第5話

 中身がなくなって軽くなったビニール袋を片手に、僕と梅小路うめこうじは来た道をひき返していた。二人の間にはなんともいえない沈黙が漂っている。


 ふと、梅小路うめこうじが口を開いた。


いずみは、ええ人やな。」


「いや、違うよ。たんなる偽善者だよ。」


「違わんで。」


 梅小路うめこうじが真剣な声色で僕の言葉を否定してくる。その真っ赤な瞳は前に真っすぐ固定されていた。


「うちはこの神子かみこ高校のことなんも知らんかった。自分のことに精いっぱいで、いずみみたいにほんまに困っとる人なんて視界に入っとらんかった。ぜんぜんあかんわ。」


「しかたないよ、転校してきてすぐなんだから。」


 また、沈黙が僕と梅小路うめこうじとの間を通り過ぎていく。僕は梅小路うめこうじになんと声をかければいいのかわからなかった。


いずみはこの高校についてどない思っとるん?」


「そうだなぁ、酷い高校だとは思ってるよ。だけど、変えようがないから。」


 神子かみこ高校の闇は僕一人には手に余る。よしんば"銀行屋"として高校を裏から操るあの数奇院すうきいんを説得できたところで同じことをする生徒は後を絶たないだろう。



 しばらくして、もとの廊下まで戻ってくる。


みやびさんはまだまだ旧図書室に泊まるつもり?」


「うん、ほかにいくあてないからなぁ。」


 たわいのない話を二人でしていると、遠くから巨漢が近づいてくるのがみえた。その男に僕は見覚えがある。嫌なやつと出くわしたものだ、僕は顔をしかめた。


「夜も更けてきたわけだし、そろそろ旧図書室に戻らない?」


 さりげなくその場を離れようと梅小路うめこうじを急かしているうちに、その大男は僕たちのすぐ近くまでやってきてしまった。


 二メートルはあろうかという巨躯を、鎖だらけの改造制服に押しこめた男が僕たちの前に立ちふさがる。脂ぎった坊主頭が蛍光灯の光を反射してテカテカと照っていた。


 僕は嫌々ながらも声をかけざるを得ない。


清流寺せいりゅうじ、いったいなんの用だよ。」


 清流寺せいりゅうじ 孝臣たかおみ。この高校の食料品を独占する"転売屋"、その頂点に君臨する男である。


 暴力をいつも振るい、まるで王侯貴族のような尊大な態度をいつもとっているこの清流寺せいりゅうじのことが僕は大の苦手なのだ。


「……おい、お前。そこの梅小路うめこうじさんになにをしていた。」


 鼻息を荒くしながら、清流寺せいりゅうじが低い唸り声を絞り出す。


 僕はまったく意味がわからなかった。僕と梅小路うめこうじがなにをしていようが、清流寺せいりゅうじにはいっさい関わりあいがないはずだ。


 と思った瞬間、僕の視界は悪趣味な指輪だらけの拳に埋め尽くされた。


 清流寺せいりゅうじの拳が思いっきり僕の顔面にヒットする。そのまま地面に倒れこんだ僕は、駆け寄ってくる梅小路うめこうじの叫び声を最後に意識を失った。



 目を覚ますと、オレンジの眩い光が目に入ってくる。たまらず起き上がると、そこはソファの上だった。


 脇で心配げに見つめてくる梅小路うめこうじと顔があう。と、視界が紺色のブレザーに包まれた。


「よかった、大丈夫やったんか!」


 抱き着いてきた梅小路うめこうじが感極まったかのように僕に泣きつく。廃教室の二の舞になりそうだと予感した僕は必死に抵抗を試みた。


「ええい、離れんか!」


 ひっついてくる梅小路うめこうじをなんとか引き離すことに成功すると、真っ赤なもこもこの絨毯が視界に入る。壁には落書きだらけの写真がずらりと並べられていた。


 ここは旧応接室、つまりは清流寺せいりゅうじのアジトらしい。


みやびさん、いったいあのあとなにがあったんだい?」


 僕が小声で梅小路うめこうじに尋ねた時だった。


「すまんかったな、いずみ。俺、てっきりお前が梅小路うめこうじさんに無理やりなにかさせようとしてると早合点しちまったぜ!」


 扉が開き、豪快に笑っている清流寺せいりゅうじが現れる。その手にはビール缶が握られていた。


 その姿からはまったく反省の色がみられない。人一人を殴って気絶させているにも関わらず、だ。まさに横暴で自分の都合しか考えていない清流寺せいりゅうじらしい傲慢だった。


