第12話

 空きが深まるにつれて高校を取り巻く森の紅葉はより一層深みを増していく。校舎の窓の外に広がる絶景に目を奪われているふりをしながら僕は横目で獅子王ししおうの様子をジッとうかがっていた。


 今日も獅子王ししおうは運動場でひたすらに練習を続けている。その脇には今回の体育祭で獅子王ししおうを支えている双六原すごろくはらの姿もあった。


 調整の進み具合を確認するためか、二人がいったん練習を止めて話しあっている。その光景をぼんやりと眺めていた僕にふとひとつの疑問が沸き上がってきた。


 果たして双六原すごろくはら獅子王ししおうのドーピングについて知っているのだろうか。


 あの日図書室まで獅子王ししおうを迎えに来た双六原すごろくはらの柔らかな物腰からして、僕にはドーピングを見逃せるほど神子かみこ高校に染まってしまっているとは考えられないのだ。


しずか双六原すごろくはらのことどう思う? ドーピングについて知ってるかな?」


 自分以外の人間の考えが聞きたくて僕は背後の椅子に座っている数奇院すうきいんに尋ねてみた。あいかわらずつまらなさげな声が聞こえてくる。


「もちろん、知っているに決まっているじゃないの。」


 数奇院すうきいんの言葉に僕は瞠目した。どうやら数奇院すうきいんの考えは僕とは正反対らしい。


 動揺する僕を見て取ったのか、数奇院すうきいんは当然とばかりに呆れた口調で理由を語った。


「冷静に考えて、獅子王ししおうさんの支援をする以上ドーピングのことは当然把握しているでしょう。もしかすると人の良いいずみくんは印象だけで違うと考えたくなってしまったのかもしれないのだけれど、そんな基準は神子かみこ高校ではまったく意味をなさないもの。」


 完全に内心の思考を言い当てられた僕はぐうの音も出なかった。


 確かに、神子かみこ高校では外見だけで判断してはいけない人間がやまほどいるのは事実だった。現に僕の背後で優雅に魔法瓶の紅茶を嗜んでいる少女もそのうちの一人である。


 パキ……、パキ……、パキ……。


 そう一人反省していると、なにやら固いものを割るような音が聞こえてくる。最近耳にし過ぎてもう飽き飽きしているその物音の正体を僕はすでに嫌というほど知っていた。


「…しずか、あんまり間食すると夕ご飯に響くってこの前も注意したよね。」


はらあらへつにひひじゃない別にいいじゃないひょくほくがふわかないのなら食欲がわかないのならそへはひつひょうひゃないのひょそれは必要じゃないのよ。」


 ポリポリと剥いた栗を口に放りこむ数奇院すうきいんは僕の言葉など意に介さずそのまま遅めの三時のおやつをとり続けている。そんな小学生みたいな食生活に僕の口は悲しみのため息を漏らすことしかできない。


 今までも野菜類や穀物類を嫌っていたのは変わらないのだが、最近になって数奇院すうきいんはさらに食事の栄養に無頓着になっていた。


 実はしばらく前に奮発して裏山から採れた栗で頑張って焼き栗もどきを作ってみたのだが、驚いたことに数奇院すうきいんがそれを大層気に入ってことあるごとに口にするようになったのだ。


 感触はやめるよう何度も口を酸っぱくして言い聞かせようとしたのだが、数奇院ん《すうきいん》には馬耳東風で、挙句の果てには普通の食事にすら差し支えるようになっていた。


 基礎代謝がよいのか、まったく体重が増えないのも問題に拍車をかけている。その事実を口実にして数奇院すうきいんは僕の要求を退け続けているのである。


「まったく、食欲の秋なのだからあなたも楽しんだらどう? 栗はちょうど今頃が旬なのでしょう?」


「うん、そういえばチンゲン菜とかも旬だったね。またあったら買っておこうか。」


 ようやく口の中の栗を飲みこんだ数奇院すうきいんのいけしゃあしゃあとした誘いに言い返した僕は、顔がそっぽを向いたのを確認して頭を抱えた。


 まったく、数奇院すうきいんの偏食ぶりには毎度ながら驚かされるものだ。いったいどうしたらこんなに好みが偏るようになってしまったのだろう。


「そんな仏頂面はやめなさい、眉間に皺が寄るわよ? ほら、甘いものでも口にしたらどうかしら。」


 獅子王ししおうのことすら忘れてひと時本気で悩んでいた僕は、口の中に甘い何かが無理矢理捩じこまれるのを感じた。


 視界いっぱいに愉快げな数奇院すうきいんの笑みが広がる。数奇院すうきいんに剥いた焼き栗を口の中に入れられたのだと理解するころには、もう舌の上にざらざらとした感触が伝わっていた。


