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 ひんやりとした石壁に背中を預けて、座る。

 お尻が冷えるので、エプロンを畳んで敷いた。

 夜は長い。はるか上にある格子窓の先に、夜空が見えたので、星を数えてみる。寒い。雪の季節じゃなくてよかった。けれど、寒い。



 ――給仕の格好のまんまだもんな。

 


 軽装だ。動きやすいシャツ、くるぶしの見える、短めのパンツ。

 頭巾をはらり、と取ってみる。これを首に巻くだけでも違うか、と試すと、自身の頭の熱で暖かかった。

 ほどいた髪の毛先を、手でもてあそんでみる。鮮やかな赤い髪は、この辺りでは割と珍しい色で、すぐに顔を覚えてもらえた。



 ――私は一体、誰だったんだろうなあ……あ!



 そうだ、大切なことを忘れていた。

 あの腕輪には。


「おじさん! おじさん!」

 

 叫ぶと、先ほどのおじさんが来てくれた。


「どうした?」

「あの腕輪! 私の名前が、分かりづらいように彫ってあるの!」

「!?」

 

 老夫婦が私の名前をどうしようか、と悩んだときに見つけた「キーラ」は、腕輪に彫ってあった文字だ。

 残念ながら文字が読めない二人の代わりに、私が読んだ。

 この王国で文字が読み書きできるのは、貴族や豪商などの特権階級だけ。

 ソフィに読めるはずがないし、この辺で買ったものに、彫ってもらえるわけがないのだ。


「お願い、すぐに確かめて!」

「いやしかしだな……」

「しかしって、何!?」


 眉尻を下げて困ったように頭をかくおじさんに、ものすごくイライラする。


「まさか、あの腕輪」

「……御心配には、及びません」

「!?」


 急に、滑らかな声がした。


「私が持っています」

「あ」


 銀髪さんだ。

 食堂で、見慣れないお客さんだなと思って見ていた、あの銀髪さんが、なぜかここにいる。


「お嬢さんをこんなところに入れてしまって、申し訳ない」

「いえ。それより、貴方が持っているって」

「はい。こちらに」


 手のひらの上に乗っているのは――私の腕輪だ!

 

「名前! 確認してください!」

「ええ。裏側に……分かりづらいですが、確かにキーラと彫ってありますね」


 にこにこする銀髪さんが、不気味だ。

 この暗がりでも分かる。目は笑っていない。そして、おじさんが細かく震えている。


「なら、返して! ここから出して!」

「どうしようかな」

「どうしようかって、なんで!」

「あの食堂のマスターと女性が、君がお金を取ったと主張しているのは、変わらない」

「私は、そんなことしてないっ」

「それを、どう証明する?」


 

 ――なによその、試すような言い方! はらたつうううううう!

 

 

「私の部屋でもなんでも、調べれば良いでしょう!」

「お金を別の場所に、隠しているかもしれない」

「あのねえ! 大体、仕入れの時にお金のやり取りをしているのはマスターだけよ。お金の保管場所なんか知らない!」

「お会計の時は?」

「私が受け取るけど、全部決まった場所に入れているし……」



 ――あんまり言いたくないけど、仕方ないな……



「いるし?」

「カウンターの下に、ワックスタブレットを置いてる。それにここ一週間の売り上げが書いてあるわ」

「ほう!」


 ワックスタブレット、というのは、木の板に蜜蝋を流し込んで作ったもので、木の棒でひっかくと文字を書くことができるものだ。消したいときは、ヘラで良い、簡易なもの。

 市場で見つけて、字を忘れないように自分でいくつか買ったうちの一つを、売上記録のために使っていた。

 

「お金を取るような人間が、そんなことしないわよ」

「なるほどね。君は、なぜ読み書きができる?」

「……知らない。記憶がないの」

 

 銀髪さんは、目を細めた。


「ふーん。聞いたか? ……すぐに押収して持ってくるように」

「は!」


 おじさんが、走っていった。

 暗い牢、鉄格子を挟んで、二人きりになる。


「やれやれ。まあ私も、君が犯人だとは思っていないよ。あの娼婦だろうねえ」


 ニコニコと銀髪さんは、笑う。今度は目も笑っている。


「娼婦? て?」

「君を断罪した女性だよ」

「ソフィ? え? 娼婦なの?」

「おや、知らなかったのかい。酒場でめぼしいお客に声を掛けては――」

「いい、いい! 聞きたくない!」

「はははは」


 また、笑った。腕輪をもてあそびながら。


「それ、返してくれないんですか?」

「うーん」

「釈放してよ!」

「うーん。うん。条件がある」

「はあ!? 条件もなにも、無実だし私のだし……っていうか、聞くのすっごい怖いんですけど」

「ふふふふ」

 

 銀髪さんは、鉄格子に近づいてきて、言った。


「なんにせよ、君はもうこの町にはいられないだろう?」

「うぐ」


 それは、その通り。

 こんな小さな町で「泥棒で捕まった」という噂は……たとえ無実で釈放されたとしても、身を潜めて暮らすようなものになるだろう。しかも、住み込みしていた食堂には、戻れないし、戻りたくない。つまり、家もない。

 

 

「君を、雇おう。来てくれるよね?」

「……は!?」

 

 有無を言わさない銀髪さんの迫力に、思わず頷きかけた。

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