抜き出して、残りは力任せに外したのか。

 そうして身動きを取り戻し、逃走した。


「………どこに……?」


 口の中で音を躍らせつつ、部屋の中に進んで一周見回す。

 壁面から落ちた物品によって荒らされたように散らかっているが、隠れられるような隙間やオブジェクトは存在しない。

 だが、この中に一人の人間が入っていたことは確かだ。

 鍵も掛けてあったのだから、アクテが逃がしたという可能性も否定される。

 では、どうやってここから消えた?

 

 カラン。

 器具がまた一つ床を叩いた。

 その時彼は当たり前の結論を得て真上を向くが、

「AAAAAGGGHHHHHH!」


 遅かった。




——————————————————————————————————————




「もしもし?調査班の皆さん?聞こえてますか?」

 時刻は間もなく夕方。

 情報を渡してから連絡が返って来ず、通話を掛けて安否確認をしようとしたアクテ。

 しかし通話は繋がらず、念の為に用意していた無線に呼び掛けても応答が無い。

「良くない事態、と考えていいでしょう」

 困難な決断にぶつかった。

 今から助けに行って、生きているとは考えにくい。こちらが足せる戦力が二人だけ、しかも一人は非力であることを考えると、危機を打開出来るとは思えない。

 けれど万が一彼らが死んでおらず、そこから自力で切り抜けてしまったら。

 ただでさえ薄い仲間意識を、更に削る結果になってしまう。

 信頼関係は、些細な事で修復不可能になるのだ。

 様子だけでも見に行くべきか?

 ポーズだけでも、救出を模索して見せることにした。

 少しばかり余計なリスクを背負うが、今後の為には必要だろう。

 ただでさえ微々たる戦力なのだ。自分の手の中に留めておかなければ。

 

 そう決めた少女はスラッシュを呼びに行く。

 階段を降り作業部屋へ。

 急いで出発し状況を見極めるのだ。

 手入れが行き届いていないこの家には、そこかしこに蜘蛛の巣が作られている。

 移動途中に三箇所で、獲物が捕らえられ貪られるのが見えた。

 何故だか足が急いて行く。


「スラッシュさん!作業を中断して——」


 ギィィイイイ、

 ギイイィィィ、


 地下室の扉が、開閉している。

 へし曲がり閉まり切らずに、重みによって前後している。


 そう、変形している。

 金属製のそれが。


「スラッシュ、さん……?」


 呼べども、返事は無い。

 じわりと首筋に汗が滲む。

 厭な感じだ。

 思ったより深刻な、劣勢なのではないか。

 後退り、一階へ戻る。

 階段への入り口を閉め、外側に付いたドアロックをかける。

 どうする?

 何が起こっている?

 先回りされている?

 次の行動は?

「報せなきゃ」

 そうだ。

 情報の取得こそが役目だった。

 彼女の主に警告するのだ。

 見据えるべき相手は分かった。

 だが不用意に手を突き入れれば、しっぺ返しが待っている。

 務めを遂行しなければ、彼女の生は無意義となって、

 ドス、ドス、ドス、


「!」


 アクテは物音に向き直る。

 それが何かを見て、息を細く吐き出していく。


「ふぅぅぅぅぅ…、スラッシュさん、居たんですか」

 射しこむ西日を背に、その巨体は一歩ずつ踏みしめる。

「呼んだんですから、返事してください」

「………すまない」

 アクテは相手の顔色を読もうと、下から覗くように近付く。

「まあいいです。そんな事より緊急です。四人の安否を確認しに」「アクテ」

 大きな影法師が、と少女の前に立って、

「すまない」

 彼女は全身を投げ出すように背後へ跳躍。受け身を取って尻餅の体勢から直ぐに立ち上がる。

 彼女の目には、丸太のような二本の腕。

 掴み損ねても握り拳であるところを見ると、生け捕らえようとはしていない。

 まるで、

「アクテ」


 まるでその目的が——


「お前を手折りたくて仕方がない」

 

 最悪だ。

 アクテは漸く、

 この危機を正しく理解した。




——————————————————————————————————————




『ワタシを頼ってくれるなんて、感激ネ』

「それが一番早いからな」


 車内でノートPCを開き、サビーナに商談を持ち掛ける。

直哉は、あのニヤケ面を探していた。

 あれをこの国に招いたのは、殆ど確定でジューディーだ。つまり彼らは、そらとぼけている。


『そうは言っても、こっちとしてもタダで話してあげるわけには、ネ?』

「お前が俺とレギオンの両方を邪魔に思っていて、共倒れさせようとしているのは、これまでの件でようく分かった。ならば俺と奴との戦いの機を逃させるなど、損以外の何物でもない筈だ」

