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「あら? 今日はおそろいで、お早いお戻りですね」


 帰り支度をしていたメイドのアメリが、タウンハウスで迎えてくれた。


「アメリ、帰るところすまないが、キーラの風呂に付き添ってはくれないだろうか?」

 レナートの言葉でアメリは私の様子を見て――笑顔で頷いてくれた。

「かしこまりました。キーラちゃん、お疲れね! 今日は私が洗ってあげるわ!」

「……すみません……」

「良いのよ、たまには甘えちゃいなさい。レナート様、お食事は用意してございますので」

「ありがとう」


 タウンハウスの浴室は、さすが豪華な造りで、魔石をふんだんに使った高級な設備。好きな時に温かいお湯を使えて有り難かった。

 アメリは、バスタブにお湯を溜めながら、良い香りのするせっけんを持ってきてくれた。今までお湯の浸かり方が分からなくてシャワーだけだったのだけれど、この際『貴族の入り方』を覚えちゃいなさいよ! と甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。

 のろのろとろくに服も脱げない私を、あっという間にテキパキ全部脱がせて、バスタブに導いてくれた。メイドってすごいなあ、と私はぼんやり見ているしかできない。


「ドレスの着付けの時、キーラちゃんが、メリンダさんのお茶屋さん紹介してくれたでしょう?」

「はい」

「うちの旦那がね、メリンダさんが教えてくれた茶葉で紅茶パンを焼いたら、とっても好評でね」

「……」

「お礼がしたいって言ってたわ」

「そ……ですか……」

「このせっけんどう? 良い匂いでしょう? 最近流行りのお店なのよ。教えるから、今度行ってみたら?」

「はい……」


 アメリはきっと、私が落ち込んでいることが分かって、こうやって世間話をしてくれている。温かいお湯に浸かって、明るい話題で、髪の毛も丁寧に洗ってくれて……私の汚れ、全部落ちるかな。


「アメリさん。おとこのひとって、こわいね」


 ぽろりと本音がこぼれ出た。

 だって、暴力は、恐ろしい。あんなに、恐ろしいものだったなんて。私はレナートに助けられたけど、もしそうじゃなかったら……


「そうね。でも、愛してくれる男の人は、心強いのよ」

「……」

「怖い人はいる。でも、優しい人もいる」

「うん……」

「キーラちゃんには、レナート様がいるわ」

「……」

「たくさん、甘えたら良いの」

「良い……のかな」

「あら。良いこと教えてあげるわ」


 アメリが、洗い終わった髪の毛を丁寧に拭きながら、にっこり笑う。


「よいこと?」

「疲れたり、辛い時にはね。たっぷり、甘えて良いの」

「ほんとう?」

「ほんとよ! 甘えるって、女の子の特権なのよ!」

「とっけん」

「そう。それを許してくれる人に。飛び込むの」


 ――そんなこと、したことがない。


「初めては怖いけど、レナート様はきっと怒らないんじゃないかしら? しかめっ面は、するかもだけどね!」

「……ふふ」

「今のは、内緒にしてね?」

「ふふ、はい」

「試しに『甘えても良いか』聞いてみなさいな」

「……そっか。許可してもらえたら、言えるかも」


 アメリはすごいなあ。

 何も聞かないでいてくれるのに、私が欲しい言葉をくれる。そうか、聞いてみたら良いよね。ダメなことはダメだと言うって、約束したもの。


「ありがとう、アメリさん。そしてごめんなさい。お子様たち、お家で待ってますよね」

「良いのよ! 気にしないで。良くしてもらってるのはこちらの方なんだから」

「それは、団長です」

「あら。でもキーラちゃんが、怖い人じゃないって教えてくれたお陰よ?」

「あはは!」


 アメリに帰宅してもらい、夜の部屋着で、ひとりでキッチンへ向かう。

 自分で食べられそうな、パン粥を作ることにした。鍋にミルク、ちぎったパン、チーズ、少しだけ蜂蜜、の簡単なもの。

 

 コトコト。ふつふつ。

 良い香りが漂う。

 今、自分の周りには、好きな香りしかない。大丈夫、と言い聞かせる。

 引き出しから木の皿とスプーンを出して、すくう。

 もうここでささっと食べてしまおう――


「キーラ?」


 お風呂上がりのレナートが、様子を見に来てくれた。肩にタオル。濡髪で、油断している姿は珍しい。


「……美味そうだな」

「レナート様も、食べます?」

「いや」

「なら、お茶は?」

「頂こう」


 キッチンからダイニングまで行かず、ここで簡単に食べてしまおうと思っていた。なら、移動をと動いたら、レナートもその辺の木の椅子に座った。


「ここで、良いです?」

「ああ」


 キッチンとレナート。――似合わない。


「ふふ」

「! な、何かおかしいだろうか」

「いえ。キッチンとレナート様が、違和感で」

「……そ、だな。実は初めて入った」

「ええっ! そっかあ、用事ないですもんね」

「そうなのだ」


 温かい食事。良い香りのお茶。チーズと蜂蜜、それからレナート。ここには、好きなものしかない。

 はふはふ、もぐもぐ。ごくん。ごくごく。

 美味しい。温かい。早く、早く、忘れてしまおう。


「キーラ、焦らなくていい」

 レナートが、微笑む。

「大丈夫だ、ずっと側にいる」


 ――ああ。大好き。


「レナート様、お願いが」

「なんだ」


 私は意を決して、言ってみた。

 

「今日。一緒に寝ても、良いですか」

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