第4話

「ほんとうにすみませんでした!」


 目の前で梅原うめはらが地面にすりつけるほど低く頭を下げている。いつも通り廃教室に足を運んだ僕はただ目を丸くするほかなかった。


「いや、いきなり謝られてもなんのことかまったくわからないよ。それに僕は別に何されたとしても気を悪くしたりしないから、謝る必要なんてないしね。」


 僕がいろいろと言葉をかけても、梅原うめはらが床から起き上がる様子はない。僕はどうしたものかと途方に暮れた。


「俺はよりにもよって梅小路うめこうじなんて野郎の口車に乗せられて……。いやこれも言い訳だ、俺は俺自身の勘違いで大恩ある兄貴に恩返しするどころか清流寺せいりゅうじの野郎を手伝って誘拐しちまった! 俺は、俺のことが許せねぇ!」


 頭を地面にこすりつけたまま、梅原うめはらが深い悔恨の念を口にする。僕はその時になってようやく梅原うめはらたちが僕を清流寺せいりゅうじに引き渡したあの夜のことについて謝っているのだと気がついた。


「そのうえで、厚かましいとは重々承知しているがもう一度だけ機会をくれねえか! 今度こそ俺は間違えたりしねえ、兄貴のためだったらなんだってやってやる。」


 梅原うめはらの荒い語気に気おされた僕はただひたすらに黙りこくることしかできない。それを承認ととったのか、梅原うめはらはようやく立ち上がった。


 別に嘘でもなんでもなく、梅原うめはらたちのあの夜の行いは特段気にしているわけではない。それよりも、その数日後に知った梅小路うめこうじの本性が衝撃的過ぎて僕は梅原うめはらたちのことを言い方が悪いかもしれないがあまり詳しくは覚えていないのだ。


 立ち上がってもなお申し訳なさげにしている梅原うめはらのおでこに僕は軽くデコピンを食らわす。目を白黒させている梅原うめはらに手に持っていたビニール袋を押しつけながら僕は口を開いた。


「なんでそんなに気にしているのか知らないけれど、これでチャラでいいから。」


 いまだなにか言いたげな梅原うめはらの口に手をあてて僕は無理やり黙らせる。もごもごと口を動かすのをやめたのを確認してから僕は手を離した。



「…………ほんとうに、あなたはお人好しなのね。」


 近くにいるとなにを言い出してくるのか全く分からない梅原うめはらたちを避けて窓際に退散すると、そこに腰かけていた数奇院すうきいんがジトっとした目で僕を睨みながらぼそりと呟いた。


「そうかな? 僕は普通のことだと思うけど。」


「人類すべてがあなたと同じだったなら、争いはこの世からなくなってしまうのかもしれないわね。その前にほかの生物との生存競争に勝てたかは怪しいけれど。」


 呆れたように数奇院すうきいんが僕の頬を引っ張ってくる。僕は逆らわずに頬をいじられるに任せていた。


 清流寺せいりゅうじの件があってから、数奇院すうきいんは僕のいく先々についてくるようになっていた。本人曰く、僕は危なっかし過ぎて放ってはおけないそうだ。


 それはこの廃教室も例外ではない。"銀行屋"として搾取の限りを尽くしている数奇院すうきいんと親からも見離され神子かみこ高校の最底辺に落とされた梅原うめはらたちとはあまりにもかけ離れていて、あまりうまくいかないのではないかと僕は心配していた。


 さすがの数奇院すうきいんもそのあたりはわきまえているようで、できるだけ梅原うめはらたちの視界に映らないよう窓際の机の陰で一人椅子に座ってくれている。


 そんな数奇院すうきいんにお礼とまではいかないもののいつもより豪華な料理の入ったタッパーを手渡した僕はその隣の椅子に腰かけた。


「今日はすこし気合を入れて料理してみたんだ。なにしろコンロの前にたったのは久しぶりだったからね。」


「あら、それは楽しみ。」


 清流寺せいりゅうじを助ける時の怪我で僕はしばらく動けなくなっていたので、その間の食事は業腹ながら太刀脇たちわき数奇院すうきいんにまかせていたのだ。


 当然とばかりに栄養バーやら得体のしれない錠剤を手渡してくる太刀脇たちわきと、謎の暗黒物質を作成してくる数奇院すうきいんに僕の絶望が深まるばかりであったのだが。


 なにはともあれ、久しぶりに作った料理は密かな不安をかき消すほどには美味しかったことをここに明記しておこう。


 食事を終えた数奇院すうきいんの手元のカップに魔法瓶から紅茶を注ぎ入れる。ぺらりぺらりと本のページをめくる数奇院すうきいんの横で、電灯のない廃教室における唯一の光源である夜空をぼうっと僕は眺めていた。


