38


 

 私は意を決して、言ってみた。

 

「今日。一緒に寝ても、良いですか」


 ティーカップを口に持っていく姿勢のままで、レナートが固まった。

 

「……な、ん、……?」

「一緒に寝ても、良いですか、と聞きました」


 レナートは、目をまんまるにしたあと、何度かまばたきをして、それからゆっくり紅茶を飲み下し、深呼吸をしてから口を開いた。

 

「ごほん。それは、その」

「分かっています。はしたないことだって。でも、ひとりでいるのが怖いんです。暗いと、きっと耐えられないと思います。ダメならダメって、言ってください」


 勢いで理由をまくしたてた後、答えを待つ。

 沈黙になり、静寂が続く。

 レナートは何度もカップを傾けて紅茶を飲み、眉間にしわを寄せ、天井を仰いでから――ようやく口を開いた。

 

「その……ベッドがひとつしかないんだが」

「はい」

「それでも、良いか」

「……! はい!」

「ふう。わかった」

「良いのですか」

「うむ。大丈夫だ。今、色々覚悟した」

「覚悟? って?」

「ああ。寝ぼけたキーラに蹴られても、怒らない」


 ――ぽかん。


「へっ!?」

「寝返りされて場所が狭くなっても、怒らないぞ」

「ちょ」

「よだれで枕を汚したら、一緒にアメリに謝ってやろう」

「んもう!」

「はは。さて」


 椅子から立ち上がったレナートは、をしている。

 タウンハウスは、彼にとって心安らげる場所だったはずなのに。

 私がそれを、壊してしまったのかもしれない。

 甘えるのって、難しくて苦しいね。


「キーラ。おいで」


 差し出された手を取ると、温かくて、泣きそうになる。


「不安にならなくていい。俺は嬉しい」

「嬉しいのですか?」

「そうだ。キーラ。いつだって、そうやって甘えて欲しい。何でも言って良いんだ」

「よかった、です」


 アメリさんの言ったことは、正しかった。レナートなら受け止めてくれる、と。それは事実だった。

 

 ――その夜、同じベッドで並んで横になった。


 緊張してモゾモゾしていたら、

「安心してくれ。キーラが嫌がることは、絶対にしない」

 とレナートが言ってくれて。

「心配していません。あの。手を繋いでも、良いですか?」

「……もちろんだ」

 シーツの中で繋ぐ手は、なんだか特別な気持ちになって、胸が波打つぐらいにドキドキした。

「ありがとうございます。おやすみなさい」

「おやすみ」

 

 隣で静かに聞こえる、レナートの規則正しい呼吸音。そのリズムに誘われて、だんだん眠たくなってきて。

 でもまぶたを閉じてみたら、暗闇にまたあのいやらしい声が響く――何度もビクッとなって申し訳なかった。

 けれどもその度にレナートが

「大丈夫だ」

 と言って、手をぎゅっとしてくれた。

 

 何度目かで、ようやく安心して眠った。


 

 

 ◇ ◇ ◇



 

 それから三日間。

 私はずっとレナートと一緒に寝てもらっている。

 

 次の日の夜にどうしようかと思っていたら、黙って手を差し伸べてくれて、その次の日は「仕事で遅くなるから、先に部屋で待っていてくれ。本でも読んだらいい」と言われて、三日目の夜は「キーラの枕も持っておいで」となり。


 あれ、これ、当たり前になりつつある?

 朝、アメリさんが意味深にずっと微笑んでいるのが、もう、なんか、こそばゆい!

 しかも、レナートと一緒に本部とタウンハウスの間を歩く間も、手を繋ぐ。

 むしろ繋いでないと、あれ、何か忘れてる? なんて思うくらいの馴染みっぷり。


 私、毎日、好きな人の隣で、手を繋いで寝ている。

 本当なら幸せなことなんだろうけれど、レナートからしたら、私の恐怖心がなくなるまでの治療行為なんだろうなと思って……むしろ切なくなる。


 そんなことを考えながら、歩いて本部の門が見えてくると、不穏な騒ぎが聞こえてきた。目を合わすまでもなく、私は即座に手を離し、それを合図にレナートが走り出す。

 

 私が本部に入る頃には、騎士団員たちがバタバタと走り回っていた。


「見張りは、何してやがった!」

「知らん!」

「逃げたって?」

「どこへ!?」

「わからねえ」

「とにかく手配だっ」


 ――逃げた?


「団長命令だ! アーチーを即座に手配! 巡回の団員にも、通達を!」


 酒が抜けてから聴取しようとしていたアーチーが、逃げた……?


 レナートが颯爽と歩きながら指示を飛ばすのを見ながら、私は愕然とした。

 けれども仕事はしなければと、無理矢理足を動かす。


 団長室へと向かう道すがら、ルイスとボイドが向かい側の離れた廊下で話しているのが見えた。

 あの二人が話しているのを初めて見たな、と何気なく見ていると、ボイドは下卑た笑いで身体をゆらゆら。対するルイスは、しかめっ面で腕を組んでいる。

 仲良くは無さそうだけれど、どこかその距離感には、馴れ馴れしさを感じた。

 しかも、ボイドが一瞬出したハンドサイン。


 ――あれは、『勝ち』だ。

 

 漁師たちが賭け事をする時に、奥さんや恋人にそうと知られないようにする仕草(賭け事なんて! て叱られるから)。『お金』の意味もあるそれは、人差し指と親指の腹を二、三回くっつける。賭け事をしない者は、知らないだろう。

 


 何に勝った? もしくは、何のお金?



 ボイドがいやらしい笑いで手を振り、ルイスは無表情できびすを返し、去って行く。

 


 寒気が止まらない。

 ――私はこれを、誰に言うべきなのだろう。または、言わないべきなのだろう。

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