69 レナートの葛藤(レナートside)



 メレランドのタウンハウスで、帝国へ発つ準備をしながら、キーラが何かを言いたそうにしているのには、当然気づいていた。

 もしも……もしも一緒に来て欲しいと言われたら……残念ながら、まだ行けない。

 ここには残務が大量にある。不安であろう騎士団員たちを放ってはおけないし、ルイスにこの支部の師団長を引き継ぐまではと思っている。

 それがいつまでになるかも、検討がつかない。それに、アルソスの騎士団長であるフレッド様にも、再三戻って来いと言われている。メレランドが片付いたら、アルソスも説得しなければならない。


 

 行けない、と言ったら、きっと傷つく。


 

 ならば、聞かないでおこう。俺は、なんてずるい大人なのだろう。

 その方がきっと、俺のことを『後悔』して忘れないのではないだろうか、という薄汚い打算があったなどと。


 この愛しい存在には、決して言えない俺の本心だ。


 もちろん、帝国へ行こうと決めたのは、キーラのことだけではない。

 ボジェクと戦って――あろうことか、俺は楽しかったのだ。これほどまでに手ごたえのある強い相手は、残念ながらアルソスやメレランドではフレッド様ぐらいしかいなかった。


 世界は、広い!


 汚職を片付ける間、キーラと一緒に様々な改善案を考えるのもまた、楽しかった。

 小さな国での執務は、やりやすいがある意味単調だ。これが帝国ならと想像したら、胸が躍った。


 そうか、俺は、退屈していたのだな……



「なあ。帝国に来ないか」

 

 御前試合の後。ボジェクに無理矢理連れてこられた酒場から、するりと抜け出して外に出ると……海軍大将に話しかけられた。

 待ち構えられていたのか、と苦笑が漏れる。

 

「陛下がなあ。レナートみたいな人材が欲しいから、何が何でも連れ帰れってうるさくてさあ」

「それは……願ってもないお申し出です。ですが、ロランもとなると」

「帝国への人材流出に危機感。かたくなになる懸念、かあ」

「はい」

「っかー! さっすが賢いねえ。じゃ、どうする?」

「全てを片付けてから」

「っし。言ったな? ならば、これを密約とする。証拠に通信魔道具置いていく。使い方覚えろ」

「おお……手紙は不要なのですね」

「大事なことは書簡だけどな。軍人同士はほぼ通信だ。覚えて損はない」

「ありがたく」

「楽しみに待ってるぜ。キーラとロランは、先に連れていくけどよ!」


 と全てを見透かして笑う海軍大将に、深々と礼をして、タウンハウスに帰った。

 

 ロランはまだ起きていて、キーラを寝かしつけたという。

 少しの嫉妬心を隠して、先ほどの話をするために

「ロラン、少し話しても良いか」

 と申し出ると、

「いーよ。でも汗臭い」

 ものすごいしかめっ面をされた。

 そういえば、酒場でもみくちゃになったんだった。

「……シャワー浴びてくる」


 

 ――シャワーの後。キッチンでふたり、湯を飲む。

 

 

「うは。悪い大人だね~レナートってば。気づかないふりかあ」

「悪い、というより、必死だな」

「ふふ、そうだね。大丈夫だよ。レナートと一緒に行きたいって言うのを、我慢しているんだよ。健気けなげだよね」

「そうか……良かった。すまんが行けるまで、キーラを頼む」

「もちろんだよ。可愛い妹だからね」

「ありがとう」


 俺は、ロランに深く頭を下げた。


「ちょ、なになに! 急にっ」

「ロランがあの時、一緒にメレランドに行くと言ってくれなければ、何も解決しなかっただろう」

「そ、んなことは!」

「たくさんの嫌なことを引き受け、組織の暗い部分に潜り、情報を取ってきてくれた」

「任務だし」

「それでも! 辛かっただろう。感謝する。ありがとう、ロラン」

「僕は! だって、レナートに、すくわれっ……」


 ああそうか。苦しんできたんだったか。


「救ってなどいないぞ」


 本心だ。

 俺は、この優秀な男と、純粋に共に任務がしたかっただけだ。

 

「でも」

「ロラン。ありがとう」


 がし、と有無を言わさずハグをしてみた。

 綺麗な顔だが、鍛えられた体つきは男そのもの。弱いとからと厳しい鍛錬を欠かさないことを、俺はよく知っている。真面目な男だ。

 

「んもー。はいはい。じゃあ、あの日までだけ待つよ」

「ん?」

「ほら、腕輪の期限。覚えてる?」

「! ああ」


 ロランの預かり証の日付だな。その日までに、返すという。


「その日にさ。帝国の港に、迎えに行くよ」

「分かった。それまでに、全て決着させる」

「うん。ヨナが言ってたけど、帝国にレナートとちょっと似てる男がいるんだって。マクシムだったかな」

「んっ?」

「レナートが間に合わなかったら、マクシムをけしかけるからね」

「こら!」


 べー、と笑う銀狐は、さすがの策略家だ。

 次の日からの俺は、それはもう、必死だった。――



「間に合ってよかった……」

「ん?」


 ベッドの横。

 好奇心の塊のような、翠がかった大きな碧眼が、目の前にある。

 

「なんでもない」


 言いながら、キーラの頭の下に腕を通すと、ころり、とこちらに体を向けたので抱きしめた。


 おでこにキスをして、おやすみと言う。


 

 ……頼むから、物足りなそうな顔をするな。これ以上したら――斬首になってしまうんだ。

 

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