ジル 人と魔の狭間で⑬

「オレはあんたに許してくれなんて言わない。オレはあんたには決して謝らない」


 ジルは静かな口調で、感情を面には出さず淡々と言った。

 闇は更に濃くなり、さっきよりも冷たい風が周囲を吹き荒れ始めていた。


「何を言っている、お前……?」

 ヘインズの問いに、ジルからの返答はなかった。

 

 自分をじっと見つめる――、いや、見張るように注がれた二つの黒い双眸は、闇の中だというのに、やけに光を集めている、とヘインズは思った。


「だから、あんたも、これからオレがすることを許さなくていい」

 そう言い、ジルは片腕を前に伸ばしてヘインズに向けると、爪を伸ばして剣を創造した。鋭い刃となった少年の爪は、数メートル離れた場所にいるヘインズを真っすぐ指している。


「な……お前、化物か……?!」

 ヘインズは背中の痛みを堪えてようやく立ち上がり、恐怖で引き攣った顔で、震える声で言った。


 ヘインズは慌て、ジルとは正反対の方へ走り出す。痛みを忘れ、ただ一目散に、逃げ続ける。ぜいