第22話

 あの日から、獅子王ししおうは姿を消した。


 神子かみこ高校ではしばらくの間生徒が行方不明になることは日常茶飯事で、誰も気にとめない。どうせ数日後には傷だらけで病院に送られるか、さもなくば警察署に放りこまれているからだ。


 だが、これが体育祭の最有力候補である獅子王ししおうの失踪となれば話が違う。


 教室は今日もその話題で持ちきりだった。気の早い生徒はかけ金の賠償請求まで話し始めている。


 僕は昏く沈んだ気持ちを抑えこみながら、教室を後にする。ほこりだらけの誰も使っていない男子トイレに駆けこんだ僕は、梅小路うめこうじがやってくるのを待つ。


 何食わぬ顔をして歩いてきた梅小路うめこうじに、僕はそっと告げた。


梅原うめはらの伝手から、獅子王ししおうの居場所が分かったよ。双六原すごろくはらが用意した山の中の隠れ家にいるらしい。」


「ふぅん、そっか。」


 獅子王ししおうのことについては全く興味なさげな梅小路うめこうじに続きの言葉を口にしようとして、僕はしばらくの間口ごもってしまう。


 僕はまだその情報を受け止め切れていなかったからだ。


「……ただ、その。ほとんど廃人みたいになってずっと天井の一点を見つめて一日を過ごしてるって。」


 化学室から走り去ってからこのかた、獅子王ししおうは体育祭にむけた練習さえも一切していないそうだ。明らかにあの時の会話が原因である。


 果たしてあの時僕がかけた言葉は間違っていたのだろうか。罪悪感に押しつぶされそうになりながら僕は報告を追える。


 梅小路うめこうじは最後までその会話を聞いたのち、閉じていた瞳を開けた。


「さて、ほならそろそろこっちの準備もそろったことやし、カタつけよっか。」


 ひらひらと数枚の葉書をかざしながら、梅小路うめこうじはかねてから用意していた準備が完了したことを告げる。


 双六原すごろくはら蛇塚へびづかとの間に並々ならぬ関係があるとわかってから、僕たちは密かに双六原すごろくはらへの切り札を用意していた。


 おそらくは、これで獅子王ししおうから双六原すごろくはらの手を引かせることができるだろう。だが、獅子王ししおうを救えるかどうかはまた別の話だった。


 暗い顔に気がついたらしい梅小路うめこうじが僕を励ますように頭をぐしゃぐしゃとなでてくる。


「まずは双六原すごろくはらや。獅子王ししおうについてはその後でええやろ?」



「それで、わざわざこんな辺鄙な我が家まで来ていったいなんの用ですかな?」


 太刀脇たちわきのそれに勝るとも劣らない山奥に居を構えるあばら小屋、そこを訪れた僕たちは護衛の生徒にあっさりと拘束されると、そのまま双六原すごろくはらの前に突き出された。


 双六原すごろくはらが余裕しゃくしゃくといった体で僕たちを頭からつま先までしげしげと見つめてくる。


 そんな双六原すごろくはらの視線を真っ向から見つめ返していると、背後の護衛が僕の腕の拘束をより一層強めた。肩に走る痛みに思わず顔をゆがめる。


「こらこら、自分の指示なしにそんなことをするものではありません。曲がりなりにもそこのいずみくんはあの"銀行屋"の数奇院すうきいんの庇護を受けているのですから。」


 双六原すごろくはらの言葉に慌てて護衛が僕たちの拘束を解く。バキバキと痛そうに肩をほぐす梅小路うめこうじを尻目に、僕は双六原すごろくはらに単刀直入に用件を告げた。


「今日は、獅子王ししおうから手をひいてもらうためにここまできた。」


「ほう?」


 僕の言葉に双六原すごろくはらの瞳が興味深げにきらりと光る。


「それはそれは、ずいぶん乱暴な話ですね。ですが、自分がただで金づるである獅子王ししおうを手放すとでも?」


双六原すごろくはらにとっては獅子王ししおうは本命じゃないでしょ?」


 双六原すごろくはら蛇塚へびづかの密会をとらえた例の写真をかざして、僕はすぐさま双六原すごろくはらの発言を否定した。


 目を見開いたまま双六原すごろくはらの動きがしばらくの間止まる。ようやく口を動かしだした双六原すごろくはらの目にはすでに先ほどまでの面白がっているような様子はなかった。


「よく気がつきましたね。正直なところ、完全に騙されたものだと思っていたのですが。」


「それは僕じゃなくて僕の友達に言って欲しいな。僕は全く気がつかなかったから。」


 ずいぶんと優秀な協力者をお持ちで、とつぶやいた双六原すごろくはらは暗に自らの裏切りを認めた。


「しかし、それがいったいどうしたというのです? 蛇塚へびづかの敵は少ないほうがいい、保険として獅子王ししおうを薬漬けにして飼い殺せるのならばそれにこしたことはないでしょう。」


