第19話

「どういうこと?」


 梅小路うめこうじの意図がつかめない僕は問いかける。梅小路うめこうじはうすら寒い笑みを浮かべながらまるぶちの眼鏡をくいっと持ち上げた。


いずみはんが双六原すごろくはらの名前出した時の蛇塚へびづかはんの様子がすこしおかしい思てな、探り入れてみたんや。なんかさっき蛇塚へびづかおかしなこと言っとらんかったか?」


「え? う~ん……。」


 どうやら梅小路うめこうじ蛇塚へびづかの発言に違和感を覚えたらしい。梅小路うめこうじの問いかけに僕は先ほどまでの会話の中身を必死になって思い浮かべた。


 聞いていた時はまったく疑うことのなかった言葉のひとつひとつを詳しく吟味していく。そうしているうちに僕はおかしな発言に気がついた。


「もしかしてだけどさ、みやびさんが暴力に訴えるのもやむを得ない、って言ってた時……。」


「そうや、蛇塚へびづかはんは暴力は禁止されとるはずやいうた。確かにそうや、数奇院すうきいんはんが提示した勝負の条件に暴力の使用を禁ずるゆうのがあった。」


 その言葉自体は問題ない。でも、蛇塚へびづかはなんでそんなことを知っとるんやろな?


 梅小路うめこうじの指摘に、僕は確かにその通りだと納得してしまった。


 普通の神子かみこ高校の生徒なら、暴力は最後の手段ではなくてとりあえず一番初めに試してみるものだ。もしもこれが今はいない清流寺せいりゅうじなら数奇院すうきいんの課した条件があろうがなかろうが気にせず拳を振るっただろう。


 そんな高校の生徒である点において蛇塚へびづかも例外ではなく、普通なら梅小路うめこうじの言葉を甘いと考えることはあってもおかしいと口にすることはないはずなのだ。


「やったら、誰からその暴力禁止の条件を聞いたんやろか。もう決まっとるも同然やけど。」


 数回とはいえ直接会ったことのなる僕の経験から言わせてもらうならば、双六原すごろくはらは用心深い生徒のように感じられた。とても勝負ごとについて吹聴するような人間にはみえない。


 「最も可能性のあるんは蛇塚へびづかはんと双六原すごろくはらはんが直接つながっとること。」


 梅小路うめこうじが一切笑っていない目を蛇塚へびづかの消えていった校舎へとむける。


「ついさっき考えさせてほしいいうて抜け出していったのは双六原すごろくはらはんにうちらの意図を報告するため。うちらをどうやって騙くらかすか相談しに行ったんやろな。」


 僕はさっと顔から血の気がひいていくのを感じた。それではもう手遅れだ、なぜって僕たちが双六原すごろくはらの弱みを探っていることが相手にバレてしまったのだから。


 僕が冷や汗をかいていることに気がついたのか、梅小路うめこうじは呆れたように口を開く。


「なに勝手に焦っとるねん。これは絶好の機会やろが。」


「絶好の機会?」


 梅小路うめこうじが猛禽類のような獰猛で残虐な笑顔を顔一面に広げる。あまりにもの恐ろしさに若干ひいてしまった僕を尻目に、梅小路うめこうじは愉快げに口元を抑える。


「思わず口滑らしてまうようなぬるい蛇塚へびづかを好きに料理できるんやで? うまくいけば相手詰ませられるやんか。」



 蛇塚へびづかは努めて平静を取り繕いながら、早朝の廊下を足早に歩いていった。双六原すごろくはらとの関係がすでに割れてしまっているかもしれないという恐怖をおくびにも出さず、ただ目はひらすらに双六原すごろくはらを探す。


 ようやく目の前から近づく獅子王ししおうの一団を見つけた蛇塚へびづかは、すれ違いざまに軽く咳ばらいをした。


 退屈そうに獅子王ししおうのまわりを歩く護衛の中に混ざった双六原すごろくはらはなに食わぬ顔をして手をポケットに突っこんだ。


 二人にしか伝わらない符号が交差する。そのまま二人は振り返ることもなく遠ざかっていった。


 双六原すごろくはら蛇塚へびづかが顔をあわせたのは、その日の昼のことである。


 あらかじめ示し合わせておいた空き教室に集まった二人はカーテンを閉じ、扉の窓を黒いテープで覆うと、中央で密談を開始した。


「それでいったいなんの用ですか? 不用意な接触は控えるようにと言い含めておいたはずですが。」


 双六原すごろくはらが若干苛立ったように語気を荒げる。


 獅子王ししおうの支援者であるはずの双六原すごろくはらがその敵対選手である蛇塚へびづかと会えば余計な耳目を集めかねない。二人の接触は極力控える必要があった。


きよし、まずいことになった。あたし経由であんたに二階堂にかいどうのやつが探り入れようとしてる。」


「そうですか、いずみくんが。ですがそれがなんの問題があるというのです。 


 蛇塚へびづかの言葉をうけても双六原すごろくはらは驚いた様子を微塵も見せない。まるで予定調和だとばかりに蛇塚へびづかは振る舞ってみせた。


「そもそも相手は"銀行屋"の一員ですよ? この高校の生徒の経歴なんてすぐに丸裸にできるはずだ、どうせ自分と君が過去にドーピングを一緒になってやっていたことでも気がついたのでしょう。」