清流寺せいりゅうじ、お前……。」


「まったく、梅小路うめこうじさんと仲がいいんだったらいずみも早く教えてくれよ。そうすれば変な誤解がなくて済んだのによ。」


 なぜか満面の笑顔の清流寺せいりゅうじが僕の肩を勢いよく叩く。よろめいた僕を不安そうに梅小路うめこうじが見つめていた。


「それで梅小路うめこうじさん、酒飲むだろ? ほら、ビール。」


「……うちは遠慮しとくわ。そもそも、清流寺せいりゅうじはんはまだ成人しとらんやんな?」


「まったくお堅いねぇ、そんな法律なんて気にせずに飲んじまえばいいのに。酒はうまいぜ!」


 梅小路うめこうじが浮かべる苦々しげな表情に気づく素振りさえみせない清流寺せいりゅうじはまた下品に大笑する。


梅小路うめこうじさんの転校を祝って今夜は宴だ!」


 清流寺せいりゅうじが手を叩くと、手下の生徒が白い皿をずらずらと机の上に並べていく。それはどうみても二人分しかなかった。


 清流寺せいりゅうじからの無言の圧が僕にかけられる。どうやら清流寺せいりゅうじが用があるのは梅小路うめこうじだけで、僕はお呼びでないらしい。


 僕は清流寺せいりゅうじの狙いがわかった気がした。


 自己中心的な清流寺せいりゅうじがただの善意で梅小路うめこうじに親切にしているわけがない。清流寺せいりゅうじは娘である梅小路うめこうじを通じて先生に媚びを売ろうとしているのだ。


いずみ、忙しいようなら出てってもいいんだぜ? 俺は無理強いは大嫌いだからな。」


 不気味なまでに上機嫌な清流寺せいりゅうじの笑みの向こう側に、冷たい目線を感じる。


 清流寺せいりゅうじの意に反すれば、後でなにをされるかわかったものじゃない。かといって梅小路うめこうじをこの男と二人きりにさせるのはあまりにも危険すぎる。


 心細げな梅小路うめこうじにぎゅっと服の袖を握られるのを感じた僕は腹をくくるほかなかった。


「いや、僕はみやびさんが心配だから残るよ。」


「そうか、それはよかった。だけどなにぶん急なもんだからお前の分の料理は用意してねぇぞ?」


 清流寺せいりゅうじの目が細められる。僕はただひたすらに面倒ごとに巻きこまれた己の不運を呪った。



 清流寺せいりゅうじ梅小路うめこうじに振る舞う料理は豪勢の一言につきた。


 山奥でめったに手に入らない刺身からよく脂ののったステーキ、食後にはほどよい冷たさのアイスクリーム。おそらくこの高校で普通に暮らしていればけっしてお目にかかることのないような嗜好品が次々と出される。


 それはまさに"転売屋"として巨万の富を築き上げている清流寺せいりゅうじの権力と財力を象徴していた。


梅小路うめこうじさん、この飯うまいだろう?」


 まるで当然といわんばかりに口いっぱいにステーキを頬張る清流寺せいりゅうじが熱心に梅小路うめこうじに語りかける。だが、梅小路うめこうじはどうも食事を楽しんではいないようだった。


 どうしてだろうか? 正直なことを告げると、僕はすこし梅小路うめこうじが羨ましかった。こんなご馳走に僕はありついたことがない。


 そんなことを梅小路うめこうじのとなりで考えていると、コトリとフォークがおかれる音がした。


清流寺せいりゅうじはんはさ、悪いな思わんの?」


 梅小路うめこうじが感情を抑えこんでいるような小さな声で清流寺せいりゅうじに問いかける。


「こうやってる今も清流寺せいりゅうじはんが値段釣りあげてるせいで苦しんどる人がおるんやで。」


 僕は梅小路うめこうじがなにを考えているかわかった。梅小路うめこうじは今日僕がつれていった廃教室の生徒たちについて清流寺せいりゅうじを責めているのだ。


 だが、僕はその答えは聞くまでもないと知っていた。清流寺せいりゅうじがどういう男なのかを知っているからだ。


 梅小路うめこうじの問いかけにキョトンとした清流寺せいりゅうじは、しばらくしてへらへらとした笑いを浮かべた。


「ああ、そいつは俺も心が痛いぜ? でも食っていくためにはしょうがないだろ?」


 ほら、清流寺せいりゅうじはどこまでいっても自分のことしか考えていないのだから罪悪感だとか責任感を求めるのはお門違いというものだ。梅小路うめこうじもようやく目の前の男の本性を悟ったらしく、黙りこんでしまった。


「……うち、そろそろ失礼するわ。」


 バッと立ち上がった梅小路うめこうじが足早に旧応接室を後にする。


 けっきょく梅小路うめこうじ清流寺せいりゅうじは最後まですれ違ったままだったな。そんなことを思いながら僕も追いかけようとしたときだった。


「おい、いずみ。」


 低い声が背後から響く。振り返らずとも僕は梅小路うめこうじの様子が手にとるようにわかった。怒りが旧応接室を覆う。


「あのクソアマは俺の獲物だ。奪ったら承知しねぇぞ。」


 奪うとか奪われるとか、いったい清流寺せいりゅうじ梅小路うめこうじをおもちゃとでも思っているのだろうか。僕に言われても困る話だ。


「そんなこと知らないね。どっちにしろ誰と親しくするか最後に決めるのはみやびさん本人でしょ?」


 清流寺せいりゅうじの目が獰猛に輝く。


「……"銀行屋"だろうがなんだろうが、必ず後悔するぜ。」


 その野蛮な瞳の光を僕は努めて無視した。

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