「まあ、それはそやな。」


 今の今まで沈黙を守ってきた梅小路うめこうじが口を開く。


 恐らくは梅小路うめこうじの存在を今の今まで忘れていたのだろう双六原すごろくはらはわざとらしく目をまるくしてみせた。


「ええと、あなたは梅小路うめこうじさん? 残念ですが、これは自分といずみくんとの間の話です。部外者は首を突っこまないでいただきたい。」


「そんなつれないこと言わんとってや。うちは実はおたくの蛇塚へびづかはんの煙草に困っとってな、文句があるねん。」


 鼻をつまむそぶりをしながら梅小路うめこうじが今度は煙をくゆらせている蛇塚へびづかの写真を取り出す。


「ほら、これ。神子かみこ高校はすべて禁煙やなかったかな?」


「それがどうかしましたか? ここの生徒なら誰しもがそうでしょう?」


 梅小路うめこうじの言葉に双六原すごろくはらはたいした意味を見出せないようだ。戸惑ったように言葉を返す双六原すごろくはらに、梅小路うめこうじは最後の手段を取り出した。


「葉書……?」


 訝しげな双六原すごろくはらの眼前に、梅小路うめこうじが数枚の葉書をかざす。


「いや~、蛇塚へびづかがあんまりにも酷いもんやからな、親はいったいどないな教育しとんねんと不思議に思ったんよ。で、文通してみたわけや。」


 梅小路うめこうじの言葉に、双六原すごろくはらはなにやら嫌な予感がしたのか一筋の冷や汗を額に流す。


 そう、梅小路うめこうじはなんと先生の娘という立場を利用して先生のふりをして大胆にも蛇塚へびづかの保護者と連絡をとったのである。


 正直、頭がおかしいと思う。


「それでな、話してみたらな、意外と話があったんよ。あちらのご両親はきちんとした方々でな、ドーピングなんてこと許されんと怒ってはったわ。」


――――もし、もう一度娘はんがやらかしたら、今度こそ高校止めさすって。


 それは直接的な脅迫だった。梅小路うめこうじは親に喫煙について伝えて蛇塚へびづかを退学に追いこんでもいいと告げたのだ。


 双六原すごろくはらは軽く舌打ちをした。


「……あの馬鹿が。だからあれほど自分は煙草を止めろと口うるさくしたというのに、まだやめていなかったのか。」


 双六原すごろくはらがひとしきり悪態をつく。その後、驚くほどあっさりと双六原すごろくはらは敗北宣言をした。


「いいでしょう、獅子王ししおうから自分たちは手をひきましょう。」


 あっさりと獅子王ししおうを諦めると告げた双六原すごろくはらの顔を僕はまじまじと見つめてしまう。あれほど獅子王ししおうに固執していたのにどうしていきなり態度を変化させたのだろうか。


 僕の視線に気がついたのか、双六原すごろくはらは首をすくめてみせた。


「できることなら獅子王ししおうは手元で潰しておきたかったのですが、今はもうその必要もないでしょうから。」


「必要がない?」


 思わせぶりな双六原すごろくはらの言葉選びに、僕は思わず問いたださずにはいられなかった。双六原すごろくはらが立ち上がり、奥の扉にむかう。


「なに、簡単な話、今の獅子王ししおうは自分たちの敵たりえないということです。あんな状態では、体育祭はもとより、日常生活ですら、ねぇ……?」


 ギィッと木製の扉が開かれる。その奥には粗末なベッドしかない、暗い小部屋があった。


 じめじめとした、陰気で嫌な部屋だ。天井付近に設けられた小さな窓から差し込むわずかばかりの日光だけが部屋の証明であるようだった。


「さて、念願のご対面と行きましょうか。」


 双六原すごろくはらが大仰に部屋の中にいるものを僕たちに見せつける。それは、床にうずくまってただひたすらに天井の虚空を見つめていた。


 思わず僕は部屋の中に駆け寄って、その姿を目にした途端、呼吸が止まる。


「それでは、あとはごゆっくりどうぞ。この山小屋に自分たちはもう用がありませんから。」


 背後から聞こえる双六原すごろくはらの言葉がえらく遠く感じられた。


 虚ろな瞳に、ぶらんと垂れた腕。半開きになった口からは絶えず言葉にならない音が漏れ出ている。


 そこにはかつての活発な印象から変わり果てた獅子王ししおうの姿があった。

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