離れ島にて

 その島は、地図には載っていないらしい。


 首都東京から太平洋側に少し。

 「危険な海域」として立ち入りは常に制限され、通りがかっただけでも敵意を向けられる。

 事実上の密室たるその場所に、海上をゆくていえい一つ。


 暴君、皇直哉。

 その専属運転手、千家せんかみのる

 新参にして最弱、アクテ。


 三名が乗ったボートが、ボウボウと波を掻き分け惨劇の舞台を目指す。


「だから!お前には選択権は無い!おい聞いてるのか?分かったらその足で情報を取って来い頓馬トンマ!死にたくないから出来ないと言うなら、俺がお前の尻に分かりやすく火を点けてやる。例の闇金に突き出すぞ?貯金と臓器とセーフハウスと、どれから失いたいか選ぶことになるぞ。いいな?それから他の駄犬共にも言っとけ。『サボタージュは自由だが、消すのも補充するのも簡単だ。そこらの大貧民以下の自覚を持て』以上だ」


 いつも通りにスーツとベスト姿の直哉。

 電話口に反論させず、恫喝だけ置いて断信。

 その事について悩みも悪びれもせず、会話そのものが無かったように話題を切り替える。


「いいか?一つ言っておく。お前が成果をだせなければ、今度こそ俺達の関係はおしまいだ」

「はい」

「はん、意外だな。好奇心が強いタイプには見えなかったが?」

「お役に立たせてください。それで私は勝手に満足します」


 頭の後ろで髪を一つに結わえ、半袖長ズボンの動きやすい服装をしたアクテ。

 それに言い含め、再度契約内容の確認をする直哉。


 彼女からの提案を受けての行動。

 少女は、王と共に登壇したいと嘆願したのだ。

 昨日役立たずだったことに焦った点数稼ぎか。

 逆に彼を突き崩そうという裏切りの為の材料探しか。

 だがそれまで見せてきた、追い詰められた草食獣のような言動は、訳は知らぬが鳴りを潜めている。

 いっそ不気味と言えるほど、裏が読めない。

 どういった企図にしろ、彼の神経を逆撫でしてまで通す、その手法は賢明ではない。

 怒りを買えば、野垂れ死ぬだけだ。

 そんなことは赤子でも、猿でも分かること。

 彼女は何故なにゆえ、命を捨てるような真似をするのか?

 

「旦那様ぁ?私ぃ、思うんですがぁ」


 運転席からのんびり喋り、会話に参加する命知らずその2。


「その女の子純粋にぃ、旦那様の御力になりたいだけなのではぁ?」

「黙ってろ千家。てめえの鈍い頭じゃ回るだけカロリーの無駄だ」

「へぇえい」

 

 主人からの怒気を気にした様子もなく、壮年の男は制帽らしきものを被り直す。

 丈の長い外套を纏い、髪も短く刈り上げられた、皺だらけのせむし男。

 幼少期から直哉の“足”である彼には、王の癇癪など慣れっこであった。


「あと何分だ?」

「………」

「おい聞いてるのか?」

「『黙ってろ』ってぇ」

「クビを切られたいのか?」

「10っ分もあれば着きまさあ。ほぉら、見えてきましたよぉ」


 白の空、灰色の海、

 そこに浮かぶ黒い形は、水墨画の一枚のように。

 

「“雛芥子ヒナゲシ島”、毒島はそう呼んでいたらしいな」


 曇り空の下に現れた、隠された島。

 今は所有者も亡く、棄てられた場所である。

 幽世かくりよが少しだけ現世に染み出してきて、

 こうして分け入る事も可能となってしまった、

 そうも思わせる趣きがある。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 この場合は、「どちらでも良いからさっさと出て来い」という意味である。


 


 上陸。

 ザザンと波音が漂う。

 比較的大きな桟橋が設けてある。

 使われなくなって、それでも長い時を経ているわけではない。

 けれど寂れたような物悲しさが、既に一面霧のように立ち込めていた。

 彼らを作った父が、もう戻らないと知っているかのように。


「どうぞぉぉお」

 召使いが捧げ持つ、四角く大型のバックパック。

「ここで待ってろ。すぐ戻る」

「へぇい、へい。10年でも100年でもぉ」

 主が荷物を受け取ると、千家は船体に寄りかかり、懐から文庫本を取り出す。

 間を置かず没入し活字を追う姿に、直哉は小馬鹿にしたように一瞥をくれる。

「面白いか?それ?」

「今はぁ、小カトがゲッリウスからの賞を辞退したところでさぁ」

 彼が右手に持つのは、プルタルコスの『対比列伝』。

 王に問われども、姿勢も正さずペラペラと読み耽る。

 直哉は意外にも咎めず、そのまま整備された道を歩き出す。

 暫くは密集した木々の狭間を通る。おおかた森林浴でも楽しむ為のルート設定だろう。

 千家に苦い顔をしていたアクテも、慌ただしく後ろに続く。


 

「………嫌味な奴め」


 少し離れて船が見えなくなってから、顔に掛かる蜘蛛の巣を払って毒づく。


「はい?」

「マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス。奴がさっき読んでいたのは、そいつの章だ」

「カエサルと敵対していた?あのブルータスの叔父の?」

「清廉潔白が行き過ぎて、強きに抗し自滅した愚物だ」


 それを熱心に、有難がって読んでいる。

 

「『お前を皇帝だとは認めていない』、そう言いたいんだろうな」


 アクテは仰天する。


「どういう人なんです?ナオヤ様の手足では?」

「あれは親父からのお下がりだ。そしてあの男も匙を投げた難物だ」


 面白そうだったから、無理を言って彼の専属とした。

 態度が敵対的でも表立って攻撃はしてこない、困った従者である。


「そうなんですね。だとすると、あの人もしっかり見ておかないと……とすると…………使い勝手が悪い……」


 まただ。

 この少女は、直哉の「趣味」を即座に受け止めてしまう。

 そんな度量があるようには、見えなかったのだが。

 瞬刻、脳裏にはあの雑な笑顔。

 この少女もまた、ああいった異常の中にあるのか?

 それはそれで、彼の目的にとっては悪くないのだが、


——なんだ?この胸騒ぎは?


「ナオヤ様?」

 

 不安そうに見つめてくる子どもを認め、彼女を凝視していた自らを自覚し、彼は自らの考えを棄却する。

 考え過ぎだ。

 このように顔色を見ながら、尻尾を振るしか能がない、単なる犬だ。


「余計な事を考えるな。お前は処分されないかの心配だけしていろ」


 騒騒ざわざわコソコソと木立が囀る。

 顔を上げ、前を向き、


「着いたぞ」

 

 さあ、と、

 行く先が開けた。

 そしてと対峙する。


神髏館カムロドゥノンだ」


 戦の神の名を負って、

 

 地を拓き大いに幅を利かせ、


 天に鋭角一つ突き出す洋館。


 日差しがあれば煌びやかなのだろう建物は、


 暗雲に巻かれ、


 色は褪せ、


 光を吸って


 禍々しく映えた。

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