敬愛されし者

「お疲れ様です」

「ご苦労」


 沖縄県警の警部の現着は午前1時頃。

 嵐は過ぎ去った後、雨は降りしきっていた時分であった。


「状況は?」

「またこっぴどくやられてますよ」

「うわ、うわうわうわ~、なんてことするのかねぇ」


 荒らされた室内と蹴散らされた容疑者達。

 第一陣が来た時には全員が拘束され、うち一人は現在病院行きの担架の上で、悪夢に魘されていると言う。


「どいつもこいつも、全身真っ黒な変質者フリークにやられたと言うんです。銃まで持ってるマフィアもどきが、たった一人にですよ?」

「おっかね~、もう妖怪か何かだろそれ」

「あの噂本当なんですかね?上層部が危険視している一人のテロリストっていう……」

「ふぅん、まあ、夢がある話だなあ」


 ふくよかな腹を揺らし、えっちらおっちら不安になる足取り。

 事態の異様さに対しのんびりとした彼に、「年の功とは斯くも頼もしいものか」と、若手刑事は一人納得する。

 

「しっかし、警部の読み通りでした。連中、積み荷に見せかけてこんなアジトを作ってたとは……」

「言ってみるもんだなあ。ま、勘ってのはそう何度も当たるもんじゃない」

 「過信はすんなよ?」、今回の一斉検挙の立役者として、思っていたより謙虚な態度に、その男に向けられた尊敬の念が、一際深まっていく。


「失礼します、警部殿。協力者の方が到着されました」

「お、キタキタキタ。早速聞こうじゃないの」


 「争う声や大きな音がする」、そういった通報が入った時には、単なる酔っ払いの喧嘩だと思われていた。

 が、警部が「嫌な予感がする」と言い始め、急遽人員を搔き集めた後に、怪しいコンテナ群へ踏み込んでしまう。

 そしてその内部で、暗躍していた組織の一つが、打ちのめされているところを発見した。


 幸い、初動捜査としては上々な滑り出し。

 真相は簡単に明かされるだろう。

 だから狼狽えることはない。

 若い刑事は自らに言い聞かせる。

 

「夜分遅くまですいませ~ん。わたくしが今此処の指揮をとっている者です」

「これはこれはご丁寧に。警察の皆様に協力させて頂くのは市民の義務ですよ」


 仮設テントの中でパイプ椅子から立ち上がったのは、上等そうなスーツに身を包んだ若い男。

 柔らかな物腰と、色素が薄く整った髪や肌。

 目鼻立ちはくっきりとした流線。物腰にはテキパキとしたキレがある。

 冷たく美麗な外見とは逆に、表情は柔和で友好的。しかしその肉付きや背格好から、鍛え抜かれた体躯を隠しきれていない。

 今回この場所が明るみになった、その契機となった人物。

 青年実業家といった風情の彼を見て、若手が何かを訝しみ——


「ああ!すめらぎ直哉なおや!」


 顔と名前、プロフィールが一致する。

 ネットニュース、ネットTV、地上波にも何度か顔を出す富豪。

 偉大なる父親の遺産を活用し、更なる事業拡大や慈善活動に手を広げた成功者。

 アメリカのナントカ言う有名な大学を出て、元アスリートかつ従軍経験持ちという、メンタル・フィジカル・インテリジェンスの全面を兼ね備えた男。

 その若さで政界入りも噂され、聖人と呼び声高い「王子様」、

 皇直哉だ。


「馬鹿!もうほんとにすんませんねえ。こいつは礼儀がなってないものですから」

「いい加減慣れましたよ。有名税と言うものですね」

「ははあ、全く」

「あ、あの!サインとかお願いしても」「ダメに決まってるだろうが!」

 後頭部をはたかれ舌を出す刑事。

「もういい!お前は現場検証に行ってろ!ここは俺一人でやる!」

「え?でも記録は?」

「俺がやるよほらとっとと行け!」


 手振りで「シッシッ」と厄介払いされ、不承不承出て行く新米。

 ふと悪戯心が出て引き返して覗き見ようとし、こっそり隙間を開ければ至近で警部と目が合った。


「うは!?」

「もう一度言うか?」

「いいえ!行って参ります!」


 慌てて駆け出す後ろ姿を溜息混じりに見届け、更に念入りに周囲の様子を探った後、


「申し訳ありませんなあ坊っちゃん。お待たせしました」

「部下の教育は不得手か?」

「面目ないですなあ」


 雰囲気が、格段と冷たくなる。


「ほらよ、土産だ」

「あはぁ、助かります」


 取り敢えずで置かれた机の上に茶封筒を放り投げる金満家と、それを受け取り中の枚数を数えてホクホク顔で懐に収める警部。


「しかしなんですなあ。坊っちゃん一人見逃すだけで、手柄とコレと、両方頂けるなんて。私としてはオイシイことこの上ありませんが、坊っちゃんにはどういう利益があるんでしょうか?わざわざ本州から来て武装勢力と最前線でやり合うとは、実際どういった御趣味で?」