 ほんのりと温かい栗のぬくもりと優しい甘さに目を白黒させる僕に数奇院すうきいんがクスクスと忍び笑いする。


 仕返しというわけではないが、そんな数奇院すうきいんの手から僕は焼き栗の入った袋を奪っておいた。


「あらあら、口では勝てないからといって力を使うの? それはつまりあなたがわたしの考えが正しいと認めたということに………。」


「あ~はいはい、晩御飯までこれは没収します。それまできちんと反省してなさい。」


 なにやら抗議してくる数奇院すうきいんに対して耳を塞ぎながら僕は袋の口をしっかりと閉じる。これ以上放っておいたら数奇院すうきいんはそれこそ半永久的に感触を続けるだろうと確信している僕は、苦渋の決断ながら行動するほかなかったのだ。


「そうやって人の話を聞かないのは、はたしていいことなのかしら。自分と違った考えを受け入れないのは、一途なのではなくて頑迷と呼ぶのよ?」


 未だ不満げな数奇院すうきいんに僕はしかたがないとばかりに真正面から説得することにした。


 肩を両手でしっかりとつかみ、数奇院すうきいんの顔をまっすぐに見つめる。僕の突然の奇行にも動じず涼しい顔のままの数奇院すうきいんは余裕げに笑みを浮かべていた。


「今度は情にでも訴えかけるつもりなのかしら?」


「僕はただしずかに健康的な食事をしてすこしでも長生きしてほしいだけなんだ。ここまでわかるかな?」


 数奇院すうきいんは愉しげな表情のままニコニコとしている。ここが正念場だ、僕はできるだけ真剣な表情を作ってみせた。


「あら、どうしてわたしに長生きしてほしいのかしら? 別にわたしがいくつまで生きようとも関係ないでしょう?」


「いや、大いに関係あるね。君に長生きしてもらわないと僕は心配でしかたがないんだ。」


「まるでずっとわたしのそばにいるつもりみたいな言い方ね。」


「うん、そのつもりなんだけれど。」


「っ……!?」


 僕がすべての質問を肯定していくにつれて、数奇院すうきいんが少しずつ動揺を露にしていく。最終的には顔をうつむかせてしまったところで僕は畳みかけるように言葉を投げかけ続けた。


「いい? このままこの生活を続けるようだと僕はしずかのことが気になって気になって夜も眠れなくなってしまうんだ。」


「……った。」


「今までもひどかったのに最近になってしずかの栄養摂取は目も当てられないありさまになってる。ここ数日はほんとうにしずかのことだけしか考えられないんだ。」


「わかった、わかったから!」


 わずかに赤みがかった顔で数奇院すうきいんが声を大きくする。ようやく説得できた僕は安心して胸をなでおろした。


 最近僕も学習してきたのだが、こうやって真正面から数奇院すうきいんに詰め寄ると高確率で言い負かせることに気がついたのだ。それからは密かにこの方法を多用している。


「そんな歯の浮くような台詞をよく本気で口にできるわね。ほんとうにシラフで言っているのかしら……。」


「どういうこと?」


「…………なんでもないわ。」


 数奇院すうきいんの呟きの真意がつかめず聞き返すと、かなりの沈黙ののちに誤魔化すように話しを切り上げられる。


 どちらにしろようやく数奇院すうきいんの不健康な生活を止められた僕が胸のすくような思いでいたところ、話題を変えるようにわざとらしく大きな声で数奇院すうきいんが窓の外を指さした。


「ほら、獅子王ししおうさんと双六原すごろくはらくんが運動場を後にしているわ、わたしたちもついていきましょう。」


 窓の外を眺めると、確かに数奇院すうきいんの言うとおりである。慌てて僕たちは教室を飛び出した。

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