第11話

「アブリルか。この首のナイフをどけてほしいんだけど。」


 突然襲ってきたのが太刀脇たちわきだとわかって僕はホッとした。どうせ僕を地面に抑えつけているのもいつもみたいに過剰に隠れ家のまわりを警戒していたからに違いない。


 が、太刀脇たちわきがその物騒な凶器をしまう様子はまったくなかった。それどころか、さらに体重をかけて僕の動きを完全に封じこめてしまう。


「あ、アブリル? 僕だってば。」


いずみ、内通者、可能性。夜間、山、存在、怪しい。潔白、証明、求める。」


 太刀脇たちわきにどうやら僕は疑われているらしい。冗談じゃない、僕は顔から血の気がひいていくのを感じた。


 太刀脇たちわきに敵だと誤解されてしまったらどんな目にあうか。そうでなくともとんでもない拷問にかけられるかもしれない。


 胡乱げな眼差しの太刀脇たちわきに向かって、僕は必死にことのあらましを説明した。


「……で、こんな風に僕は遭難して今に至るんだ。これで分かってくれたかな?」


「説明、証拠、ない。嘘、いくらでも、作れる。」


 そんなものあるはずがない、具体的な物的証拠を要求された僕は心の中で悲鳴をあげる。僕の必死な弁護もむなしく、太刀脇たちわきは僕への疑いを解いていないようだった。


「証拠、ない? それなら……。」


 僕が狼狽えているのを見て取った太刀脇たちわきが瞳に剣呑な光を宿す。やけっぱちになった僕は懐をまさぐり、指に触れたものを引っ張り出した。


 獅子王ししおうが僕に託した、太刀脇たちわきへの封筒、それが天高く掲げられる。


 それを一目見た太刀脇たちわきの瞳が、なぜか動揺したかのように揺らいだ。首に突きつけられたナイフが緩められ、僕は九死に一生を得る。


「それ、封筒。誰から?」


しずくから預かったんだ、代わりにアブリルまで届けてくれって。」


「そう。」


 いきなりスンと落ち着いた太刀脇たちわきが僕の体の上から立ち退く。僕の手から封筒をバッと奪いとると、懐の奥にしまいこんでいた。


「事情、おおよそ、把握。どうするか?」


 どうやら僕への疑いは完全に晴れたらしい。そうなると、ひとまずの危険を脱した僕はこれからのことを考えなければならなかった。


 話を聞くに、太刀脇たちわきはこれから隠れ家にもどる最中だったのだという。さっきまで封筒を受け取るために高校のあちこちで獅子王ししおうを探していたのだが、見つけられずに諦めて明日に持ち越すことにしたらしい。


 どうやら僕と太刀脇たちわきはちょうど入れ違う形になったようだ。


 さて、僕はいったいどうすればよいのだろう。幸いにも太刀脇たちわきは予備の懐中電灯ひとつを貸すこともやぶさかではないらしいから、高校まで戻ろうと思えば戻れないこともない。


 ……でも、夜の山を一人で降りるのはやっぱり嫌なんだよな。


いずみ。お詫び、隠れ家、一晩、泊める。」


 僕がいろいろと悩んでいると、太刀脇たちわきが見かねたのか新しい提案をしてくれた。どうやら僕を誤って疑ってしまったかわりに、隠れ家に一泊させてもらえるらしい。


「でも、迷惑じゃないかな。それに、僕のことをそれだけ信頼してもいいの?」


「いい。もし、いずみ、襲われても、撃退、余裕。」


 言外に僕を倒すことなどお茶の子さいさいだと宣言されたのだが、喜ぶべきだろうか、それとも悔しがるべきだろうか。いずれにしろ、疲れ切ってとにかく早く休みたかった僕は太刀脇たちわきの厚意に甘えることにした。


「どうもありがとう。それじゃ、お願いするね。」


「ん、手、握る。」


 目の前に健康的な小麦色の手が差し出される。どうやら夜の山道を一人で歩かせられないと太刀脇たちわきに思われるほど僕はフラフラになっていたらしい。


 太刀脇たちわきに手をひかれる僕は、暗黒の山中にわけいっていった。



 太刀脇たちわきは単に山の中で寝泊まりしているだけではない。その隠れ家はなんと山道から遠く離れた文字通りの森の中にあるのだ。


 山道から外れて、僕を先導する太刀脇たちわきはどんどん道なき道を進んでいく。木の根に足を何度も取られながら、太刀脇たちわきと今はぐれたら確実に助からないと気がついた僕はゾッとした。