 しばらくの間続いた沈黙は、背後からの物音に破られる。


 僕が振り返ると、ひそかに近づいてきていたらしい一人の女子生徒と目があった。背後で頭を抱えた梅原うめはらが、それでもその女子生徒に何かを促すように手を動かしている。


 しばらくして意を決したらしきその生徒はいきなり僕を突き飛ばしてきた。


 いきなりのことに目を白黒させる僕を尻目に、梅原うめはらたちが一斉に廃教室から出ていく。体勢を崩した僕はそのまま隣に倒れこんでしまった。


 いったい梅原うめはらたちはなにをしたかったんだ。そう訝しがりながら倒れる時に思わずつむってしまった目を開く。



 目の前に数奇院すうきいんの整った顔があった。


 困惑したように眉が顰められた天使もかくやと言わんばかりのその容貌が、文字通り目と鼻の先にある。数奇院すうきいんの甘い吐息が僕の肌をくすぐった。


 どうやら倒れる僕を支えようとした数奇院すうきいんが勢い余って僕を押し倒してしまったらしい。数奇院すうきいんの柔らかな体が僕の上にのしかかっている。


 いまだかつて経験したことのない事態に理解の追いつかない僕が視線をあちらこちらに移動させ続けていると、数奇院すうきいんのあわい桜色の唇に目がいく。


 その瞬間、あの夜無理やり数奇院すうきいんに奪われた初めての接吻を思い出した僕は頬に熱が集まっていくのを感じた。


数奇院すうきいん……?」


 いつまでも固まって上にのしかかったままの数奇院すうきいんに困った僕が名前を口にする。ハッと我に返ったように身動ぎした数奇院すうきいんはのろのろと僕の上から体をどかした。



 どこか気恥ずかしくなりながら僕と数奇院すうきいんは廃教室を後にして図書室にむかう。


梅原うめはらたちはなんであんなことをしたんだろうね。」


「さぁ、わたしには見当もつかないわ。」


 ふと梅原うめはらたちの意図が気になって尋ねてみるも、数奇院すうきいんは頬を染めてフイッと顔をそむけてしまった。


「……そういえば、これはたまたま気になっただけなのだけれど次に廃教室にいくのはいったいいつになるのかしら。」


「だいたい三日後だけど。どうして?」


 数奇院すうきいんの質問に僕はびっくりする。てっきり数奇院すうきいんのことだから梅原うめはらたちと僕のしていることに興味なんてまったくないと思っていたのだが。


「別に。知りたかっただけよ。それと、梅原うめはらくんっていい人ね。わたし、気に入ったわ。」


「え、なんで?」


「教えない。」


 まったく意味の分からない言葉を残して数奇院すうきいんが歩く速さを早める。数奇院すうきいん梅原うめはらにどうしてそんな印象を抱いたのかいろいろと気になってしまう僕は慌ててその後を追った。



 廃教室でのひと悶着の次の日は久しぶりの雷雨だった。ゴロゴロとご機嫌斜めなお天道様にこっちまで気分が滅入りそうになる。


 することもなく手持ち無沙汰な僕は、数奇院すうきいんに一言断って桜木さくらぎたち"転売屋"のところまで食材を買いに出かけることにする。人気のない薄暗い廊下にたった僕は、あまりいい思い出のない応接室にむかって足を進めた。


 しばらく歩いていると、遠くに見慣れた人影を見つける。


 獅子王ししおうだ。久々の雨で練習ができないで校舎内で腐っているのだろう、そう思った僕は図書室に誘おうと声をあげかけて、口を閉じた。


 なにか獅子王ししおうの様子がおかしい。


 まるでなにかに怯えているかのようにひっきりなしに周囲を見渡しながら廊下を足早に駆け抜けていくその姿は明らかになにか隠し事をしていた。


 気になった僕は悪いことだとは理解していながらもその後を無言でついていくことにする。なぜか獅子王ししおうが廊下に倒れ伏していた光景が脳裏に浮かんで離れない。


 獅子王ししおうが走るその後ろを、足音を消して僕は追いかけた。

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