65



 扉の前の軍人が、大きく扉をノックする。

 

「入れ」

 

 低くて威厳のある声がして、扉が開けられた。

 私は、作法なんてろくに知らないはずなのに、自然と視線を下げて、ロランのエスコートで静かに入室し、許しがあるまで頭を上げない。


「双方、おもてを上げよ」


 言われてから姿勢を正すと、長テーブルの向こうに座っている男性が目に入った。


 黒い軍服は、ヨナターンたちので見慣れているはずなのに、なぜか違って見えた。

 鮮やかな赤い髪と、黒のコントラスト。


 ――私と、同じ色の髪の毛だ……


「良く、来た」


 鋭い目に射抜かれる。けれどもその声音には、確かに優しさも含まれていた。


「……」


 なんと返せば? なんて言えば良いの?


「自由に話せ。許す……キーラ」

「はい……お会いできて、光栄です……」

「うむ、長旅ご苦労だった」


 あ、この声……聞き覚えがある……?

 

「あ……あ……」

「どうした?」


 あ!

 

「ラース、兄様?」

「!」


 がたり、と皇帝が立ち上がる。驚きの表情を浮かべたまま、こちらに歩いてくる。


「キーラ、思い出したのか!?」

「いえ……でも、お顔を見たら、そう呼ばないとと……」

「っ、そうか。キーラはずっと、そう呼んでくれていた」


 分かる。だって、口に馴染んでいるから。


「ああ……間違いなく、キーラだ……」


 間近で見る皇帝は、迫力があるけれど、懐かしくて。

 

「ラース兄様!」


 思わず抱きついたら、ギュッと抱き締めてくれた。


「うむ。ヨナターン。確かに我が妹のキーラだ。良くやってくれた」

「は!」

「キーラ。今、これを返そう」


 離れながら目の前に出してくれたのは、あの腕輪だった。


「持っていてくれたから、探し出せた」

「いえ! きっとずっと、私を守ってくれていたのです」

「……そうか」


 などと再会を喜んでいたら、後ろの方でしきりに「ずびっ」「ぶぶー」「ずびずび」って鼻をすする音がしていた。


 なんだろう? と目を向けると、皇帝が

「あー、あれはな、我が国の外交官兼書記官の……」

 と言いかけるや、

「はははふぁい! ささささひゃ、ズビッ、サシャでふ!」

 本人からだいぶ残念な答えが。


 改めて良く見ると、大きな丸いメガネがずり落ちそうな、華奢で、濃い茶髪の小柄な男性だった。


「サシャさん?」

「ははははい! よよよよろしくですよ!」

「こちらこそ」


 ずっとプルプルしている。なんか、挙動不審な小動物みたい。


「うーわ……めちゃくちゃかっわいい」

 横で、ロランがそう呟いたのは、多分気のせいじゃない。


「あんなんだが、我が帝国を支える頭脳だ。困ったことがあれば、あれに言え」

「はい」

「顔を見たら安心した。部屋は用意してある。しばらくゆっくり休め」

「ありがとうございます」

「……それから、ロランといったか」

「! は!」

「ヨナターンから、優秀な人材だと聞いている」

「身に余るお言葉、大変光栄にございます」

「歓迎する。処遇は……ヨナターンに一任しよう」

「は!」

「御意」


 ――そうして怒涛の謁見が終わり、私に帝国での日常がやってきた。


 ちなみに、『帝国の頭脳』のはずのサシャは

「はああああ、銀狐の噂にたがわぬびび美麗さとははは腹黒さの同居ぉ……ふふふ、ふつくし……ズビッ」

 なんてボソボソ言っていたし、ロランは

「賢いのか……どうしたら口説けるかな……まずは好みを把握……」

 て顎に拳を当ててすごく悩んでいた。


「ねえヨナさん」

「言うなキーラ」


 とりあえずこの環境に慣れるように、頑張らないとね……


 


 ◇ ◇ ◇




 皇帝の妹といっても、役職があるわけでもなく、基本は暇。護衛の方々の手を煩わせたくなくて、外出は我慢してしまうし、買い食いは「はしたない」と言われそうで遠慮してしまい、行けていなかった。


「もー! 家が豪華過ぎるよ!」


 使っていないタウンハウスがあると言われて、とりあえずはロランとそこへ住むことになった。皇城は緊張するからと拒否した私が悪いのか……嫌な予感は的中。メレランドの三倍は大きい。立派で豪華。噴水どころか、中庭にガゼボっていう、休める屋根ありの場所まであるし。

 まず玄関入ってすぐシャンデリアとか、ふかふか絨毯じゅうたんとか、でっかい絵画とかね! これはもうお城じゃんね!


 執事もメイドも付けられて、家のことも何もしなくて良い。


「暇すぎる……」


 ロランはとりあえず軍預りとなって、研修に忙しくてほとんど居ない。

 一人でする荷物の整理も、読書も、どこか手につかなくて。

 忙しくしていないと、余計なことをたくさん考えてしまうから良くない。


「レナート……元気かな……」


 ――ほらね。


「また、サシャ君に会いに行こうかな」


 いつもバタバタしているサシャは、両手に大量の書類を抱えて走り回っている。とりあえず皇城に行ってみようと思い立ち、執事に馬車の手配をお願いすると、すぐにヤンが来てくれた。


「すっかり専属護衛だね、ヤン」

「光栄です、殿下」


 ヤンは、なんと少尉に出世したのだとか。

 曹長と少尉は全然待遇が違うらしい。その証拠に、新人ぽい部下を二名、従えている。


「サシャ君のところに」

「はっ」


 カツッと踵を鳴らすヤンは、もう気安くない。

 馬車にも、身分が違うのでと同乗できない。

 彼らは馬、私は一人で乗る。


 ――私、これで本当に良かったのかな……

 心の穴を埋めるどころか、広がっていく気がする。怖い。怖くて……


「あ、ききキーラちゃん!」

「また来ちゃった」

「かかか歓迎でふよ」


 ずり落ちたメガネに、酷い寝癖、黒い隈が目の下にあるサシャは、執務机の上のたくさんの書類と格闘している。

 大帝国の書記官は、さばく量もものすごい。山、山、そして山だ。


「ね、仕分けだけでもしようか?」

「ぴ!?」


 がばり、と起き上がるサシャが、高速で喋り始める。


「そそそうか、ききき騎士団じじじ事務官されてまし……は! なななるほどいい妹君であればきき機密はももも問題なな……」

「サシャ君?」

「こここここれを!」


 ドサッと渡された書類の山は――


「軍関係の経費申請や異動願い、武器弾薬の補充申請、各地の本日の収穫高と納税記録、接見願いに隣国からの書状」


 なるほど、業務のことはスラスラ喋るのね。

 

「えっと、毎日一人で?」


 こくん、と頷くサシャのメガネが、ずり落ちる。

 

「だだだ誰もぼぼぼ僕とはは働いてくれないです」


 この喋り方が原因なのかな? 私は別に気にならないけど。一生懸命話そうとしてて、可愛いのに。


「よし。じゃ、とりあえず勝手にやっちゃうから、後で直して欲しいこととか何でも言ってね!」

「ふわ! ふぁい!」


 まず目的。次に地域や部署で分ける。その後重要度(期限や金額の大小)で時系列に並べて、渡すと――



「ふああああ! ははは速くて分かりやすいですう! ああああの!」

「ふふ、良かった。うん?」

「じじじ事務官に、なりませんか!」

「あはは! 良いよ!」

 


 ――あっという間に、書記官付き事務官に、なりました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る