第2話

 気分のすくような秋晴れの下、僕たちはグラウンドにいた。田舎の高校のくせに立地が悪いせいで猫の額ほどに狭い運動場に集められる。


 神子かみこ高校では運動会前は体育の授業のほとんどがその練習に費やされる。なにしろ、そうしなければ生徒たちが勝手に指示を聞かずに練習を始めてしまうのだ、先生も折れざるを得なかったのだろう。


 徒競走やリレーに出場する選手たちはそれぞれバラバラにグラウンド中に散る。その周囲を支援者に雇われたのであろう護衛役が鋭い目つきで守っていた。


 時折その一団の中から怒声が聞こえてくるのは、恐らく敵対選手の刺客が攻撃をしかけているからであろう。そんな修羅場を一歩ひいて眺めているのは僕たちだけでなく先生もそうだった。


「さていずみくん、わたしたちも練習しましょう?」


 二人三脚用の足を縛るひもを片手に、体操着姿の数奇院すうきいんが近寄ってくる。もちろん断ることなどできるはずもない僕は頷くほかなかった。


 実のところを言うと驚かれるかもしれないが、僕はあまり練習に乗り気ではない。去年二人三脚を数奇院すうきいんとやって苦労した記憶がまだ生々しく残っていた。


 二人の足をひもで固く縛る。お互いの肩に手をまわして体を密着させながら、僕たちは立ち上がった。


「よし3、2、1………。」


 数奇院すうきいんと僕、二人でかけ声をかけながら足を前に踏み出す。が、すでに一歩目からタイミングがずれてしまった僕たちは数m進む間もなく派手に地面に転倒してしまった。


 去年もそうだったのだが、どうしても数奇院すうきいんと足を出す瞬間の息があわないのだ。必ずどちらかがすこし早かったりもしくは遅かったりしてろくに歩けた例がない。


「まだまだ、もっとしましょう。」


 僕のすぐ真横で地面に横になっている数奇院すうきいんが珍しく悔しげな表情を浮かべながら、立ち上がろうとする。


 どうしてそうなってしまったのかはわからないのだが、去年のさんざんな結果以来、数奇院すうきいんはむきになって二人三脚にこだわるようになってしまった。


 体育祭でビリに終わった後も数週間練習につきあわされたほどだ。もちろんその練習も実を結ぶことはなかったのだが。


 数奇院すうきいんが努力している以上、とにかく僕も頑張って調子をあわせるしかない。数歩進んでは地面に倒れ、また立ち上がっては歩き出すのを何度も繰り返す。


 結局その後も数十分ぐらい二人三脚を練習したのだがすこしも上達することはなかった。数奇院すうきいんとふたり、大の字になって草むらの中に倒れこむ。


「どうしてうまくいかないのかしら。」


「まあ、地道に練習するしかないよ。」


 唇を噛みながら、数奇院すうきいんがぼやく。僕もなんだかんだ言って頭上で燦燦と輝いている太陽が憎たらしく思えるほどには悔しがっているようだ。



「あ、数奇院すうきいんはん! どないしたん、そんなミミズみたいに草むらに寝転んで?」


 僕はそっと目を瞑る。どうしてよりにもよってこの最悪のタイミングで梅小路うめこうじは姿を現したのだろうか。嫌な予感しかしない僕はそっと梅小路うめこうじの姿を目で追った。


 どうやら、梅小路うめこうじは僕と組むのを諦めて太刀脇たちわきと参加することにしたらしい。平均的な女子高校生と比べても身長の低い太刀脇たちわきと僕よりも背の高い梅小路うめこうじという一見とても不釣り合いに見える二人組はしかし、びっくりするぐらいうまく二人三脚をしていた。


 もはや走っているのと同じぐらいの速さではないのかと見まがうほどの勢いで梅小路うめこうじ太刀脇たちわきが近づいてくる。心底嬉しそうな表情を浮かべた梅小路うめこうじがにやけ面を隠そうともせずに声をかけてきた。


