第2話

 その生徒が言うには、体育祭の賭博の熱狂に背中を押されて持っている有り金すべてを蛇塚へびづかに賭けたというのだ。


「誰だって蛇塚へびづかが勝つって言ってた、そんな確実に儲けられるなら、大金を賭けてこれから先金策なしでも暮らしてけるようになれるって言われたんだよ。」


 吹きさらしの廊下にうずくまりながら、その生徒が語る。どうやら体育祭の前に蛇塚へびづかに賭ければ確実に勝てるという噂が一斉に広まっていったらしい。


 そして、その噂に騙された人間はとてつもなく沢山いたとも。


「みんな頭がおかしくなってたのさ、絶対なんて賭博であるはずないのにな。」


 熱に浮かされたようなふわふわとした目で生徒が自虐的に語る。その手に僕は周りに見えないよう一千円札を握らせて、廊下を後にした。


 背後でドタバタとその生徒がどこかに駆けていくのを耳にする。


 ……どうやらこんなに今年の冬に金欠の生徒がいるのは賭博で全財産をすったかららしい。自業自得といえるのか、それとも金がものをいうこの高校の哀れな犠牲だというべきなのか、僕は頭が痛くなってきた。


「とにかく、今は早く廃教室に行こうや。」


 梅小路うめこうじが背後から囁いてくるとおり、とにかくこのことはいったん忘れて僕は廃教室までの道を急いだ。



 しかし、それはほんのわずかの現実逃避にしかならなかったようだ。


 いつもの廃教室は様変わりしていたのだ。いつもの数倍はいる僕の食料を待っている生徒の数に、僕はめまいがする。


梅原うめはら……。これはいったいどういうことなの?」


 人ごみをかきわけながら近づいてくる梅原うめはらにこんなに人数がいるわけを尋ねる。半ば答えを予想した問いかけに、梅原うめはらは想定通りの返答をしてきた。


「兄貴、すみません。どうやら賭博で全財産すっちまった馬鹿が沢山いたみたいで……。」


 梅原うめはらのいう通り、廃教室に集まった面々の中には、普段保護者からの仕送り額が比較的大きく羽振りの良かった生徒までもがちらほらと混じっていた。


 どうやら、体育祭での獅子王ししおうの勝利という番狂わせは予想以上に深刻な影響を与えていたようだ。


 ビニール袋の中を覗き見る。


 もちろん、そこにはこれほどまでに沢山の生徒の分の食事は入っていない。


梅原うめはら、ごめんだけど一人分の食料の量を減らさなきゃいけない。また明日にでももっとたくさん作ってもってくるから我慢してくれるかな?」


「いえ、誤らなけりゃいけないのはこっちのほうでさ。まさかこんなことになるだなんて予想すらできてなかった俺が悪いんです。」


 梅原うめはらと手分けして食料を配っていく。普段よりも明らかに少ない量の食料に常連の生徒はどこか察したようだった。


 ただでさえ少ない食料がどんどんなくなっていく。生徒全員が廃教室から姿を消すのと、手元のビニール袋が空っぽになるのはぎりぎりだったと言わざるを得なかった。


 これは次からできる限り原価を抑えて、その分量を確保しなければいけない。僕の所持金だって限度というものがある。


 "銀行屋"としてけっこうな大金を受け取っているものの、今までだってけっこうカツカツでやってきたのだ。これからの幸先が怪しいことに僕はただひたすらため息をこぼすばかりだった。



 必然、廃教室からの帰り道も先行きについて暗い考えばかりが浮かんでくる。神子かみこ高校内の雰囲気もどこか殺伐としたものになっていた。


 よくよく注意を払ってみると、"転売屋"の目を逃れるようにして奇妙な売店が増えているのがわかる。


 その中身は、山や裏庭から拾ってきた木の実や雑草、きのこなどを格安の値段で売っている、法律どころか倫理的にもグレーゾーンを突っ走っている店ばかりだった。安全性などへったくれもない。


