第4話

 結局、あの"銀行屋"襲撃騒ぎの後も僕と数奇院すうきいんとの間に会話はなく、"銀行屋"の業務が終わり次第、化学室に戻らざるをえなかった。


「はぁ……。」


 思わずため息がこぼれてしまう。それを佐々原ささはらは目ざとく聞きつけた。


「あれ、いずみ先輩。どうしたんですか、そんなに困った顔をして。」


 毛布にくるまったまま佐々原ささはらが尋ねてくる。まさかそのまま打ち明けるわけにもいかない僕は、苦笑を浮かべながら言葉をにごした。


「あはは、実は友達と今仲が冷え切ってしまっててね。」


「ええ、いずみ先輩が? 先輩なら誰とでもうまくやっていけそうなのに、よっぽど性格があっていないんでしょうね。」


「あははははは…………。」


 口にした本人には悪気がないのだろうが、その言葉はしっかりと僕精神に突き刺さる。まさに今悩んでいることの確信をつかれた僕はすこし涙がでそうだった。


 最近どうして数奇院すうきいんとうまくいかないのかと考えた時、その可能性は常に心の片隅に潜んでいた。


 結局のところ数奇院すうきいんと今関係が微妙になっているのは、獅子王ししおうの一件が原因だ。あの時、獅子王ししおうに固執した僕とさっさと見切りをつけるよう忠告し続け自分はその通りにした数奇院すうきいんとの違いはあまりにはっきりしていた。


 一応そののちに落とし穴から助けてもらった後はぎこちないながらも繋がりがプッツンと切れることは避けられたが、それでも数奇院すうきいんはそれも時間の問題だと僕にもう未練などないのかもしれない。


 そのことを考えると胸がぎゅっと締めつけられたようにやるせなくて悲しい思いが去来するのだった。


 そのまま表情を変えないようにしながら佐々原ささはらの看病を続ける。


「どうかな、僕が出かけてる間になにか変わったことはなかった?」


「はい、先輩。あいかわらず梅小路うめこうじさんには嫌な顔をされますけど。」


「ああ、みやびさんか……。また僕から頼んでみるよ。」


 自分もこの場を勝手に借りている立場な以上、僕はなにもいうことができなかった。佐々原ささはらを安心させる言葉を口にしながらも、僕は頭を抱える。


 一難去ってはまた一難とはまさにこのことか。


 佐々原ささはらの看病に数奇院すうきいんとの関係、神子かみこ高校の治安悪化。今の僕にはいろいろと悩みごとがありすぎて困ってしまっていた。


 そうブルーな気分に浸っていると、背後から小さな体がのしかかってくる。


いずみ殿、そんな辛気臭い顔をしてどうしたのだ!」


「ぐっ!」


 突然の衝撃に僕は肺の中の空気がすべて抜けてしまうかと思った。


 僕の背中に張りつく獅子王ししおうを無理矢理ひっぺがすと、目の前につるす。ニヘラとすこしも反省していない笑みを浮かべた獅子王ししおうに僕はかける言葉も見つからずただため息をつくばかりであった。



 ゴオォォォォォと石油ストーブが唸り声をあげて熱と光を化学室中にふりまく。その上で薬缶に入れた水を沸かしながら、僕はちらりと時計を見た。


 すでに長針が九時を回っている。窓の外は完全に真っ暗だ。


 今日、僕は朝からこのかた梅小路うめこうじの姿を見かけていない。こんな夜遅くまで化学室に戻ってこないことで僕は心配していた。


 ここ数日でこれ以上悪化することはないだろうと考えていた神子かみこ高校の風紀はどん底まで下落した。あの梅小路うめこうじに限ってそんなことはないと思うが、もしものこともあるかもしれない。


獅子王ししおうみやびさんがどこにいったのか知らないかな?」


「む~、わからぬな。梅小路うめこうじ殿とは吾輩、そこまで仲が良いわけでもないのでな。」


 佐々原ささはらがかすかな寝息とともに毛布を上下させる横で、獅子王ししおうが答える。チロチロと赤い舌を出す炎を見つめながら、僕はあと数十分待っても帰ってこなければ捜索をしに行こうと決めた。



