第8話・闇に沈む想い
鶺鴒につく頃には、朝日は輝きを増しており、部屋の隅に座る絵画のような男を美麗に浮き上がらせている。
輪は紗羅を見ると、妖艶に微笑み手招きをした。
「輪、おはよう」
「ああ。おはよう、紗羅」
紗羅が輪に身を寄せて甘えると頭をなでてくれる。
頭を撫でられると、昔父に甘えた記憶が蘇り、嬉しくなってしまう。
どうして輪にこんな想いを抱くのかと、困惑はするが、とにかく落ち着くのは事実。
もうずっとこうして甘えていたいとさえ思う。
牙呂を想いながら、なんだか悪い事をしている気分に陥る。
倒錯的な心地にしばし現実を忘れた。
ふと、自分の立場を考えて焦り始める。
――俺は、こんなところで何をしているんだ!?
叫んで飛び出そうとする紗羅の腕を、輪がすばやく掴み、引き止めた。
「離してくれ!」
「まだいれば良い」
「だ、だめだ。俺は、綺咲家の下僕だから、それに、罪人だ」
「牙呂を憎んでいないのか」
「……まさか」
自分は、牙呂の大切な父を殺めた仇なのに、彼を憎む理由などない。
輪に頭を撫でられてしまい、紗羅はつい瞳を閉じて大人しくする。
我に返り、強引に腕の中から這い出ると、輪に笑われた。
むっとした紗羅は、口を尖らせる。
「俺が怒られたら、輪のせいだからな!」
「すまない、早く行くと良い」
軽く肩をたたいた輪になだめられて、複雑な気持ちの紗羅だが、早く戻らなければと、旅籠屋を飛びだして、帰路を急いだ。
綺咲家の門の前に、先輩達が鬼のような形相で待ち構えていた。
今にも腰にさした刀を鞘抜き、斬りかかってきそうな気迫である。
紗羅は彼らの態度に困りはてた。
――殺されても仕方ない。
心の隅では理解しているつもりだが、やるせない気持ちをおさえこむのは難しい。
拳を震わせて唇を噛み締めていると、足音が近づいて来たので顔を上げた。
目の前に牙呂が佇み、睨みつけていた。
「……っ」
胸がキュッとして、恐怖と甘やかな感情がないまぜになり、声も出せなくなる。
睨みすえる彼の視線が、紗羅の心を射抜く。
ただごとではない雰囲気に、気圧される心が今にも爆発しそうだった。
「俺が甘すぎたようだな。お前はもう二度と外にはださん」
「な、なぜだ!?」
思わぬ言葉にうろたえて身を乗り出すが、すぐさま胸を手で押されて地に転がる。
痛みに頬が引きつった。
牙呂の冷たい声音が、頭から降り注ぐ。
「何故かだと!? お前は我が綺咲一族の主を殺した重罪人だ!! 先程、お前の母が危篤だという文が届いたが、お前はここにいろ!」
「母上が!? 文にはどんなことが!?」
尋ねても牙呂は鼻で嗤うだけで答えず、背を向けて去ろうとする。
混乱した頭で手を伸ばし、その背中に向かって名を呼ぶが、下僕達に阻まれた。
「牙呂! 牙呂!! どうか!! 母上の元へ行かせてくれ!! 頼む!!」
「バカめ!! 牙呂様がお前の望みなどきくものか!!」
「お前は生きた屍だ!!」
「御主人様の仇はかならず討つ!!」
激高する下僕達に罵声を浴びせられ、四方から殴りつけられ、紗羅は痛みの中で意識が朦朧としてくる。
――牙呂、母上……!
痛みで熱い体とは反対に、心は凍っていく。
地下牢に閉じ込められた紗羅は、膝をかかえて震えていた。
なんどか食事を運んでくる下僕に、母の容態を問うが誰も答えない。
日も入らぬ牢獄に閉じ込められて、どれくらいたったのか。
全身の肌はじっとりと汗に濡れて、ろくに飲み食いしなかったために、体力も落ちて、頭はぼんやりとする。
紗羅はずっと天井を見上げて、ひたすらに同じ言葉を繰り返していた。
「ははうえ、かろ、母上……」
牙呂から母の死を教えられた紗羅は、死に目にもあえず、見送れなかった事実に気が触れそうである。
牙呂に縋りついて死を請う。
「俺を殺してくれ! も、もう、いきていたくない……」
「なんだと? 笑わせるな!」
嘲笑う牙呂が紗羅の腕をとり、何やら囁く。
その瞬間、体中がしびれた。
――!
雷に打たれたような衝撃に崩折れてしまう。
頭の中に高音が鳴り響く。
かろうじて動かせる手を伸ばしたが、足で蹴られて悲鳴をあげる。
骨が折れたかのような痛みを感じて、舌を突き出して痺れに耐えた。
「お前は決して自害はできぬ!」
「……な」
「いずれは殺してやる。それまでは生き地獄を味わえ!」
「……っ」
――そ……んな……。
父も母も喪い、生きる意味さえない己は、死ぬこともできず、生き地獄を味わうだなんて。
牙呂の目が、魂を射抜くような強い視線を注ぐ。
紗羅は、絶叫した。
後日、綺咲家の牢獄から、罪人の集まる街へと移されると宣告された。
厳しく監視されながら、死ぬまで肉体労働を強いられる過酷な流刑地である。
数日で命を落とす者もいるほどだ。
綺咲家で過ごす最後の夜くらいは、と牙呂が夕食に誘った。
食堂には、二人きりだ。
ふと、他の者とはほぼ顔をあわせないな、と不思議に思うが、今となってはもう気にしても意味はない。
俯いた先には、湯気を漂わせる料理が並ぶ。
「食べろ。まともな食事は最後だろうからな」
「……」
牙呂に術をかけられたあの夜、夢を見た。
夢の中で、金の光が話す言葉を思い出す。
その瞬間、身体中が熱くなり、紗羅は、その機を逃さなかった。
卓上に置かれた鉄箸をすばやく手にすると、躊躇なく首に突き刺した。
生あたたかな血が、飛沫をあげる。
目を見開いた牙呂が何か叫んでいたが、紗羅は、右手で首に鉄箸を突き刺したまま、椅子から転がり落ちた。
――あつい……。
傷口は痛みよりも熱さを増していく。
牙呂がなぜか自分を抱き上げてわめいているが、なんと言っているかわからない。
――本当は、お前に殺してほしかったけれど、どうしようもない。
牙呂から遠く離れた地で、苦しみながら死んでいくのはとうていたえられない。
紗羅は、術がとけた一瞬を狙い、自害をしたのだ。
意識が朦朧とする最中、苦悶に歪む愛した男の顔を見据えて、ゆっくりと世界は闇に沈んだ。
“紗羅、おいで”
――この声、輪……?
つつみこむ温もりに身を委ねた紗羅は、安心感に頬をゆるめた。
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