第3話

 結局、佐々原ささはらは化学室で匿うこととなった。というのもその日の晩に高熱を出して寝こんでしまったからである。


 起きた直後は十分体調が回復したようにみえたが、結局それは空元気に過ぎなかったらしい。


 賭博で全財産を失ったという佐々原ささはら梅小路うめこうじは嫌っているようだったが、冷たい目つきにもめげずに頼み込んだおかげでなんとか許してもらえた。


いずみ先輩、ごめんなさい……。」


 頭の上にのせていた濡れ布巾を取り換えていると、弱弱しく佐々原ささはらが口を開く。くるまっている毛布の上をポンポンとたたきながら、僕はその場を後にした。



 廊下に出ると、今日も相変わらずたくさんの生徒がそこらで野宿している。一部の生徒などは屋内なのにもかかわらずそこらから拾ってきた枯れ木で焚火をしていて危なっかしいことこの上なかった。


 脇から飛び出してきた生徒が肩にどんとぶつかって、そのまま走り去っていく。その姿を見届けながら、僕は懐から財布が消えていることに気がついた。


 ……まぁ、囮のほうだったからよいのだけれど。周囲に気取られないようにほんとうの財布がちゃんとあることを確認し、ひと安心する。


 最近、神子かみこ高校の治安が日を追うごとに悪化していっている気がしていた。



 図書室の扉をがらりと開けると、数奇院すうきいんはすでにカウンターに座って帳簿をめくっていた。ちらりと顔を持ちあげて僕が入ってきたことを確認するも、そのまま帳簿作業に戻っていく。


 落胆する気持ちを抑えながら、僕は自分の持ち場の机の椅子に座った。


 意外に思われるかもしれないが、僕はこれまでずっと"銀行屋"の業務だけはきちんと行っているのだ。それこそ体育祭の時も自分に割り当てられた仕事は必ず終わらせている。


 もちろん、だからといって数奇院すうきいんとの関係が正常に戻ったわけではないのだけれど。


 普段ならちょっとした小話ぐらいはしていたはずの時間を無言で過ごす。しばらくして"銀行屋"が営業を開始した。


 普段よりもごっそりと減った預金の引き出しを粛々と進めていく。札束が目の前を通っていくたびに、神子かみこ高校での格差というものをまざまざと感じさせられた。


 そうしてしばらく"銀行屋"の作業を続けていると、数人の生徒がまとめて図書室に入ってくる。しばらくの間洗濯していないのか染みがところどころについた制服をまとったその一団は、一般の客とは思えないほど剣呑な光を目に宿していた。