「でも、もしもあんたとあたしとの関係が知られたとしたら………!」


「いいえ、いずみくんにそこまで見抜けるとは思えません。恐らくは自分たちの間に確執でもあるのではないかとあたりでもつけているのでしょう。」


 蛇塚へびづかの懸念をすべて双六原すごろくはらが切って捨てていく。取り付く島もない様子の双六原すごろくはら蛇塚へびづかに近寄った。


「そうですね、もしも自分の弱みを明かせとでも脅されたのならなにか適当なことでも言ってさしあげなさい。君が心配する必要は全くありません、いずみくんの相手は自分にすべて任せて、君は体育祭に集中しなさい。」


「っ……!」


 双六原すごろくはら蛇塚へびづかを抱き寄せる。そのまま耳もとにささやいた。


「なにも悩むことはありません。自分が必ず君を優勝へと導いてあげます。」


 蛇塚へびづかがこくりと頷いたのを満足げに見つめながら、双六原すごろくはらはそっと体を離した。


「せっかくなので、今週分の薬を渡しておきましょうか。いいですか、必ずこの紙に書いてある通りの使用量を守るのですよ。」


 双六原すごろくはら蛇塚へびづかに白い粉末の入った袋を手渡す。蛇塚へびづかはそれを受け取ってもなお双六原すごろくはらの前から動こうとしなかった。


「ひさしぶりだから………。」


 どこかもじもじとする蛇塚へびづか双六原すごろくはらがまんざらでもなさげに笑みを浮かべる。


「しかたないですね。すこしだけですよ。」


 二人の体がひとつになっていく。唇を重ねあうその姿はまさに秘密の恋人の密会と形容するのがふさわしいようなものだった。



 まあ、僕たちが一部始終をバッチシ見てたんだけれど。


 なにやらいたたまれない気持ちになりながら、僕は壁に開けた覗き穴から目を逸らす。隣から覗きこんでいた梅小路うめこうじは目の前で繰り広げられる青春らしい恋愛劇にもぴくりと眉を動かさないようだった。


 梅小路うめこうじにとっては悪事を働いた人間がキスしあっていてもゴキブリが交尾しているのを見るのとそう違いがないのかもしれない。


 今、僕たちは双六原すごろくはら蛇塚へびづかが密会している教室の隣の部屋にいた。


 二人が話をする前に素早く、そして静かにその間の壁にキリで穴を開けたのである。木造のおんぼろ校舎だからこそできた力技だった。


 梅小路うめこうじの指示に従い、音をたてないよう気をつけながら教室を出ていく。双六原すごろくはら蛇塚へびづかの会話は実に興味深いものだった。


「結局、双六原すごろくはら獅子王ししおう蛇塚へびづか、どっちを本当に応援しているんだろうね。」


 しばらく歩いて声が届かないようになってから僕は梅小路うめこうじに問いかける。


 先ほど、双六原すごろくはらはにわかには信じがたいことに蛇塚へびづかを優勝させてみせると語っていたのだ。明らかに表での立場と大きく食い違っている発言に、僕はすこし混乱していた。


「まあ、順当に考えれば蛇塚へびづかやろ。」


 梅小路うめこうじの言葉を僕はどこか予期していたが、考えたくはなかった。それでは獅子王ししおうがあまりにも報われない。


「なんで?」


「普通に考えて蛇塚へびづかと繋がりがあるのに獅子王ししおうを支援する意味が分からん。全国大会で優勝常連の蛇塚へびづかと県大会どまりの獅子王ししおうとでは格が違う、単純に勝ちたいだけやったら蛇塚へびづか選ぶやろ。」


 梅小路うめこうじの言葉は確かな事実に基づいていて、論理だっている。だが、それが指し示すのは空恐ろしい可能性であった。


「じゃあ獅子王ししおうに渡してた薬は……。」


「なんらかの細工が施されとってもおかしくないな。敵に塩贈るほど双六原すごろくはらは寛大でもないやろ。」

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