第25話


 闇夜の校舎に鈍い打撃音が広がる。一階の応接室、その目の前の廊下で異様な光景が繰り広げられていた。


 十数人の生徒が、円を描くようにしてぐるりと廊下の一角を取り囲んでいる。その円の中心では目を覆いたくなるようなリンチが続けられていた。


「ガッ、グッ、ゴッ!」


 およそ人の出すものとは思えぬ呻き声が清流寺せいりゅうじの口から零れ落ちる。その上に馬乗りになった太刀脇たちわきは眉一つ動かさずただひたすらに手の中のトンカチを振り下ろしていく。


 なんとか顔面に降り注ぐ固い金属の塊を防いでいる清流寺せいりゅうじの腕はアザどころの話ではなく、清流寺せいりゅうじの表情は脂汗と涙でグシャグシャの濡れ雑巾のようになっていた。


 そんな凄惨な現場から少し離れたところで、ニコニコとした笑顔を崩さない数奇院すうきいんが興味深げに拷問を受ける清流寺せいりゅうじを鑑賞している。


 そんな人間の善性が麻痺してしまったかのような悪逆の業から、かつて清流寺せいりゅうじにこびへつらっておこぼれにあずかってきた桜木さくらぎたちは目を離すことができない。


 ある者はそのあまりにもの凄惨さに吐き気を催し、目を背けている。またある者はその埒外の残虐さに一種の憧憬の念を抱くように頬を赤く染めている。牧師や仏僧が目にしたら卒倒しそうな倫理の欠落した作業は、最終的に清流寺せいりゅうじがピクリとも動かなくなったところで終わりを迎えた。


「ごめんなさいね、痛いわよね? でも、一週間ほど前にいずみくんに暴力を振るったのだから、仕方がないわよね?」


 虚ろな目で天井を眺める清流寺せいりゅうじに、数奇院すうきいんが優しく語りかける。返事をしようとしない清流寺せいりゅうじの手を太刀脇たちわきが思いっきり踏みつけた。


「イガァッ! ひっ、わ、わかった! 俺が悪かった、その、あの…………。」


「あら、もしかして忘れてしまったの? 反省が足りていないのかしら?」


「ヒッ、ち、違う! やめてくれ、やめてくれぇっ!」


 再び無言で太刀脇たちわきがトンカチを振り上げる。かつての自尊心などとうの昔に吹き飛んだ清流寺せいりゅうじは頭を床にすりつけて許しを請うた。


太刀脇たちわきさん、清流寺せいりゅうじくんにもう一度機会をあげましょう? それで、どうしてわたしがこんなことをしたのか思い出してくれたかしら?」


「あ、ああ! 思い出した、あの梅小路うめこうじのアマに粉かけるときに邪魔ないずみのクソ野郎の顔面めがけて一発喰らわせて、」


いずみさん、でしょう?」


「あ、い、いや、許して……。ガアァァァァァ!」


 清流寺せいりゅうじの青くなった指先にトンカチが何度も何度も叩きつけられる。太刀脇たちわきの動きにあわせてビクンビクンと跳ねる清流寺せいりゅうじはまるで出来の悪いビックリ箱のようだった。


「い、いずみ様のお顔を一週間ほど前に間違えて殴ってしまいました。深く、深く反省いたしておりますから、なにとぞ、なにとぞお許しくださいぃぃ………。」


 いろいろな体液をまき散らしながら清流寺せいりゅうじが頭をこすりつける。そんな清流寺せいりゅうじの耳元にまでかがみこんだ数奇院すうきいんは、ささやいた。


「もう、二度といずみくんに悪いことをしないわよね?」


 ぶんぶんと首を千切れんばかりに振る清流寺せいりゅうじの指のうえに、もう一度トンカチが振り下ろされる。獣のような咆哮をあげた清流寺せいりゅうじ数奇院すうきいんは愉しげに告げた。


「これは、わたしとの取引を裏切った分よ。これでおあいこ様ということかしら。」


 ほんとうはもっとキチンと償ってほしかったのだけれど、いずみくんに怒られてしまうから、そう嘯いた数奇院すうきいんは悶絶する清流寺せいりゅうじを背に応接室へと足を踏み入れる。


いずみくん、迎えに来たわ。返事をしてくれないの、つれないわね?」


 ウキウキとした数奇院すうきいんのその声に、清流寺せいりゅうじはとあるひとつの事実を思い出して心臓がギュッと掴まれたかのような怖気を感じた。


「あ、数奇院すうきいん様、待って……。」


 しかし、それはあまりにも遅きに徹した。





「アレは、なに?」




 途端、時が止まる。


 ゴッソリと感情が抜け落ちた数奇院すうきいんの声が廊下に転がり落ちた。清流寺せいりゅうじ太刀脇たちわきも、誰も微動だにできない。


 しんしんと静かにふける夜に、冷たい風が通り過ぎる。青白い顔をしながら神子かみこ高校の廊下の一角を照らす月すらも口を閉ざしたかのような沈黙が広がった。


 数奇院すうきいんの顔つきは、さきほどまでのにこやかな笑顔とは打って変わって能面のようになんの感情も読み取れないものに様変わりしている。


顔つきの数奇院すうきいんの視線の先には、全身アザまみれで気絶した二階堂にかいどう いずみの姿があった。


 清流寺せいりゅうじが敏感に数奇院すうきいんの激昂を悟って震える。その肩にポンと白い手が置かれた。ビクリと震えた清流寺せいりゅうじが鈴のなるような声を耳にする。


「ああ、残念だわ。清流寺せいりゅうじくんがもう約束を破ってしまうだなんて………。」


 清流寺せいりゅうじにとって最悪なことに、因果が巡り巡って報われることになった。せめて服の下の目に映らないところだけに暴力を振るっていたならば誤魔化しようもあったのかもしれないが、後の祭りである。


