39
私に今できるのは、書類仕事だけ。
団長室で淡々と提出されている書類を確認する。
写しを作らなければならないものを時系列に並べて、名前と名簿を照合。内容を見て、レナートに聞くまでもないような申請は、あらかじめ却下候補としてまとめておく。
幸い、団長室は本部の最も奥。
バタバタ走り回る騎士団員たちの気配も、扉をぴっちりと閉めればここまでは届かない。
「ふう。ヤンさんがいたらなあ」
思わず独り言がこぼれた。
ヤンは確かに事務仕事は苦手だけれど、いるだけで守られているという安心感と、周囲への
家庭の事情であれば仕方がないが、信頼できる人が一人でも側にいてくれたら、と思ってしまう。
ずっと胸がドキドキしている。
あのボイドの手。私は見てはいけないものを見てしまったのではないだろうか?
レナートに言ってもいいのだろうか?
「呼んだ?」
「へ!?」
にか、と笑う人懐っこい笑顔が、団長室の扉前に立っている。いつのまに!
「ヤンさん!?」
がたん、と立ち上がって、近づく。
彼も、こちらに歩いてきてくれた。
「ごめん、キーラ。ただいま!」
「ヤンさんだあ!」
思わずひしっと抱き着いた。
気が緩んで、目がうるうるしてしまった。
「わあ、大歓迎だな! なんか騒いでいるもんなあ。何があった?」
ヤンが頭をぽんぽんしてくれる。
「あのね、色々あったの! 聞いてくれる!?」
「うん。……俺が殺されなかったらねー。ひえええ、すごい殺気!」
「へ!?」
顔を上げると――
「長い休暇だったな、ヤン」
「はい。ご迷惑をおかけしてすみませんでした。ただいま戻りました」
「あ、団長……」
レナートが眉間のしわを深くして、大きな溜息をつく。
「抱き合うなら、せめて扉を閉めてからにしてくれ」
後ろ手で扉を閉めて、つかつかと執務机に向かうその背中が、張りつめている。
「いやいや! ほら、手見てくださいって、手! 俺、無実ですって!」
「……あ」
言われてようやく気が付いた。私、ヤンに思いっきり抱き着いている。
ヤンは、両手を挙げて主張したけれど、レナートは悲しそうに「もう俺は用済みか」とぼそり。
――用済み?
「うええ!? キーラ、ほらなんとか」
「団長、今なんて?」
「なんでもない。仕事が溜まっている。書類をくれ」
「……はい」
私がヤンから離れて、書類の束を持っていこうとしたら、ヤンは吐きそうな顔をしていた。
「ヤンさん?」
「うわあもー、戻って早々死にそう……」
「えっと、私何か」
「いい、いい! もう俺に構わないで!」
がばり、と机に突っ伏すヤンの脇に、そっと検算して欲しい書類を置いておいた。
◇ ◇ ◇
「ロラン様も交えて、話を聞いて欲しいです」
お昼過ぎ、決意を固めた私はそう切り出した。
もやもや考えていても仕方がないし、少なくともレナート、ロラン、ヤンには話してみようと思ったからだ。
「……わかった」
「んじゃ、呼んできます」
ヤンがさっと立ち上がり、団長室を出て行く。
「私は、お茶の用意をしますね」
ロランのお茶はここで、にしてもらおう。
キッチンスペースに向かいながら、思い出す。
「あ、そういえば、カップ……」
王女に叩かれた時に割ってしまった、お気に入りの花柄。
レナートを振り返ると、書類から目を離さないままの姿勢で
「ヤンと買いに行けばいいだろう。経費申請してくれ」
と言われた。
――冷たい声。
「あの」
「……」
――私なにかしちゃったのかな……それとも、忙しいからイライラしているの?
コンコン。
ノック音がして、それ以上聞けなかった。
「はあ。すまない。まだ見つからない……」
ロランは見るからに憔悴しきっていた。
責任を感じて、アーチーを探しに王都中を歩き回っていたのだそうだ。
「収監書もなくなっているぞ」
レナートの冷たい声が、ロランの心臓も貫いたようだ。
「なんだって!? くそ……なんだ、なにが起きているんだ……」
「どこに置いた?」
「不備を修正して、レナートの机の中に!」
私は、レナートの袖机と、ロランの手前にお茶を出してからレナートの脇に立つ。
ヤンは、自分の机でティーカップを眺めている。
「収監書がないってことは、そもそも侵入してないってことになりますねえ」
ヤンのどこかのんびりした言葉に、私は耳を疑った。
「え!?」
「その通りだ」
レナートが渋い顔で同意し、ロランが頭を抱えた。
「あんなに、見た人がいるのに!?」
「その事実を証明する書類なのだ。アーチーの
「じゅんだんしゃく?」
私の問いに、
「男爵の下の地位だよ。平民じゃない。つまりは、気を遣わないといけない。ですよね?」
ヤンが答え、
「その通りだ」
レナートが頷く。
――あんなのが! 貴族!
「本当にここは、腐っているんだよ。キーラ」
忌々しそうに吐き出すロランの言葉を、この場の誰も否定しなかった。
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