 アツアツのコーヒーをフーフーと冷ましている獅子王ししおうを尻目に、僕は時計を確認する。もう十時だ、だが梅小路うめこうじはまだ戻ってきていない。


 梅小路うめこうじの安否を確かめようと僕が立ち上がったその瞬間、コンコンと化学室の扉が叩かれた。


 これは梅小路うめこうじが帰ってきたのだろうか。しかし、それなら扉をノックするのは奇妙だけれど。


 心にかすかな違和感が浮かぶも、それよりも心配していた梅小路うめこうじの帰還に安心する気持ちのほうが強くて、僕はすぐさま扉を開けた。


みやびさん、いったいどこにいってたのさ!」


 しかし、扉を開けたその先にいたのは、梅小路うめこうじではなかった。その人影を目にした途端、背後の獅子王ししおうが警戒態勢に入ったのを感じる。


「あ~、久しぶり? あたしなんだけど入ってもいいかな?」


 体育祭にて獅子王ししおうと優勝を争ったあの蛇塚へびづかが、すこし気まずそうな顔つきで立っていた。



「それで、今晩はどうしてここに?」


 ストーブの周りを囲むように座りながら、僕は目の前の蛇塚へびづかに問いかける。隣の椅子に座る獅子王ししおうは僕の腕にしがみつきながら蛇塚へびづかを睨んでいた。


「いやさ、ひとつ気になることがあって。どうしてあたしたちがひどい目にあっていないのか理解できないのさ。それで、あんたらが手をまわしたのかと思って…。」


 蛇塚へびづかが口を開く。どうやら蛇塚へびづかは今の自分の状況が理解できないらしい。


 体育祭で蛇塚へびづか神子かみこ高校のほぼ全校生徒から勝利を期待されて金を賭けられていたにも関わらず敗北した。なのに、なぜか未だに蛇塚へびづかは五体満足で毎日平穏に暮らしている。


「それが理解できねえんだ。普段なら負けたあたしに逆恨みが集中してぼこぼこにされてもおかしくないだろ? なのに今もあたしは普段通り生きてる。おかしくねえか?」


 蛇塚へびづかのいう通り、人間の悲しい性というべきか、体育祭では賭博で大損した生徒の怒りはいつも優勝した選手ではなく期待値の一番高かった選手に集中していた。それもかなり凄惨な目にあわせられている。


 それを鑑みると、今の蛇塚へびづかは異常といっても差し支えなかった。


「いや、べつに僕たちはなにもしていないよ?」


 だが、その訳を知らないのは僕も同じだ。蛇塚へびづかは僕がなにかをしたのだと考えているようだが、あいにくそんな記憶はなかった。


「……そうか。あたしはてっきりお人好しなあんたが梅小路うめこうじに頼みこんだのかと思ってたぜ。」


 相変わらずたばこに火をつけてスパスパと吸いながら、蛇塚へびづかが気になることを口にする。室内に充満する煙草の煙に僕は顔をしかめた。


「僕が梅小路うめこうじに頼みこんだって、いったいどういうこと?」


 僕の言葉に、蛇塚へびづかは眉を持ちあげる。


「あ、梅小路うめこうじのことお前知らねえのか? なんか最近、双六原すうごろくはら梅小路うめこうじのやつとなんかこそこそ会ってるらしいんだよ、聞いてもなんも教えてくれなかったけどな。」


 梅小路うめこうじ双六原すごろくはらと今、会っている? 僕と獅子王ししおうは困惑して目をあわせた。


 双六原すごろくはらといえば体育祭でとことんまで対立した相手ではないか。そんな双六原すごろくはら梅小路うめこうじがいったい今更何を離すというのか。


「普通に考えたら勝ったお前らの一味の梅小路うめこうじが落ち目の双六原すごろくはらに用があるわけねえだろ? だから、てっきりあたしはあんたが梅小路うめこうじになんかいったのだと……。」


 そののちも蛇塚へびづかがなにかを言っていたが今の僕には気にならなかった。無性に双六原すごろくはら梅小路うめこうじの関係が気になった僕は蛇塚へびづかに身を乗り出して尋ねる。


双六原すごろくはらみやびさんとの話について、なにかわかってることあるかな?」


みやび……? ああ、梅小路うめこうじのことか。いや、何か知ってたらもう言ってるっつうの。」


「いや、そこをなんとか。ほんとうに些細なことでいいから二人が何を話していたのか知らない?」


 食い下がる僕に蛇塚へびづかが思い出したとばかりに手をたたく。


「ああ、そういえば。」


「そういえば?」


双六原すごろくはらのやつ、"慈善屋"なんてよくわからないことを言ってたな。」

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学校を裏から支配する腹黒少女に執着されてます 雨雲ばいう @amagumo_baiu

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