「ん、ここ、ついた。」


 しばらくして前を歩いていた太刀脇たちわきが立ち止まる。近くに小川が流れているらしく、ちょろちょろと水音が聞こえてきた。


 ようやく暗闇に目が慣れてきた僕は、そこが見慣れた太刀脇たちわきの隠れ家であることに気がついた。


 迷彩色のテントが目立たないように木々の間に張られている。石で囲われた地面には焚火をした痕跡が残されていた。


 ほんとうは森の中で焚火をするといろいろな法律にひっかかるのだが、太刀脇たちわきにそのことを注意したところで馬耳東風だろう。それに体が冷えた僕はそんな法律には興味がなかった。


「ん。……あげる、食べる、大切。」


 太刀脇たちわきがつけてくれた火のそばで手をかざし、太刀脇たちわきからもらった栄養バーを口にする。脇では太刀脇たちわきが栄養バーを頬張っていた。


 そのまま、二人の間の会話は止む。数奇院すうきいんもあまり口数の多いほうではないが、太刀脇たちわきはそれに輪をかけて無口だ。


 チロチロと揺らめく炎を見ているふりをして、太刀脇たちわきの横顔を盗み見る。


 幼い顔立ちだ。火に照らされて褐色がかった肌は美しく輝いている。くりくりと大きな黒い瞳には、年相応のキラキラとした光が見え隠れしていた。


 その整って端正な横顔にはところどころ傷が走っている。


 太刀脇たちわきはあまりメキシコでの体験を話したがらない。しかし、うわさ話や本人の異常な警戒心をみるに、日本でぬくぬくと育った僕には想像もつかないような経験をしてきたのだろう。


 太刀脇たちわきにとっては、あるいはこの日本の人々こそが警戒心がなさすぎるのかもしれない。


「……夜、遅い。眠る、必要。」


 太刀脇たちわきがテントの中に入るよう僕を促す。そこには寝袋がひとつしかなかった。


「あれ、アブリルはどこで寝るんだ?」


 僕の疑問に太刀脇たちわきは無言で手に持つハンモックを掲げてみせる。実に太刀脇たちわきらしいことに、睡眠中の無防備な姿をみせるつもりは毛頭ないらしい。


 暗黒の森の中に消えていく太刀脇たちわきの後姿に呆れとも尊敬ともにつかない複雑な感情を抱いた僕は、それでもありがたく寝袋を使わせていただくことにした。


 焚火の火の始末をしたのち、テントの中に潜りこむ。ともすれば乱雑に汚れていそうなテントの中は清潔に保たれていて、それどころかいい匂いがする有様だった。


 汚れた制服で寝袋を汚してしまうかもしれないと躊躇したが、それでも背に腹は代えられない。全身を暖かな陽気に包まれた僕は、たまりにたまった疲労もあいまってすぐに眠りについてしまった。



 ピチピチピチ……。


 小鳥のさえずる声がして、僕はゆっくりと瞳を開ける。すでに高く昇っているのであろう朝日でテントの中は明るかった。


 テントから這い出すと、すっかり疲れのとれた体でのびをする。一足先に起きていたらしい太刀脇たちわきはすでに栄養バーを貪っていた。


いずみ、寝坊助。太陽、もう、昇った。」


 倒木の幹に腰かける太刀脇たちわきが、栄養バーの最後のひとかけらを喉奥に押しこんだかと思うと、珍しく笑いながら僕をからかってくる。そして、僕が言い返す間もなく、薬缶をひっつかんで近くの小川まで水をくみにいってしまった。


 偶然垣間見た太刀脇たちわきの意外にお茶目な一面に驚きながら、僕は手持ち無沙汰に切り株に腰かける。しばらく森の木漏れ日を茫然と見つめていると、あるものが目に入った。


 例の封筒だ。封をきられて中の手紙がはみ出たまま、地面の上に落ちている。


 珍しい、あの太刀脇たちわきが自分の持ち物を落とすだなんて。ポケットからでも転げ落ちたのだろうか。


 僕は特段怪しむこともなく、ただ単なる善意でその封筒を拾った。それが、とんでもない秘密を隠していたとは思いもよらなかったのだ。


 最初に違和感を覚えたのは、はみ出た手紙の最後に記された差出人の名前だった。


「これは、まさか清流寺せいりゅうじからの手紙……!?」


 恐ろしい怖気が僕を襲う。いったいこの手紙はなんのために送られたものなのだろう。


 他人宛ての手紙を本人の断りもなしに勝手に読むのは決してしてはならないことだ。もし太刀脇たちわきに知られてしまったら暴行を加えられるだけでは済まないだろう。


 それでも手紙を封筒から取り出す手を止めることはできそうにもなかった。


 ところどころ汚れや染みがついた紙に殴り書かれた乱暴な文字。僕たち"銀行屋"、つまり太刀脇たちわきとも対立しているはずの清流寺せいりゅうじから送られた手紙は、実に単純なことをさし示していた。



 太刀脇たちわきは、裏切り者だ。

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