"慈善屋"の革命少女

第1話

ごうごうと雪が窓に吹きつけてくる。神子かみこ高校の校舎がある山間部の谷は、いつも冬になるとよく雪が降るのだ。


 ぴゅうと壁からの隙間風が僕の顔を撫でる。あまりにもの寒さに僕はコートの中にぎゅっと縮こまった。


 前にも述べたかもしれないが、神子かみこ高校は昔の村立高校の校舎を流用してつかっている。だからこそ、おんぼろな校舎には冷房などという上等なものはあるはずがなかった。


 目の前でチロチロと火を吹いている石油ストーブを見つめる。冬の神子かみこ高校においては、こういった暖房器具が生命線であった。


いずみ殿、手番が回ってきましたぞ。」


 獅子王ししおうがなにやら楽しげに手に持っていたさいころを僕に渡してきた。窓の外を眺めて現実逃避をしていた僕はため息をついて、さいころを転がす。


 出た目はまた1。


 駒をひとつ進めると、僕はふてくされたように椅子に深々と座りなおした。


「ほんまいずみはんは運がないわなあ。」


 哀れな目つきですでにゴールまであがっている梅小路うめこうじが僕を見つめてくる。放っておいてほしいとばかりに僕は沈黙を貫いた。


 今、退屈を持て余した僕は梅小路うめこうじ獅子王ししおうと一緒に化学室で双六遊びに興じ、見事に惨敗していた。冬の雪に閉ざされた神子かみこ高校ですることがほかにないとはいえ、つまらないことはつまらないのである。


「これで、吾輩もゴールであるな。」


 あっさりと6を出した獅子王ししおうが自身の駒をゴールマスまで進める。すっかり元通りの元気な姿を取り戻した獅子王ししおうを僕はぼーっと見つめていた。


 体育祭が終わってからしばらくたって、世紀の番狂わせに熱狂していた生徒たちもずいぶんと落ち着いている。


 体育祭で見事に優勝した獅子王ししおうは大金を手に入れるとともに自信も持てるようになったのか、すっかり明るい元来の性格を表に出すようになっていた。


「いやー、それにしても《いずみ》殿は残念でしたな、まさかずっとあんなしょぼい出目しか出ないとは吾輩、感服しましたぞ!」


 雑な煽りをしてくる獅子王ししおうにあんなに頑張って体育祭のことを手伝っていた自分がなんだか馬鹿らしくなって深いため息をこれみよがしについてしまう。


 変わったところといえば、妙にボディタッチが増えたことぐらいか。うがぁ、と飛びついてきた獅子王ししおうを適当にあしらいながら、僕はまた例の悩みが首をもたげてくるのを感じた。


 獅子王ししおうとの仲を修復できた一方で、同時に生じた数奇院すうきいんとの間のぎこちなさは消えることがなかったのだ。


 別に数奇院すうきいんが僕に対してけんもほろろな態度をとっているわけではない。そうではないのだが、僕はどこか数奇院すうきいんに対して壁のようなものを感じていた。


 いつも数奇院すうきいんが浮かべている冷たげな笑みも、僕が近づくとすぐに消えてしまう。どこか困惑したような、焦燥を感じているかのような雰囲気を数奇院すうきいんは隠しきれていなかった。


