"郵便屋"の疾走少女

第1話

 秋も深まってきたのか、教室の窓から見える山は色とりどりの色彩で飾られている。雑草が生い茂ったグラウンドに白線をひいている生徒の後ろ姿をぼんやりと見ながら、僕はそろそろあの狂乱の宴の季節がやってきたことを悟った。


 気のせいか、朝礼前の教室もいつともなく静まり返って落ち着かない様子だ。毎年恒例の、神子かみこ高校最大の行事が近づいているのだから、無理もないことなのだが。


 普段は教室は空席だらけなのにも関わらず、今日の六限の授業は欠席する者すらいない。それどころか他の教室から見物客が押し寄せて教室に立ち見している人がおさまらないほどだった。


 息を切らしながらその人混みをかき分けた先生が教壇に立つ。その一挙手一投足を生徒たちは今までにないほど緊迫して見つめていた。


「はい、それでは今から体育祭の種目決めを行います。」


 不良たちの目の色が変わる。ピリピリと緊張が空気中を伝播しているようだ。僕は去年の様子を思い返してため息をついた。



 体育祭。


 他の一般の高校のほとんどと同様に秋ごろに行われるこの学校行事は、神子かみこ高校の選りすぐりの不良たちが唯一本気で取り組む一大イベントである。その熱意は他校に負けるどころかはるかに凌駕していると僕は確信していた。


 いつもの神子かみこ高校の様子を知る者なら、あまりにもの違和感に自分の正気を疑うかもしれない。学校のことなど心底どうでもいいと考えているような連中だ、当然体育祭などというくだらなくて怠いだけの行事にやる気をだすことなどあるはずがなかった。


 それは間違いではなかった。ただし、十数年前までの話だが。


 はたしていったい誰が言い出したのだろう、この体育祭にある特殊な要素が付け加えられたのだ。それこそ、この高校の生徒が一年間分の力を振り絞るような恐るべき餌が吊り下げられたのである。



 それは、賭博であった。



 始まりは十数年前の体育祭のことである。当時いがみ合っていた2つの不良グループで中心的な役割を果たしていた生徒たちが偶然ひとつのリレーに出場することとなったのだ。


 当然であるが、バカな当時の生徒たちはその対立を思いっきり煽りたてた。普段ならすこしもやる気を出さない不良たちだが、自らの威厳をかけた戦いとなると話は違う。両チームとも文字通り自らの不良としての誇りを賭して本気で練習を積み重ねたのだ。


 そうして普段とは違った真剣勝負のリレーが行われると決まった途端、どこからともなく賭博は始まった。内容は非常に単純で、どちらのチームが勝つのか予想し、集められた金はすべて予想をあてた生徒と勝ったチームたちの間で山分けされる。


 あっという間に巨額の金額が動き、さらには2つの不良グループが自らの勝利に今までカツアゲで地道にためこんできた金を賭けるに至って、体育祭はお祭り騒ぎとなった。


 賄賂や闇討ち、食事への細工などありとあらゆる汚い手段を乗り越えた両チームは本番で後世に語り継がれるほどの大接戦を演じ、それは伝説に昇華された。


 その熱を忘れられなかった生徒たちは次の年も同じように金を賭け始め、この闇賭博は伝統として代々受け継がれるようになったのだ。


 その仕組みはその当時から一切変わってはいない。勝者と予想をあてた者が全ての賞金を独占するのだ。


 年中金欠気味の不良たちにとって起死回生、一発大逆転で大金を手に入れられる最大の機会であり、それゆえに体育祭は熱気が違う。賭博に加わる者も競技に参加する者も文字通り死に物狂いで勝利を目指すのだ。


 最近ではこの両者が手を組まなければ勝利を望むことすらできないほど体育祭は過熱していた。出場する選手とそれを裏で支える支援者、利害関係でつながった両者の連携なくしてはどんな妨害をしかけられるかもわからない。



「まずは、玉転がしから………。」


 とはいってもすべての競技に人気があるわけではない。


「次、借り物競争…………。」


 利害関係者が多すぎて褒賞金が少なくなる団体戦や、勝ち負けがはっきりしない競技などは以前として相変わらずやる気など皆無だ。


「ええっと、次は綱引き…………。」


 誰しもが注目する体育祭のトリの競技。それはくしくも一般の高校と全く同じであった。


「それじゃあ、リレーと徒競走。」


 すなわち、走り。先生の口からその競技の名が出た途端、我こそはと足に自身がる者が一斉に手を挙げた。


 その中には、獅子王ししおうもいる。普段とは違って真剣そのものの表情で黒板を見つめるその姿は、まさに一流のアスリートもかくやといったところであった。


 教室の端で手を挙げていたはずの生徒が殴り飛ばされる。突然の暴力にすぐに気を失ってしまったその生徒は廊下へと引きずられていき、二度と教室に戻ってくることはなかった。


