第16話

 深夜の図書室、普段なら数奇院すうきいんと僕がふたり静かな夜を過ごしているはずの教室の中は闇に包まれていた。主を失った部屋はどこか空虚で冷たく感じる。


 そんな図書室の扉が、突然開いた。入口からさしこむ眩い光ががらんとした教室をスウッと照らす。長い陰と短い影がふたつ隣りあって明るくなった床にのびた。



 梅小路うめこうじと僕、二人の招かれざる客が室内に踏みこむ。そう、今日こそは僕が梅小路うめこうじに約束した画集をみせる日なのだ。


 懐中電灯片手にずんずんと目当ての本棚へとむかっていく梅小路うめこうじの背後からおっかなびっくりついていく。今にも不気味な笑顔を浮かべた数奇院すうきいんが暗がりから飛び出してくるのではないかと僕は気が気でなかったのだ。


「ええと、確かアレは大判本の棚に置かれとったな。すると、ひぃ、ふぅ、みぃ………、ここか。」


 梅小路うめこうじが画集を探している間、僕は懐中電灯の明かりが外に漏れ出ないようカーテンを慌ててしめていく。もしも誰かがこの光景を目にして数奇院すうきいんに伝わったなら、とんでもないことになってしまう。


「あった、これや! いずみはん、見つけたで。」


 梅小路うめこうじが大きな画集を片手でひょいと掴みながら長机のところまで持ってくる。僕は梅小路うめこうじのところに近寄って画集を解体するのを手伝った。


 バラバラと厚紙が机一面に広がる。お宝を目の前にした海賊のように目を輝かせた梅小路うめこうじは早速あれやこれやと物色を始めた。


 パシャリ、パシャリ……。


 梅小路うめこうじが無造作にカメラのシャッターを切っていく、その音が響くたびに肩をびくりと震わせる。はやく終わらせてくれと心の中で祈っていると、梅小路うめこうじが不思議そうに僕に問いかけた。


いずみはんはなんでそないに怯えとるんや? 数奇院すうきいんはきtんと校舎の遠くの空き教室までおびき出したんやろ?」


 ひっきりなしにあたりを見渡す僕とは対照的に落ち着き払った様子の数奇院すうきいんの言葉に、僕は今日の放課後のことを思い起こして遠い目をした。


 数奇院すうきいんにバレても化学室まで逃げ帰ればいい梅小路うめこうじと違って数奇院すうきいんと同じく図書室で寝泊まりしている僕には逃げ場がない。


 そしてさらに、それにもかかわらず僕は最悪の手段で数奇院すうきいんを誘い出していた。今からでも数奇院すうきいんの怒りが恐ろしい。


 早い話、僕は数奇院すうきいん梅小路うめこうじの名義を借りてで僕を誘拐したと脅迫状を送ったのだ。


 もちろんそれは嘘なのだが、いくらなんでも数奇院すうきいんも僕を人質にとったといわれて見過ごすほど怒ってはいないだろうと考えた僕は梅小路うめこうじに相談してそれを実行に移してしまう。


 どこか不気味な笑顔を浮かべた数奇院すうきいんが図書室から去るのを見送った僕たちは、つい先ほど侵入を開始したというわけだ。



 おそらくこのことがバレた暁には僕は殺されるだろう、そう絶望して光を失った目で僕は梅小路うめこうじが画集の写真を撮っているのを眺める。梅小路うめこうじはなにがそんなに楽しいのかはしゃいだ様子でデジカメをいじくっていた。


「見ぃ、いずみ! 双六原すごろくはらのぶん見つけたで。」


 梅小路うめこうじが僕を手で招いている。近寄った僕は梅小路うめこうじから手渡された紙を読んだ。


双六原すごろくはらきよし。出身は東京都世田谷区■■■■■■■。父親は個人経営の薬剤師をしており、製薬会社に勤める母親とは仕事の関係で出会った。家庭環境は良好で、周囲からもさして問題があるようには感じられなかった。本人は学業優秀でゆくゆくは家業を継ぐべく薬剤師となることを志している。蛇塚へびづかのドーピングを手伝うために資格なしに薬品を父の職場から窃盗し調合したとして観察処分に置かれると同時に両親との関係が悪化し、神子かみこ高校への編入へとつながった。…………蛇塚へびづか?」