 うすら寒い沈黙の中で、数奇院すうきいんの深いため息が聞こえる。それは、いつも飄々としている数奇院すうきいんらしからぬ重苦しさを放っていた


「いいことを思いついたわ。」


 言葉面とは裏腹に心底冷たい声で数奇院すうきいんが口を開く。周りに立ち尽くすかつての清流寺せいりゅうじの一味を、モルモットでも眺めるかのように見渡した。


太刀脇たちわきさん、あなたいろいろと道具を持ってきていたでしょう? それを一度全部床に並べてくれないかしら。」


 激怒した主に逆らうとどうなるのか手に取るように想像できる太刀脇たちわきはもはや言葉を発しさえしない。震える手でゴトゴトと凶器を高校の床に並べていく太刀脇たちわきはしかし、今の数奇院すうきいんと比べればすこしも恐ろしくなかった。


 太刀脇たちわきの愛用の仕事道具がずらりと床に並べられている光景は、圧巻の一言でしか言い表せないだろう。寸鉄やナイフ、アイスピックといった定番の暗具から一見するとどうやって使うのか想像すらできない謎の器具まで、まるで展覧会でも開けそうなぐらいたくさんの凶器に、桜木さくらぎたちが一歩後ずさる。


 いったい数奇院すうきいんはなにをするつもりなのだろうか。間違いなく恐ろしいことが起こると確信していながらも、その場の誰も思いつくことはなかった。


「さて。」


 にこりともせずに数奇院すうきいんが呼びかける。その相手は清流寺せいりゅうじの元の子分たちだった。


清流寺せいりゅうじくんのかわりにわたしを選んでくれるぐらい賢いのだから、わたしがなにをしてほしいか言わなくてもわかってくれるでしょう?」


 桜木さくらぎたちの視線の先には、全員でわけてもありあまるほどある凶器の山があり、そしてさらにその奥で全身に打撲を負った清流寺せいりゅうじがうずくまっている。


 それが指し示すことはつまり――――――。


 数奇院すうきいんがまったくの無表情で桜木さくらぎたちを見つめている。その場の誰もがすでに数奇院すうきいんの意図を察していた。


 しかし、誰も動こうとしない。それも当然である、いい上司だったとは口が裂けても言えないものの誰が好き好んでかつての仲間であった清流寺せいりゅうじを、


桜木さくらぎくん。」


 数奇院すうきいんの言葉に桜木さくらぎの肩が震える。感情がそげ落ちた表情で数奇院すうきいんが自分を凝視していることを桜木さくらぎは感じていた。


「ほんとうは優しい人だったのね、勘違いしていたわ。」


 ――――――でも、そんなに優しくてわたしの役に立ってくれるのかしら?


 桜木さくらぎは無言で一歩前へ進み出ると、どこか哀れそうな視線を送ってよこす太刀脇たちわきの目の前でメリケンサックをのろのろと拾いあげた。


「それでいいの?」


 数奇院すうきいんの言葉に、桜木さくらぎの動きが止まる。しばらくした後、覚悟を決めたように血のついたトンカチを手にした桜木さくらぎ清流寺せいりゅうじに近寄っていった。


「お、おい、桜木さくらぎ? 冗談だよな、嘘だよな、そんなむごいことしねぇよな?」


 怯えきった震え声に努めて耳を閉ざしながら、桜木さくらぎ清流寺せいりゅうじにトンカチを振り下ろした。


 つんざくような絶叫が放たれる。


 もはや地獄さながらの激痛から逃れようともがく清流寺せいりゅうじの四肢を押さえつけた桜木さくらぎは、張り裂けそうになる良心を押しこめながら機械的にトンカチを振り下ろし続ける。


 その姿を見て、数人の決意した生徒が前に歩み出て凶器を手にした。


「ひっ、やめて、やめてください、ほんとうに、一生のお願いだからぁ……。」


 清流寺せいりゅうじの懇願に瞳の覚悟の光が一瞬揺らいだが、しばらくして暴行に加わる。数人がかりで痛めつけられている清流寺せいりゅうじが気味の悪い叫び声をあげた。


「アアアアアアァァァァァァァッ!」


 その凄惨な光景に眉ひとつ動かさない数奇院すうきいんが、残った生徒たちの青白い顔を見つめる。


「それで、あなたたちはどうするの? ただそこでじっと見つめているだけ?」


 その言葉が合図にして、堰を切ったように"転売屋"の面々が殺到する。怯えきった表情を恐怖に歪めながら押しあいへしあいして拷問器具を奪いあうその光景は控えめにいってこの世のものではなかった。


 心のうちから湧きあがる様々な感情に顔をぐちゃぐちゃにしながら、奇声をあげて清流寺せいりゅうじをリンチする。


 狂気の宴はいつまでともなく続けられた。

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