第10話

いずみ、死にそう、休む、必要?」


 太刀脇たちわきが目の下に隈を浮かべる僕を不思議そうに見つめながら休息を勧めてくる。その親切に感謝しながらも待ち合わせの約束がある僕はソファに横たわるわけにはいかなかった。


 太陽が完全に地平線から離れ太刀脇たちわきが図書室に姿を現してから数十分後、ようやく僕は数奇院すうきいんにババを押しつけることに成功した。


 さしもの数奇院といえども疲労で完全に顔が死んだ僕の手札をイカサマなしで見透かすことは難しかったらしく、あれから数十回ほどババ抜きをしたのち、ようやくミスをしたのだ。


 しかし、蛇塚へびづかと今朝に会う約束をとりつけていた僕はソファに飛びこんで勝利の余韻に浸ることもできない。さもなくば僕は授業など無視してただ惰眠をむさぼっただろうに。


 つい先ほどまで数奇院すうきいんにババ抜きを延々と付き合わされていた僕はすでに満身創痍である。疲れ切った体を引きずりながら図書室を後にしようとする僕に、全ての元凶である数奇院すうきいんが口を開いた。


「あれだけお話したのに、まだわからないのかしら?」


 話を無視し続けたせいでへそを曲げてしまった数奇院すうきいんの冷たい黄金の視線が僕に突き刺さる。獅子王ししおうに関しての用事で図書室を抜け出そうとしていた僕はなんと言い訳をするべきなのか悩まざるをえなかった。


「はぁ……。」


 しばらくの間僕がだんまりを決めこんでいると、数奇院すうきいんが呆れ果てたかのようにため息をつく。


 びくびくとその様子を見ていると、どこか意固地になったかのようにキッと僕を睨みつけてきた数奇院すうきいんは脇にかかっていた純白のカーティガンを手に取った。


いずみくん、いつまでも扉の前で立ったままでいないでくれるかしら? さあ、行くわよ。」


「行くってどこに?」


 数奇院すうきいんの意図をくみ取れなかった僕が再び尋ねると、数奇院すうきいんはイライラとしたように応えた。


「あら、あなたはどうして図書室を出ようとしたのかしら? 蛇塚へびづかさんと話をするためでしょう?」


 顎に手をあててしばらく数奇院すうきいんの言葉を考えこんだ僕は、もしかしてと目を輝かせる。


「もしかして、数奇院すうきいんも手伝ってくれるの!?」


 期待に満ち溢れたその声に、数奇院すうきいんは容赦なく僕の足の甲を踏み抜いた。片足を抱えて飛び跳ねまわる僕を恨めしげに見つめがら数奇院すうきいんはボソリと呟く。


「だって、そうしないとわたしにかまってくれないでしょう?」


 数奇院すうきいんの口から出たとは到底思えない言葉に僕は目を丸くした。


「な、なにをしているの、いずみくん?」


 数奇院すうきいんの額に手をあてる僕に数奇院すうきいんが戸惑う。いたって真面目に僕は質問に答えた。


「いや、しずかが信じられないぐらいしおらしいから病気なのかなと思って。」


 結局僕は二度目の足の鈍痛にまたも悶え苦しむ羽目になったのだった。



 数奇院すうきいんと僕、それになぜかついてきた太刀脇たちわきの三人で廊下を歩いていく。話を聞くと太刀脇たちわきも実は体育祭の賭博に遊びの範囲で毎年小額賭けているらしく、今年の賭けの参考にしたいということだった。


いずみ蛇塚へびづか、どうやって、約束?」


 太刀脇たちわきが小首を傾げて僕にどうやって待ち合わせの約束をとりつけたのか問いかけてくる。その奥では未だにツンとした数奇院すうきいんが完全にそっぽをむいていた。


 苦笑しながら僕は太刀脇たちわきの素朴な疑問に応える。


 とはいっても簡単な話で、実は僕が廃教室で食料を配っている中に蛇塚へびづかの知り合いがいたのだ。僕はその生徒を通じて話をしたいと伝えたのだった。


 警戒されないよう、待ち合わせ場所は相手にとって親しみのあるであろう運動場の脇の用具庫の中と指定してある。そこで僕は蛇塚へびづかに詳しく話を聞きたいことがあった。


 日中でもうす暗い木陰にある用具庫の錆びついた扉を無理やり開ける。相手はすでに中で待っているらしかった。


 派手に紫色に染めた短髪にまるでナナフシのように節くれだった手足。蛇というよりかは昆虫といった印象を与える神経質そうな女子生徒がひとり用具庫の奥の壁に背中をもたれかけて僕を待っている。