 それに、まだ僕は化学室で寝泊まりしている。機会を逃したというか、なんだか今図書室に戻ることはできない気がしたのだ。


 まだ獅子王ししおうの件について数奇院すうきいんは怒っているのだろうか、それともなにかほかの理由でもあるのだろうか。


いずみ殿、ほいっ。」


 そんなふうに深く自分の考えに没頭していた僕の口に、獅子王ししおうがアツアツの餅を放り投げてきた。


 口の中に広がるきなこの風味と砂糖の甘み、そしてなによりもすさまじい熱に僕が目を白黒させていると、目の前の獅子王ししおうがにやにやと笑っていた。


 どうやら石油ストーブの上で焼いていた餅がうまくできあがったらしい。


「しぃ~しぃ~お~う!」


 僕が低い声で名前を呼ぶと、何が面白いのか獅子王ししおうはキャッキャッと喜びながら化学室から逃げていった。


 賑やかだった獅子王ししおうが去ったのちの化学室には、ストーブのぱちぱちと爆ぜる音と風が窓枠を揺らすガタガタという音だけが聞こえてくる。


 灰色に染まった空を見つめながら、僕は口の中に残っていた餅をよく噛んで飲みこんだ。


いずみはん、そういえばさっきなに考えとったんや?」


 もこもこの半纏を羽織った梅小路うめこうじがなんでもないかのように尋ねてくる。


「ああ、いや。しずかと仲直りしたいなぁって。体育祭からずいぶんたってるのにまだ、なんていうかさ、ぎくしゃくしてるから。」


 そう、数奇院すうきいんの名を出したその時に、僕は化学室の空気が数度低くなったように感じた。


 ストーブの傍で手をさすっていたはずの梅小路うめこうじがいつの間にか目の前で僕の顔を覗きこんでいる。顔は笑っているが、その目はいっさいの感情を浮かべていなかった。


「なんや、いずみはん。化学室から出てくいうんか?」


「あ、うん。将来的には、ね……。」


 梅小路うめこうじが僕の両肩を掴んで目をあわせてくる。その剣幕に怯えた僕はぼそぼそとした声で答えた。


「……それはえろう寂しいなぁ、いつまでもここにおってほしいわ。」


「あ、あはははは……。考えとくよ。」


 僕の苦し紛れの言葉に梅小路うめこうじが取り繕うように目尻をさげる。そのまま柔和な表情を浮かべてまたストーブ近くの椅子に座りこんだ。


 変わったといえば梅小路うめこうじもまた様子がおかしいのだ。なぜか僕が数奇院すうきいんの名前を出すたび、化学室にとどまるよう要求してくるのである。


 数奇院すうきいん梅小路うめこうじが犬猿の仲であることを考えればおかしくはないのだろうが……。


 また梅小路うめこうじと僕との間に沈黙が漂う。そのいたたまれなさに急き立てるように僕は用事を思い出した。


「あ、そういえばまだ梅原うめはらたちのところに食料を届けてなかったや。ごめんだけど、失礼するね。」


「そうなん? やったらうちもついてくわ。今日は薄暗いからいろいろと危ないやろ。」


 距離をとりたい一心での僕の言葉と裏腹に、梅小路うめこうじが同行を申し出てくる。断る理由もでっち上げられなかった僕は、しぶしぶ梅小路うめこうじと二人出かけることにした。


 机の上にしばし二人で化学室を後にする旨の書置きを獅子王ししおうにむけて残しておく。


 扉を開けた瞬間、室内とは比べ物にならないほどの寒風が吹き荒れる。外の廊下の窓はどれも割られているので、外からの風を遮るものがなにもないのだ。


 降りしきる雪は校舎の中にも入りこんでいて、廊下はうっすらと白く積もっていた。


 あまりにもの寒さに体が震える。今年は特に厳冬らしく、特に神子かみこ高校で暮らす生徒たちにとってはつらい日々が続きそうだ。


 梅小路うめこうじとふたり、ぴったりくっつきあって廊下を進んでいく。灰色の空からはいつまでも白い雪が降り続けていた。




 廊下を進むにつれて、僕はなにかがおかしいことに気がついた。ボロボロの布切れにくるまった生徒たちがえんえんとなにをするでもなく廊下の片隅でうずくまっているのだ。


 何の気なしに近くの窓が割れた廃教室の中を覗きこんでみる。そこに広がっている光景をみて、僕は目を見張った。


 何人もの生徒が、暖房器具のない寒風吹きさすぶ廃教室でなけなしの毛布にくるまって震えているのだ。


 おかしい、こんな光景は僕は今まで見たことはなかった。


 恐らくは、石油代を払うことができずに石油ストーブのある教室から追い出された生徒たちなのだろう。冬の神子かみこ高校では珍しくないことであるのは確かだ。


 だから、僕が驚いたのはその存在ではなく、数だった。


 普段ならこれほどまでに追い詰められた生徒など数人いるかいないかだった。だから、僕がどこかの廃教室に密かに石油ストーブを持ちこんで提供すればよかった。


 だが、今年の人数ではそんなことをするわけにはいかない。いくらなんでも僕はそんな大金を用意できない。


 いったいこれは何が起こっているのか。


「ねぇ、君。お金は使い切ってしまったの?」


 僕は傍で横になっている一人の男子生徒に声をかけた。しばし胡乱げに僕を見上げていたその生徒は、しばらくしてその重い口を開く。


「あの体育祭の賭博だよ、それですべてが狂っちまったんだ。」

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