35


 

 手が震える。これが重いから。重いからだよ。


「ほら。ぐひゃひゃ! ……つっかまーえたあ」


 がし、と手首を捕まえられた。


「いやぁっ、はなしてえええ! うああああああ!!」


 叫びながら、精一杯力を込めて武器を振り回す。


「いでっ、くそっ、こら、おとなしく」

 

 腐っても元騎士。

 普通なら私の力なんかでよろめきはしないだろうけれども、アーチーは酔っぱらっているせいか、多少はぐらぐらと翻弄されてくれた。


「はなして!」

「って言われて、はなすやつはいねえよお~」


 緊張感のない間延びした声が、余計に恐怖を掻き立てる。

 正気ではないからだ。


「やめて! はなして! っ、はなせえええええ!」

「うるっせ。どうせこんなとこ、誰も来ねえぜえ~げひゃひゃひゃ」


 気づくとアーチーは手首ではなく、武器の柄を持ってぐいぐいと押し付けてきた。


「いたいっ!」

「ひゃっひゃっひゃ! 押し返せねーだろお」


 力負けして、壁に背中がついたのが分かった。

 臭い息が覆いかぶさって、とん、とアーチーの拳骨が、胸の真ん中に突き刺さった。


「おぉ!? 期待してなかったけど結構おっぱいあんじゃねえか! ひゃはー!」

「っ」


 吐き気がする。

 誰か、誰か、誰か!


 

「レナートさまああああああああ!! いやああああああ!!」

「ぎゃっひゃっひゃ!」


 

 ――ドン!


 

「!?」


 突然大きな音が、扉の方からした。

 二人してそちらに顔を向ける。

 


 ――ドンドン!

 


 扉が、波打った。


「あ!?」


 だれか、きた?

 ――ハッとする。声を。声を出さなくちゃ。

 

「た、たす、たすけてええええ!」

「くそ、だまれだまっ」



 ドカドカ、バキッ、ドドン! ――バタン。



 しゅうう、もうもう。



 私はその時、アーチーによって壁に押し付けられていた。

 一生懸命身をよじるけれど、振り解けない。

 必死に首を伸ばして扉の方を見ると――夕日を背負った黒い大きな人影が見えた。



「う、うそだろ……」

 

 アーチーの動きが、驚きで固まった。

 その人物は無言でのしのしと入ってきたかと思うと、すう、と私の頭上で大きく息を吸って。

 


 ぶおん……がぱっ!

 


 ――アーチーの横顔を無言で殴った。



 へぎゃ、とカエルがつぶれたような声で、そのだらしない身体が吹っ飛ぶ。これは、現実?

 

「キーラ」


 ああでも。その優しく低く安心する声は、間違いなく。


「あ……だんちょ?」

「無事か」

「ぶじいいいぃ」

「っ、よかった」


 レナートだ! 来てくれた!


 ぐい、と力強く腕を引っ張られて、さらに背中にかばってくれてからレナートは、冷たい声で告げる。


「アーチー、わかっているのか? もうただでは済まされない」


 げひゃひゃ、いでええ! とアーチーはふらふら立ち上がり、下衆な笑いを浮かべる。口角からは血が混じったヨダレが垂れ、うまく話せない。

 

「はあ? は(た)かが平民ひほ(と)り、はいしらころないらろ(大したことないだろ)」

「……ここは騎士団だ。すべては俺の采配下にある」

「ふひ」

「取り調べる。吐いてもらうぞ。貴様を招き入れた奴を」

「けひゃっ」


 バタバタと足音が近づいてくる。

 何人もの騎士団員たちが、廊下を走ってきているのが分かって、ようやく私は肩から力を抜くことができた。


「うわ」

「まさかアーチー、か?」

「……情けねえ」


 駆けつけた騎士たちに、牢へ放り込めと指示するレナート。アーチーは、なぜかゲラゲラ笑いながらそれに素直に従う。私は、レナートの騎士服の裾をぎゅっと握りしめる。


「キーラ、怪我は」


 ぶんぶんと頭を振ることでしか、返事ができない。


「ひとまず団長室へ」


 頷いて一歩踏み出したら、膝から崩れ落ちた。


「っ、キーラ!」

「……(ふるふる)」


 身体に全く力が入らない。手がぶるぶる震えていて、止めることもできない。手のひらにじゃり、とついた砂埃を払うことすら……

 

 レナートがすぐ側に膝を突いて、顔を覗き込んでくれる。

「……怖かったな。怪我はないか?」

「(こくこく)」

「そうか。……抱き上げてもいいか?」


 びく、と身体が震えた。

 途端にレナートが、自分が大怪我を負ったみたいな顔をする。


「怖いことはしない。絶対になにもしないと誓う。運ぶだけだ」


 ――頷いたら、優しくそっと横抱きで持ち上げてくれ、レナートの匂いがして……


「こわ、かっ」


 ぼたぼたと涙が溢れてきた。

 またレナートの騎士服を汚すのは嫌だから、一生懸命袖口で拭いたけれど、やっぱり少し濡らしてしまった。


「ごべんださい」

「っ、謝るな。謝るのは、俺の方だ」


 なんでレナートが謝るの?


「俺のせいだ……クソッ……まさか本当にキーラに手を出すとは」


 そういえば、来たばかりの頃、言っていた。


『俺のことが気に入らない。だが俺には手を出せない。代わりに……とかな』

 

 ぎりぎりと食いしばるレナートの頬が痛々しくて、団長室に着くまで、涙を拭きながらぼうっとそれを眺めていた――

 

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