 その女子生徒、蛇塚へびづかは近づいてくる僕に気がついて顔を上げ、その後ろにいる太刀脇たちわきに気づいて顔をしかめ、さらに数奇院すうきいんがその隣にいると知ってひきつった表情を浮かべた。


蛇塚へびづか、さんであってるかな?」


「ああ。」


 どこか緊張した様子の蛇塚へびづかに僕が声をかける。短く応えた蛇塚へびづかは警戒心を隠さずに周囲をしきりに見渡した。


「最初に確認しときたいんだが、アタシに"銀行屋"が接触してきたのは今回の体育祭での八百長とかの話かい? だったら悪いけどアタシは絶対にお断りだからな。」


 緊張したように蛇塚へびづかがまくしたてる。どうやら僕たちがなにか脅しをしようとしているのではないかと疑っているらしい。


「いやいや、そんな話じゃなくて。実は聞きたいことがあって声をかけさせてもらったんだ。」


「聞きたいこと?」


 未だ警戒心を解く気配のない蛇塚へびづかは僕の言葉を訝しげに口にする。僕は具体的な名前はボカシながら友人が体育祭のためにドーピングをしていることを伝えた。


「はぁ、それで?」


 僕の言いたいことがまだ理解できないと言わんばかりに蛇塚へびづかが相槌を打つ。僕はここ数日考えていたことを言葉にした。


「僕はただその人のことが心配で仕方がないんだ。ドーピングは必ず体に負担をかけるし、はっきり言って僕はやめてほしい。それでその、言いにくいことだけど…。」


「経験者のアタシに話を聞きに来たってことかい?」


 蛇塚へびづかは途中で僕の言葉を引き取って終わらせる。僕はゆっくりと首を縦に振った。


「はぁん、アンタのいいたいことはだいたい分かった。それでだ、本当に話はそれだけなんだろうな?」


 蛇塚へびづかの視線が僕の背後にむけられる。蛇塚へびづかが暗に後ろでつまらなそうに用具庫の中を眺めている数奇院すうきいんと、無表情でただひたすらにたたずんでいる太刀脇たちわきのことをさし示しているということを僕は理解した。


「ああ、しずかとアブリルはただすることもないからついてきただけだよ。」


「…そうかい。」


 絶対に僕の言葉を信じていないような声色で蛇塚へびづかは応える。そして、体を壁からおこした。


「それで、ドーピングについて知りたいって話だったな?」


「うん。」


 蛇塚へびづかはつまらなさそうに鼻を鳴らす。


「ま、ドーピングはいけないことだ、なんてこと言わないのは気に入ったよ。アタシは自分にできることはなんでもやるってのがモットーだからな、そういう連中のことは理解できねえんだ。」


 だが、まあダチの体が心配だってんならわからなくもない。そうつぶやいた蛇塚へびづかはポケットから煙草を取り出しながら口を開いた。


「まあ、まずは基礎知識の確認だ。去年男女混合の徒競走で一位だったヤツは除いてこの高校の体育祭に出るヤツはほとんどがドーピングしてるってことは知ってんな?」


 初めて聞いた話に、一瞬僕の思考が止まる。その様子を見て蛇塚へびづかは首をすくめた。


「おいおい、知らなかったのかよ。さてはおめえ、体育祭で賭けたことねえクチだな?」


 僕は頷くほかない。蛇塚へびづかは煙草に火をつけると、口元に近づけていった。


「アタシも支援者から聞いた話なんだけどさ、体育祭のドーピングのレベルってのは毎年桁違いに上がってんだよ。去年とは比べもんにならないほどクスリの使い方が上手くなっていってるってこった。」


 蛇塚へびづかが煙草をくわえる。僕の前で思いっきり煙を吐き出した蛇塚へびづかはその妙にぎょろぎょろした目で僕をまっすぐに見据えた。


「つまりだ、ドーピングをやめたとしてそのダチとやらに勝算はもうねえ。もしもあんたがドーピングをやめさせてえなら、まず体育祭の出場を諦めさせるこったな。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る