「そういえばさっきまで数奇院すうきいんはんといずみはんの練習の様子見とったんやけど、散々な出来やったな。おかしいと思わへん、身長は同じくらいなはずやのに?」


 僕は数奇院すうきいんの顔を見るまでもなく機嫌が急降下していっているのを確信した。いつの間にか握られていた僕の手にすさまじい力がこめられていく。


「こないな調子やったら、やっぱりいずみはんは数奇院すうきいんはんと違う人とやったほうがええんちゃう? 去年も二人でやってビリけつやったんやろ

? 今更恥の上塗りせんでもええやん?」


 梅小路うめこうじがここぞとばかりに嫌味を連発し続ける。脇の太刀脇たちわきは興味なさげに空に浮かぶ雲の形を観察していた。


 僕の手はすでに悲鳴をあげていた。薄笑いを浮かべる数奇院すうきいんの腹の内を想像して僕は冷や汗が止まらない。


「ほな、そろそろうちらは練習再開するわ。相性悪いのに無理やりいずみはんをつきあわせとる数奇院すうきいんはんと違って、うちらは優勝狙えそうやねん。あ、いずみはんは気が変わったなら、すぐに教えてな~!」


 僕にむかって手を振りながら梅小路うめこうじが遠ざかっていく。草むらに寝転んだままの僕たちは、静かに黙りこくっていた。


いずみくん。」


 しばらくして顔をうつむかせた数奇院すうきいんが口を開く。ビクビクと恐怖に震えながら僕は数奇院すうきいんの次の言葉を待った。


「なにがなんでも、今回の体育祭では優勝を狙うわよ。」


 次の瞬間飛び出した数奇院すうきいんの荒唐無稽な宣言に僕は目を丸くする。そんなことは不可能だ、今でも数歩歩くのが精いっぱいなのにあの梅小路うめこうじ太刀脇たちわきの組に勝つ? あまりにも無茶苦茶な目標に僕はめまいがした。


「いや、それは無理だって、」


いずみくん?」


 説得を試みようとするも、ニッコリと微笑む数奇院すうきいんの圧がずっしりとのしかかる。数奇院すうきいんから伝わってくる怒りの波動に、がくがくと生まれたての小鹿のように震えながら僕はただひたすらに口を閉ざした。


「ええ、ええ、いいですとも。梅小路うめこうじさん。」


 今までこの地上に現れたどんな独裁者よりもどす黒い笑顔を浮かべながら、数奇院すうきいんがぶつぶつとつぶやく。


「わたしといずみくんが相性が悪い? そのような妄言を口にするのなら、みせてあげるわ。そうよ、わたしたちなら優勝ぐらい当たり前、当然の結果であるはず。あの節穴の目に刻みこんであげる…………。」


 意味不明な言葉ばかりを並べている数奇院すうきいんからすこし距離をとろうとすると、手首をがっしりと掴まれる。


「あなた、これから放課後まで予定はないでしょう?」


 僕は絶望の面持ちで首を縦に振るほかなかった。



 永遠に続くかと思われた地獄の二人三脚練習が終わり、僕は疲労困憊で文字通り這いつくばるようにして更衣室を目指していた。あの昼の体育の授業から今の今まで僕たちはすべての授業をサボってただひたすらに二人三脚の練習を繰り返し続けていたのだ。


 ほかの生徒のおかしなものを見るかのような視線は今でも思い起こせる。まあ、誰も本気でやっていない二人三脚をただひたすらに必死で練習している人間がいたら誰だって気になるのは当たり前か。


 あちこち筋肉痛の体をひきずりながら校舎を歩く。土だらけの体操服を早く着替えたいものだ。


 いまいち力の入らない足を前にノロノロと出しながら廊下を歩いていると、遠くのほうに誰かが横たわっていることに気がついた。


 僕たちの来ているような体操服ではない、本格的な陸上用のユニフォームをまとった女子である。恐らくは敵対選手の手の者に襲われたのだろう。


 体育祭関係のゴタゴタに巻きこまれたくはないのだが、見過ごすわけにもいかない。ため息をつきながら僕はその人影に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


 周囲にほかの生徒の姿、特に刺客の姿がないことを確認してからその生徒の肩を揺さぶる。が、反応がない。特に怪我をしている様子もないので、もしかするとただ単に練習の疲労がたまって倒れてしまったのだろうか。


 しかたがないので僕は図書室まで連れていくことにした。ここで放置していればまた誰かに襲われないとも限らない。


 背負うためにその生徒の体を起こしたとき、初めて僕はその顔を目にした。見慣れたその人影の正体に目を見開く。


獅子王ししおう…………?」


 あの"郵便屋"であり僕の数少ない友人のひとりである獅子王ししおうが眉間にしわを寄せたまま気を失っていた。

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