『それは否定しないけれど』

「まだ言えないかハニー?ならばもっと限定して質問してやる」

 引き出すのは最低限に、必要なことだけ聞いてやる。

「例の『裏切り者』、ノアだが、あれの足取りは公的な記録に幾つも残っていた。追跡は容易だった」

『うんうんそれで?』

「沖縄に立ち寄った日があってな。妙に気になった」

 そこで思い出したのだ。

「前に尾登の奴のスケジュールを調べさせた時、メンバー不明で非公式の会食をしていた日があった」

 白塗りという奇抜な見た目の、しかし腕の良い情報屋が教えてくれた。

 その時はちょうど、ノアも来ていた。

 サビーナが尾登と、接触した翌日でもある。

「レギオンの輸入は予定にあった。琉解戦のテロも話が通っていた。そしてこの時に、彼ら二人はレギオンと対面した」

 そして、「奇跡」を見た。

「お前は尾登との肉体関係を強調していたが、重視するべきはこちらの活動の方だった」

 目を逸らし、隠そうとした会合。

「特に、『生物学教授』が出向いているのが気になる。“脳喰らい”の件もあるしな」

「もっと直接的に言いなさいナ」


「“レギオン”とは生物兵器だ。ノアもそれに“感染”した」

 

 彼らにとって、そのミスは取り返しがつかない。


『知られたらワタシが困るって?今更ジューディーが関与してても意外性は無いでショ?』

「この時のその場が本当にレギオンのデモンストレーションだったなら、当然それをこの国に外から持ち込んだ奴が居る。沖縄に足を運んだ要人かテロリスト、そこから探せばいい。そいつが何処から来たか分かれば——」


——レギオンの出処が分かる。


 その正体に、大きく迫れる。

 

「タネが分かってしまえば簡単なのか、お前らにとって不都合な出来事が関わっているか。つまり俺が見つければ、ジューディーの弱点が一つ生えることになる」

『うん、言いたい事は?』


「俺にとっとと売り手のプロフィールを寄越せ。代わりに隠蔽に手を貸してやる」


 時短をさせろと、彼はそう要求する。

『約束が守られるという保証は?』

「今更だ。俺はお前らを便利な蒐集手段として見ている。潰すメリットはあまりなく、この程度の約定を反故にしても得は無い。寧ろお前達に縁を切られれば、諸々が面倒になるだけだ」

 その目的から考えてみると、直哉が積極的にジューディーと、敵対しにいく理由は無い。

 だが彼の探求の邪魔をするなら、今更自明だがその限りでない。

「今後とも良しなに。お互い賢く付き合おう、ということだ」


 悪い話ではない。

 断った所で好転はしない。

 彼は必ず辿り着く。力を貸してくれるのならば、隠す側にも好都合。


 


『ごめんなさい、ナオヤ』


 彼のポケットが一度震えた。


『ワタシは“上”とは違って、アナタにこれ以上を与えてはいけないと考えている』

 

 スマートフォンを取り出し、メッセージの受信を知る。


『生きてたらまた聞いてネ?』


 アクテからのテキスト。


〈じつりょくこうし ねらわれてます きをつけて〉

「旦那様あ、問題が発生ぃしましたぁぁ」

 千家に言われるまでもなく、直哉は異変に気付いていた。

 トレーラーが左右を挟み、前後は小型トラックに固められている。

 周囲から見えぬよう覆い囲まれ、行先を漁網へと固定される。

 前方の車両の荷台で5・6名が立ち上がる。

 黒い金属の筒が複数一斉に突き出される。

 普通なら街中で撃つなどしない。

 だが彼らが少しばかり、荒立てるのを覚悟してしまえば?

 反社会的勢力の武力衝突と言い張り、開き直ると決めてしまえば?

 死人に口無し。

 文句を言う奴はここで死ね。


 ババババババババババ!

 ヒュンッ、シュンッ、ピシッ、パリ、


 撃った!

 おっぱじめた!

 

「あいつめ!」

 直哉は姿勢を低くしながら、積んでいた装備を身に纏い始める。

 通話は切れていた。折り返せるならやってみろ、ということだろう。

「あーあ、大変だね」

 バックミラーの中で、彼の隣に座る少年。

 鉛が過ぎる中で悠々自適。

「今度こそ殺しちゃう?僕は悲しいけど、君にはどうでもいいんだもんね」

——黙れ。

「千家!仕事をしてもらうぞ!」

「ここから更に、ですかぁぁああ?」

「報酬を倍積んでやる!」

 

 人目を避けると言うのなら、お誂え向きのフィールドと言える。

 今ジューディーの権力を使って、この場は無人の戦場となっているだろう。

 誰にも見られることなく、666クスィーズを出せる。


 彼はボディースーツに手を通し、拳を握ってキツさを確かめた。


「一つ潰すぞ!合わせろ!」


 一切合切を後悔させてやる。

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