 そこまでこの高校はひどい状況に陥っているのか、と僕が戦々恐々としていると、ふと梅小路うめこうじが脇にいないことに気がつく。


 いったいどこにいったのかと探していると、少し先のところでしゃがみこんでいるのが見えた。


みやびさん? いったいどうしたの?」


いずみはん、ちょっとこの子大変や! 気失っとる!」


 妙な動きをしている梅小路うめこうじに一瞬違和感を覚えるも、次の瞬間に飛んできた言葉にそんな感情は吹っ飛んでいった。


 確かによく見てみると、梅小路うめこうじの傍にボロボロの雑巾のようなものが横たわっている。それは穴だらけの毛布にくるまっている生徒の姿だった。


 慌てて駆け寄ると、梅小路うめこうじがちょうどその生徒を抱きかかえて起こしているところだった。


「しっかりせえ、気は確かか!」


 軽く体を揺さぶっている梅小路うめこうじの脇からその肌に触れてみる。とたん、雪とさして変わらないような冷たい感触が返ってきた。


みやびさん、とにかく化学室のストーブの近くまで運ぼう!」


 とにかく暖かいところまで運んでいかないとまずいかもしれない。僕はその生徒を抱きかかえると化学室目指して走り出した。


 雪が積もって滑りやすくなっている廊下を走りながら、生徒の様子をうかがう。女子と見まがうほどに小柄で華奢なその男子生徒の童顔は苦しげに歪んでいた。



 その生徒が目を覚ましたのは、もう日が暮れてからずいぶんとたったころだった。毛布にぐるぐる巻きにされ、石油ストーブの前の一等席に横たえられた少年が瞼を持ちあげる。


「あ、気がついた?」


 ずっとはらはらしながらその男子生徒を見守っていた僕は、うれしくて思わず顔をほころばせてしまう。


「あれ、どうしてボクはここに……?」


 頭を抑えながら、起き上がった少年がぼんやりと周囲を見渡す。そして、僕と目があうと顔をこわばらせた。


「え? ど、どうかしたの?」


「なんやいずみ。そいつ起きたんか?」


 近くから梅小路うめこうじが近寄ってくる。僕はその少年のどこか怯えた様子に驚いておもわず固まってしまった。

「あ、いずみ殿! いじめはダメであるぞ~!」


 獅子王ししおうの雑な弄りにも反応できない。


 次の瞬間、少年が毛布から抜け出すと飛び上がり、すぐさま華麗に土下座を決める。


「ぎ、ぎ、"銀行屋"にご迷惑をおかけして誠にすみませんでしたぁ~! どうか命だけはお助けを~!」


 少年の予想外の行動に僕は内心自分がなにをしてしまったのか本気で不安になったのだった。



「それで、佐々原ささはらくんはどうしてあそこに横になっていたの?」


 少年の名前は佐々原ささはらというこの高校に入学したばかりの一年生、つまり僕の後輩なのだそうだ。どうやら僕のことは"銀行屋"に預金を引き出しにいくときに見かけていたみたいで、それで覚えていたらしい。


「いやぁ~、お恥ずかしいことにこの前の体育祭の賭博で全財産以上の金額を賭けてしまいまして、今も取り立てから逃げていて廊下に落ち着いたんですよ。しばらくそこにいたらだんだんひもじくて寒くて意識がもうろうとしてきて……。」


 そして、しばらく気を失ったのちに、目を覚ました途端"銀行屋"の僕と目があったので、てっきり"銀行屋"まで取り立てに手を貸しているのだと勘違いしてしまったらしい。


 確かに数奇院すうきいんならやりかねないことかもしれない。


 背後でゴミでも見るかのような目つきで佐々原ささはらを睨んでいる梅小路うめこうじからかばいながら、僕はため息をついた。


 またしても体育祭の賭博がでてきた。


 入学したてで体育祭についてもあまりなじみのない新入生までもがここまで追い詰められているだなんて、いったい高校全体にどれほどの影響が出ているのだろうか。


 想像して思わず身震いする。


佐々原ささはらに暖かいコーンポタージュを差し出しながら、僕はただひたすらにこの高校の将来を案じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る