「不要な好奇心で身を滅ぼすのは、猫の特権ってわけじゃあない」

「ははあ、これは失敬。“道楽”、それだけですなあ」


 本気で知りたかったわけでもなかったのだろう。警部は素直に追及の矛を収めた。

 

「期待はしていなかったが、案の定しょっぱい連中だった。それだけ言っておく」

 招待した甲斐も無い。

「なんと。お眼鏡に適うものが見つかればいいですなあ」

「よく言う。ミリの興味も無いだろうに」


 内ポケットから取り出した煙草の箱から一本出して咥え、火をつけさせながら悪態を吐く青年。

 だからこそ彼は、この警部が適役と見て抱き込んだのだが。


「ですが、そろそろ気を付けたほうがよろしいでしょうな」

「その心は?」

「噂になっております。裏からの支配力が、貴方を邪魔だと感じ始めているそうです」

「はん!例えばどいつのことだ?」

「『内閣情報調査室』『公安ゼロ課』『吟遊』……」

「公僕とは、思ったよりお暇な人種と見える」

 有りもしないと思う何かについて、そんなに熱心に語り尽くせるなんて。

「これまた手厳しい」


——ですが、風説とは馬鹿に出来ませんぞ?


 意味深長に嗤う警部。

「私の経験上、こういった噂話が興った前後、何か大きな事件が起こります」

 あたかも誰かの意図があるみたいに。

「大衆の目を逸らさせる為のカモフラージュか、或いは警告かもしれません」


「お前を狙っているぞ」と。


——上等だ。


 青年の目的意識に翳りは生じず。

 寧ろ、想いは募るばかり。


——俺を追え。

——追い詰めろ。

——殺しに来い。

——俺を、絶望させてみろ。

——そうすれば俺は、



——を——



 立ち上がる。

「おや、もっとゆっくりしていっては?」

「もういいだろう。俺は時間の無駄が、大嫌いなんだ」

「はいはい、お送りしますよお?」

「俺の車に風呂にも入っていない不潔野郎が乗ると言うのか?反吐が出る」


 あけすけに辛辣な物言いに、流石の警部も躱しきれず怯んでしまい、その隙に青年は煙草を灰皿で揉み消し外へ出てしまう。

「待って待って、一人で出歩かれちゃ流石にマズいですって。せめて傘くらい持たせて下さい」

 警部がやはりヨタヨタと後に続く。

 青年の手は無意識に、いつもの癖を、握り、開く動きを辿る。

 捜査員が忙しなく行き来する様を尻目に、この土地用に買っておいた自家用車を目指す。

 「道楽」の代償として、鈍く痛む左下腹部を摩る。

 最新鋭技術と湯水のような資金を動員した防刃防弾スーツを着用していたこと、パニクったアフロ頭が半分以上外してくれたことで、この程度で済んでいる。

 12ゲージ弾を貰ったのだ。下手をすれば、内蔵が「こんにちは」していたところだった。


 そんなことを考えながら上の空で周囲を目で追い、その視界の端に“妖精”が見えた。

 ジャンパーを被せられ両手で己を抱きしめ、婦警に宥められている少女。

「ああ、あれですか」

 気を利かせたつもりだろうか。警部が補足説明を入れる。

「奴らの“商品”の一つですよ。一部始終を見ていたと思われますが、何しろショック状態で……顔を見られたりは?」

「まさか。心配し過ぎですよ」

 既に笑顔で固定された鉄面皮。外聞がある場所では徹底している。


 その時、

 何とはなしに観察していた彼と、

 ふと顔を上げた彼女。

 婦警の肩越しに二つの目線がぶつかり、


 ぱちん。


 何かが火花を飛ばして弾けた。

 

 そんな気がした。


——?


 何だろうか。

 彼は訝しむ。

 今自分は、何を感じ取ったのだろうか。

 少女もまた、彼を見るや目を見開いて固まっている。

 不審な点でもあったのだろうか。


 ピカリ。


 真っ白な光が情景を埋め、

 数秒遅れて轟く低鳴ていめい

 雷。

 捜査員のカメラのフラッシュ。

 さっきも、そのせいで錯覚を起こしただけ。

——馬鹿馬鹿しい。

 求めるあまり、過敏になっている。


 そこらに落ちているものでも、そう簡単に見つかるものでもないだろうに。


 関心を失くして即忘れた彼は、


 彼女から視線を外し歩き去る。


 その背中を、


 二つの小さな黒色が、


 見つめ続けているとも知らず。

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