 視界の端で、太刀脇たちわきがそっと木刀に手をのばして警戒をあらわにする。だが、本格的にことを起こすまではさすがに武力行使に訴えることはできない。


 その一団はまとめて僕の前の椅子にどかりと座りこんだ。


 とたん、足元にチクリとした感覚が伝わる。思わずその一団の先頭の女子の目を見つめると、顎をくいっと持ちあげる。


 そうっと手を足のほうにのばしていくと、また指先にちくりとした痛みが走る。相手を刺激しないよう手を持ちあげると、指先がぱっくりと割れていた。


 どうやら僕は足元になにやら刃物を突きつけられているらしい。


「それで、あたしこんだけの金額引き出したいんだけど……。」


 まるで普通に預金を引き出しに来た一般客のようなそぶりをしながら、紙切れを僕の目の前にすっと差し出す。


 そこには騒がないこと、そしてちゃんと正当に預金を引き出しに来た生徒だとほかの"銀行屋"の仲間に思わせて指定された金額を手渡すことなどが書かれていた。


 どうやら彼らは"銀行屋"破りをしに来たようだ。


 しかし、なんとも無謀なことを。僕は無駄だと知りながらもその指示に従った。


しずか、ここのお客さんが結構な金額を引き出したいらしくて、多分お金が足りない。金庫を開けないと。」


 紙切れに書かれている金額は事前に金庫から取り出しておいたお金の量では到底足りないほどのものである。僕は正規の手順に沿って数奇院すうきいんに声をかけた。


「そう。それならそこのあなたたち、口座の名義と引き出したい金額を答えなさい。」


 カウンターに座った数奇院すうきいんが顔をあげすらせずに必要事項を問いかけてくる。


 一団の一番端にいた男がぎろりとこちらを睨んでくるが、僕にはどうしようもない。彼らの条件に従うためには必要なことなのだ。


「あ、ああ。我々は"転売屋"の桜木の名代としてここに来た。引き出し金額は百万だ。」


 先頭の女子が目を泳がせて冷や汗をかきながら答える。さすがにそれぐらいの設定は用意していたようだ。


「では、その確認を行うわね。八桁の記号の暗証番号を教えてくださる?」


 数奇院すうきいんの言葉に、一団の中に緊張が走る。このような確認作業が存在することまでは調べ切れていなかったらしい。


 お粗末な強盗計画ではあるが、そもそも普通の生徒はここまで厳重な手順で預金を引き出した経験がないからこそここまで慌てふためいているのだろう。


 普段なら僕が本人だと目視で確認した時点でお金を渡しているのだ。


「どうかしたのかしら? はやく答えてくださるとありがたいのだけれど?」


 数奇院すうきいんがこれ見よがしに机の上をトントンと指で叩き始める。それに急かされたのか、黙りこくったままの一団のうちの一人が賭けに出た。


「も、もちろんだ。暗証番号は、S・A・K・U・R・A・G・Iだろう?」


 "転売屋"の桜木さくらぎの情報リテラシーは壊滅的なのだろうと踏んだらしいその男子生徒に一団のうちから驚愕の視線が集まる。数奇院すうきいんの言葉を待つその男子生徒はまるで祈るようにぎゅっと目をつぶっていた。


「……いいでしょう、確認しました。ところで、緊張するのはいいのだけれど、あまり不審な様子を見せないでくれるかしら。一瞬強盗だと思ってしまったわ。」


 数奇院すうきいんの言葉に、緊張が一気にほぐれていった。あてずっぽうで一か八かの賭けに勝利したその男子生徒を称賛するかのように何人かが数奇院すうきいんから見えないよう背中をたたく。


「さて、そうね。書類仕事をいずみくんとしてくれる人がひとりは必要だから、残りのみなさんはわたしについてきてくれるかしら。」


 数奇院すうきいんの指示の意図がつかめなかったようで、一団はきょとんとしたまま固まってしまった。


「なにをしているの? 大金を引き渡すときはできるかぎりたくさんの目があった方がいいでしょう、誰かが持ち逃げしないとも限らないのだから。」


 数奇院すうきいんがいらだったように声を荒げる。


 ようやくそんなに大人数でお金を受け取る理由を理解した一団は、僕に刃物を突きつけている女子ひとりを残して色めき立ちながら机を離れた。



 次の瞬間、太刀脇たちわきの木刀がその女子を吹き飛ばした。



「なっ!?」


 一団が太刀脇たちわきの突然の凶行に目を丸くしている間に僕はとっとと椅子から立ち上がって図書室の奥へと逃げ出す。


 いつの間にか図書室の扉の前にたっていた数奇院すうきいんは後ろ手に鍵を閉めながら、にっこりと笑った。


「では、太刀脇たちわきさん。お願いできるかしら。」


 主からのゴーサインが出た狂犬は、その本領を申し分なく発揮する。我に返ったwその一団が突進してくるのを木刀ですぐさま叩き伏せてしまった。


 苦痛に呻きながら気絶したまま横たわる強盗の生徒たちに、心の中で合掌する。


 そして、一団から凶器をすべて没収したのち、廊下に放り投げた。


 実のところ、暗証番号は記号ではなく数字なのだ。これはもしも誰かになりすまして預金を盗み取ろうとした生徒が現れた時のための対処法としてお得意様にだけ明かされている秘密である。


 まぁ、なにはともあれあまり褒められた計画ではなかったようだ。


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