 勝負はこの出場者選びの時点から始まっている。どんなに足が速くとも、選考方法がじゃんけんという原始的な運任せである以上、各選手の背後にいる支援者たちが考えることは同じだ。


 すなわち、立候補させない。有力な支援者を見つけられなかった選手はその時点でほかの支援者の手先に始末されてしまうのだ。


 不気味なほどピッタリと定員が満たされ先生が手元の紙にメモを取った瞬間、教室の空気が弛緩する。


 山場は終わったとばかりに生徒たちが次々と教室を後にしていく。ポツポツと身の程知らずにも立候補してしまった生徒たちの屍が残された教室で、僕はようやく一息ついた。


「よし、次は二人三脚。」


「はい。」


 僕の手も同時に掴んであげさせながら、数奇院すうきいんが立候補する。他にも幾人かの生徒の手があがっていた。


 …………まあ、今までの熱気は全て僕たちには関係のないことだ。僕たち"銀行屋"は本業で十分稼いでいる、それこそ賭博による儲けなど眼中にないほどに。


 そんな僕たちにとっては余計な怪我をしそうにない二人三脚あたりが一番なのだ。


「僕たち去年も二人三脚じゃなかった?」


「あら、なにか問題でも?」


「いえいえ、なにもありませんとも。」


 さっさと出場競技を決めてしまった数奇院すうきいんと二人で話していると、獅子王ししおうが近づいてくる。唇を真一文字に結んだその少女は僕たちに囁いてきた。


「すまんが、ここ数週間は"郵便屋"としての仕事は休ませてもらう。吾輩も最終調整を済ませねばならぬのでな。」


「別にいいよ、がんばってね。」


 僕の言葉にしっかりと頷きを返した獅子王ししおうは踵を返して教室の出口へとむかう。その扉にもたれかかっていた一人の長身の男が、僕たちに手を振ってきた。


 恐らくは徒競走に出場する獅子王ししおうの支援者なのだろう。ああ見えても獅子王ししおうは前回の優勝者なのだから、支援者がついていることは当たり前だった。


「さて。」


 数奇院すうきいんが読んでいた本を閉じる。


「わたしたちはいつも通り図書室にむかいましょ?」


「うん。」


「お久しぶりやな! 元気にしとった?」


 びくりと、体が震える。僕にあの日の恐怖を思い出させたのは、目の前で声をかけてきたあの梅小路うめこうじだった。


 あの日、僕たちの前でその本性を露わにした梅小路うめこうじはそれからも何食わぬ顔で僕たちに声をかけている。僕も親しく接したいところではあるが、どうしてもあの悍ましい笑顔が脳裏をよぎってぎこちなくならざるを得なかった。


梅小路うめこうじさん、あなたと違ってわたしたちは忙しいの。話なら後にして……。」


「そういえば、いずみはんも二人三脚に出場するんやってな。ぜひにうちと組まんか?」


 数奇院すうきいんの言葉をガン無視して梅小路うめこうじが僕に語りかける。僕は数奇院すうきいんの瞳から光が消え去ったのを敏感に察知した。


「え、えと。ごめんだけど僕は数奇院すうきいんと組むことになってるから……。」


「あなたみたいに身長が高いと、いずみくんと二人三脚をするのは難しいのではないかしら? やっぱり、出来る限り同じぐらいの背丈の人同士で組まないと、ねぇ?」


 数奇院すうきいんが僕の隣りに並んで身長が同じぐらいであることを見せつける。今度は梅小路うめこうじの瞳からすっと光が消えた。


「いやいや、身長の高い分うちが引っぱっていくさかい、いずみはんは心配せんでもええねんで? 気づいた頃には一番でゴール、なんて風にしたるわ。」


「あらあら、体が大きいからかしら、とても独りよがりなのね。それはもう二人三脚ではないの。そんなに走りたいのだったら徒競走にでも出ればよかったのに。」


「ええ、数奇院すうきいんはんも面白いこと言うなぁ。」


「あら、あなたも大概よ。狙ってなのか知らないけれど、とても無様で滑稽ね。」


 乾いた笑いが教室の後ろで響く。僕を挟んでむかいあう二人は笑っているようで目が笑っていなかった。


 あまりにもギスギスとした雰囲気に僕の胃が痛くなる。むしろ数奇院すうきいん梅小路うめこうじは相性がいいんじゃないかと現実逃避気味に僕は思いを巡らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る