第30話
泥だらけの落とし穴の底に寝転んだまま、僕は目をぱちぱちさせる。天井の隙間から聞こえてきたその声は確かに例の天才な友人のものであった。
「……
「わたし以外の誰にみえるの?」
ガラガラと金属板がいともたやすく開かれていく。
「ありがとう、助けに来てくれたんだね。」
「べつに、これ以上遅れられると二人三脚の出場が間にあわないでしょう?」
予想していたことだが、
その間も、
それを伝って、なんとか僕は一晩中いた落とし穴から脱出することに成功した。そんな僕に
そういえば、僕はあの後にロープを解体してまた泥と血で汚れた体操服を着たのだった。
「あ、ありがとう。………
「早く着替えてしまいなさい。このままだと二人三脚に遅れてしまうわ。」
「厚かましいお願いなのかもしれないけれど、もうすこし急がない? できれば僕、
僕の言葉に前を歩く
「残念だけれど、この時間ならもう徒競走はとっくに終わっていると思うわ。結果はわたしにもわからないけれど。」
「そっか。」
残念なことだけれど、もう徒競走は終わってしまっているだろうとのことだった。
「結果が気になるようなら、急いでも構わないけれど?」
「いいや、僕は
「……ああ、そう。」
どうやら、僕は言葉選びを間違えたらしい。なんとかして話題を変えてこの微妙な雰囲気を追い払いたいと考えた僕は口を開いた。
「そういえば、どうやって
ふと思い浮かんだ疑問を
「ずっと、見張ってた。初めから、ずっと。」
「えっ。」
正直なところ僕はとっくのとうに
「……。」
前を歩く
「……別に、あなたが例の画集から手に入れた情報をどう扱っているのか見張っていただけよ。今助けたのもあなたと
体制を崩した僕を抱きかかえて立たせながら、
「うん、それでもありがとう。僕はてっきりもう
「……わたしに嫌われたくないというのなら、今回みたいな馬鹿な真似はもうよしなさい。あなたはわたしの傍でわたしが許したことだけすればいいじゃない。」
僕の言葉に、
「それは無理かな。
「……そう、なら勝手にしなさい。」
こればかりは嘘をついてもしかたがないと思った僕は思いをそのまま伝える。
「そうそう、実はわたし、あなたに嘘をついていたわ。急げばおそらくまだ徒競走に間にあうの。
「それほんとう!? なら急ごうよ、
「……別にわたしはいいわ。行くならあなたひとりで行きなさい。」
「
今まで見たことのない、初めての
「どうしたの?
それはその通りで、僕は今すぐにでも駆け出したかった。だが、それでも今の僕には
しばし躊躇したのち、僕は
「ごめんね、先にいってるよ。」
「……ええ。」
うつむいたままの
聴覚が異常に研ぎ澄まされていく。今なら数キロ先に落ちた針の音でさえも聞き取れてしまいそうだ。
目の前に高らかに掲げられた黒光りしているスターターピストルにすべての神経を注ぎこむ。先生の白い指にぐっと力がこめられた。
パンッ。
乾いたモノクロな音が広い運動場中に響き渡る。それと同時に、世界が止まった。
脳から発せられた信号が足に到達するのが待ち遠しくてしかたがない。足の裏で地面を強く蹴りつける感覚が伝わると同時、ロケットのように
周囲の群衆が大騒ぎしている。すでに走り出しの時点で選手の間には残酷なまでの差が生じていた。
大半の選手は出遅れている。その集中力の欠如はどうやら致命的になりそうだ。
いく人かの選手は驚くべきことに
そして、最前列。
まるで朝に軽くジョギングをしているかのような、そんな気楽さすら感じさせるまるで緊張のない表情。
今大会優勝最有力候補の
大地を蹴り、死に物狂いで
地面を貫かんばかりに突き出された足が砂利を背後に吹き飛ばしていく。もはやこの徒競走で勝てれば死んでもいいと、
恐らく、これほど速く走れたことは
だが、それでもまだ
視界の端で満足げに笑う
初め、
どんなに走ろうとも
そして、ああ、とうとうゴールが近づいてくる。眼前にゴールテープを構えた生徒が待ち構えているのが見えた。
観客もすでに試合は終わったとばかりの様子だ。
敗北の気配が
もう、無理なのかもしれない。土台、
その時、
その姿を目にしたとき、ぷちんと
とたん、
聴覚も、触覚も、嗅覚も、すべての感覚が遠ざかっていく。なにもかもが消え去った世界で、
ただひたすらに足を前に出す。今まで離される一方だった
ざわりと、群衆がどよめく。
そして、追い抜いた。
そうして、少女は疾走した。
瞬間、腹部になにやら抵抗を感じる。ゴールテープを千切りとりながらぶっちぎりの一位で勝利した
生徒たちの怒号と悲鳴、歓声が聞こえる。腰にまきつく白いゴールテープ、秋晴れの大空に広がる青、運動場の見慣れた茶。
その全てをおいて、
「おめでとう。」
気がついたときには、
そして、泣きじゃくりながら驚く
少女の勝利を称えるかのように、試合結果を告げるチャイムが運動場に響いた。
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