 知的な印象のあった双六原すごろくはらが薬剤師の息子だったことに納得しながらも、僕はその紹介の中に出てきた蛇塚へびづかの名前に目をひかれた。


「どうしたんや、いずみはん。なんか気になることでもあったんか?」


「ここ、双六原すごろくはらが薬を提供したっていう蛇塚へびづかっていう生徒が今年体育祭に出てるんだ。」


 首を傾げて双六原すごろくはらの書類を覗きこんでくる梅小路うめこうじ蛇塚へびづかの名が記された部分をさし示す。


 蛇塚へびづかといえば、獅子王ししおうの今回の体育祭における最大の敵である選手である。そんな蛇塚へびづか双六原すごろくはらが過去に接点を持っていたことに僕は強烈な違和感を覚えた。


 なにかあるのに違いない、そう僕の第六感が訴えかけてくる。そうでなくても冷静に考えてかつて双六原すごろくはら蛇塚へびづかのドーピングを支えていたというのは特筆するべき事項だった。


「確かにそれならその蛇塚へびづかちゅうのは怪しいなぁ。……それにしてもやっぱり神子かみこ高校の生徒はクズばかりやな、来る前にもう薬いじっとるやなんて悪は人やない。」


 梅小路うめこうじの目が鋭く光る。その真紅の瞳にはおよそ人の備えているであろう情というものは一切伺うことができなかった。


 が、すぐに柔和な笑顔を取り戻した梅小路うめこうじは先ほどの冷酷な言葉が嘘だったかのようにまた画集をあさり始めた。


蛇塚へびづかのヤツも見とった方がええやろ?」


 梅小路うめこうじの提案に我に返った僕も探すのを手伝う。しかし、見つけた蛇塚へびづかの書類には当たり障りのない普通の家庭の様子が記されているだけであった。


 どうやら蛇塚は完ぺきな生徒を演じていたらしく、資料には少しもドーピングという悪事の片鱗は記録されていない。唯一、ドーピングの禁止薬物が混入した薬害事件に巻きこまれたと書かれているだけで、それ以外は平凡というべきか将来を嘱望されたアスリートとしての人生を歩んでいたそうだ。


「たいしたことは書いとらんな。まあ、双六原すごろくはら蛇塚へびづかとのつながりがわかっただけでもめっけもんちゅうもんや。」


「そうだね、そろそろ数奇院すうきいんが戻ってきてもおかしくないから片付けようか。」


 蛇塚へびづかの資料を紙の山に戻すと、僕たちは素早く画集をもとに戻し始めた。怪しまれることのないよう一枚ずつ丁寧に金属の輪に綴じていく。


 そして、紙の山もだいぶ減ってきたところで僕は見慣れた名前の記された資料をたまたま手に取った。獅子王ししおうのものである。


 興味がひかれるのを我慢して僕はその資料を金属の輪に通した。あまり人の秘密をじろじろと見るべきではないだろう。


 だが、その考えを僕はすぐさま捨てた。信じられない言葉がその上で踊っていることに気がついてしまったからだ。


 もはや考えることすらできなかった。金属の輪から乱暴に獅子王ししおうの資料を取り出し、凝視する。


 驚いてこちらを見つめる梅小路うめこうじを気にすることなく、早口で僕は文言を口ずさんだ。


獅子王ししおうしずく。出身は青森県青森市■■■■■■■。父親、母親ともに地元の自動車ディーラー店で働いており、家庭環境に問題はない。幼少期から陸上競技、特に短距離・中距離走に興味を持ち、部活動を小中と続ける。吉田製薬の薬害事件で誤ってドーピングの禁止薬物を摂取してしまった被害者ではあるが、その後は特段問題行動を起こしていなかった。」


 続く文を見る前に息と覚悟を整える。


 そう、僕はもっと深く考えるべきだったのだ。


 神子かみこ高校の生徒たちはみな脛に傷を持つものばかりだ。僕を含め普通の高校では絶対に受け入れてくれないような問題を起こしたからこそここに入学させられている。そして、それは獅子王ししおうも例外ではない。


 では、あの明るく真面目で努力家な獅子王ししおうはいったい何をしたのか?


 僕は震える声で続きを読みあげる。そこには、簡潔に獅子王ししおうのかつての過ちが記されていた。


「県大会にて抜き打ちのドーピング検査に陽性を示し、常習的な薬物の使用が明らかになる。以降、陸上の資格を完全に抹消された。」


 獅子王ししおうはこの高校にきてからドーピングを始めたのではない。ドーピングをしたからこの高校にきたのだ。

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