第14話

「ああ、これはこれは数奇院すうきいんさん。神子かみこ高校の黒幕様がこんな小物の僕なんかにいったい何の用ですか?」


 じっとりと冷や汗を流しながら、双六原すごろくはらが口を開く。僕の背後に立ったまま、数奇院すうきいんはニッコリと微笑んだ。


「あらあら、そんなに卑屈にならなくてもいいじゃない。この高校で体育祭の賭けの元締めをするだなんて、普通の人にはできないことよ。」


 数奇院すうきいんが口にした元締めという言葉に僕は思わず双六原すごろくはらの顔をじっと凝視してしまう。それもそのはずで、数奇院すうきいんの言葉は神子かみこ高校の生徒ならば誰もが耳を疑うような話だったからだ。


 当然だが、賭けをするためには地位を確立している元締めが必要である。生徒たちの賭けた金を回収して保管し、そして結果が明白になった後、公正に勝利した選手と賭けに勝った生徒に金を配分するためにはなによりも権威と暴力に裏づけられた信頼が欠かせないからだ。


 代々の体育祭において、その元締めという地位と利権はその時のもっとも権勢を持つ生徒へと受け継がれている。しかし、今代に限っては、話が違った。


 神子かみこ高校を実質支配しているといっても過言ではない数奇院すうきいんは"銀行屋"という最大の利権を手中におさめている以上、体育祭の賭けには一切興味を示さなかったのだ。


 だからこそ、先代の元締めは苦渋の決断として、次代の元締めの正体を明かさないことで信頼性を担保しようとした。当然であるが、誰も正体を知らなければ預かっている賭け金を強奪するなんてことはできない。


 そして、今、数奇院すうきいんはその元締めが目の前にいる双六原すごろくはらだと口にしたのだ。それはあり得ないことのはずだった。



 双六原すごろくはらがスッと息を飲んだような気がした。視線をあちこちへと移動させて落ち着きのない双六原すごろくはらが腹の底から絞り出したかのような声を出す。


「どうやって、そんなことを……。」


「わたしは"銀行屋"だもの。帳簿の数字をつき合わせれば、賭けの儲けが最後にはどこに流れていっているかぐらいはわかるわ。」


 双六原すごろくはらの瞳がグラグラと揺れた。ぶるぶると恐怖に震える唇を必死に動かして問いを投げかける。


「ほかの生徒にはこのことは……?」


 それは、双六原すごろくはらの生死を分かつといっても過言ではない質問であった。


 双六原すごろくはらの今の行いは、明確な背任行為だ。元締めが特定の選手とつながりを持って賭けが成立するはずがない。


 全てが暴力と欺瞞、不正にすぎない神子かみこ高校において唯一公平性が担保されているのが体育祭の賭けだ。そこには喧嘩の腕前や金の多少は関係がなく、ただ自らの観察眼のみで賭けの勝利を掴み取る。


 だからこそ体育祭に生徒は熱狂するのであるし、だからこそ高校の支配者たる代々の元締めは賭けを慎重に運営して一種のガス抜きとして利用するのである。


 それがもし賭けの背後で元締めが特定の選手に肩入れしていたと知られればどうなるだろうか。当然であるが極悪非道な神子かみこ高校の札付きの不良の怒りはすべて元締めに向かうであろう。


 そうなってしまった後の元締めの末路を僕は想像すらもしたくなかった。


 まず間違いなくあの清流寺せいりゅうじよりもひどい目にあうだろう。生きてこの高校を卒業できるかどうかは五分五分といったところだろうか。


 双六原すごろくはらの手が小刻みに揺れている。なかば祈るようにして数奇院すうきいんのもとにすり寄る双六原すごろくはらのみっともない姿を、数奇院すうきいんは愉しそうに見つめていた。


 永遠にも思える沈黙ののち、数奇院すうきいんが口を開く。


「口にしてなんになるというの? わたし、面倒なことは嫌いなの。」


 数奇院すうきいんの言葉を聞いた途端、双六原すごろくはらは床に崩れ落ちた。半ば過呼吸に陥りながら命をつなげたことにひたすら胸を撫で下ろしている。


 やがてヨロヨロと立ち上がった双六原すごろくはらはえらく卑屈な笑みを浮かべて僕にすり寄ってきた。


「あ、ああ。先ほどは失礼な口をきいて申し訳ございません。まさかいずみさんが数奇院すうきいんさんの知己だとはつゆも知りませんでした。それで、獅子王ししおうさんのドーピングのことでしたか? もちろんですとも、もう獅子王ししおうさんに薬を渡すようなことは決して……。」


 先ほどまでの冷徹な姿とはうって変わって媚びるような笑みを浮かべながら双六原すごろくはらが僕の頼みへの返答を真逆にひっくり返す。


 その変わり身の素早さっぷりをどこか滑稽に感じながらも、これで獅子王ししおうのことがなんとかなると僕が安心したその時だった。


双六原すごろくはらくんはなにか勘違いしているようね? わたしは獅子王ししおうさんがどうなろうともどうでもいいわよ?」


 数奇院すうきいんがなにやらおかしなことを言いだした。


 双六原すごろくはらがまるでフクロウであるかのようにくるりと頭を数奇院すうきいんのほうにむける。ねっとりとした口調で双六原すごろくはら数奇院すうきいんの真意を尋ねた。


「それは、いったいどういったおつもりなのですか?」


「別に、獅子王ししおうさんのことを心配しているのはいずみくんだけだもの。わたしは大切ないずみくんが傷つくのは我慢ならないけれど、獅子王ししおうさんは別になんとも思っていないわ。」


 双六原すごろくはらが先ほどまでの卑屈な笑みを顔に貼りつけたまま、冷徹な思考を頭の中で巡らせているのがはっきりと感じ取れる。僕は嫌な予感がして数奇院すうきいんの表情を伺った。


 いつもの見慣れた笑みの奥底に、絶えず一緒にいた僕でもなければ気づかないような感情を読み解く。


 ムキになって企んでいた仕返しの悪戯が成功した悪ガキのような、意地悪げな顔つきである。


 僕はその時になってはじめて理解した。確かに獅子王ししおうの件で僕を手伝ってくれてはいたが、未だ数奇院すうきいんは無視されたことを根に持っていて、報復の機会を虎視眈々と狙っていたのだ。


 まずいことになったと僕が確信した時にはすでに時が遅かった。数奇院すうきいんがニコニコの笑顔で僕たちふたりに命令に近い提案をしてくる。


「そうね、友人の義理としてわたしはいずみくんを手伝ってあげたいけれど、双六原すごろくはらくんに迷惑をかけるわけにはいかないわ。だから、一つ提案をしたいの。


 簡単な話よ、もしもいずみくんが獅子王ししおうさんを説得できれば双六原すごろくはらくんはおとなしく引き下がる。でも、もしいずみくんが失敗したならば、そのときはいずみくんに諦めてもらう。これでどうかしら?」


 双六原すごろくはらがしばらくの間きょろきょろと目を動かす。が、自らの心臓といってもよいほどの致命的な秘密を握られた双六原すごろくはらに拒否権などあろうはずもなかった。


「その、力で、というのはダメですかね?」


「ええ、そうよ。いずみくんも双六原すごろくはらくんも、言葉だけで獅子王ししおうさんを説得することにしましょう? 脅して従わせるだなんて双六原すごろくはらさんがすぐに勝ってしまってつまらないもの。」


 そして、僕としても双六原すごろくはらのいわゆる汚い手段を封じることができる以上、この話に乗らないわけにはいかなかった。


 僕と違って神子かみこ高校の暗黒面にどっぷりと浸かっていたであろう双六原すごろくはらの得意であろう暴力などを禁じることができるというのであれば、それに越したことはない。


「さて、わたしの提案に従ってくれるのかしら?」


悔しいながらも、双六原すごろくはらとともに首を縦に振る。それを確認した数奇院すうきいんは愉快そうにニッコリと笑顔を深めた。


「なら、話はこれで終わりね。いずみくん、図書室に戻るわよ?」



 図書室への帰り道の廊下にて、僕は目の前を歩く数奇院すうきいんに問いかけずにはいられなかった。


しずか獅子王ししおうのことで僕を助けてくれるんじゃなかったの?」


「……それよ。」


「え?」


 数奇院すうきいんがいきなり立ち止まる。振り返った数奇院すうきいんの黄金の瞳は昏い光を放っていた。


「いつまでたっても獅子王ししおう獅子王ししおうばかり。あなたは誰を見ていなければいかないのか、忘れてしまったの?」


 数奇院すうきいんが僕の耳元に口を近づける。


「あまり言いたくはないのだけれど、とても妬けてしまうわね。」


 それは、底冷えするような声だった。

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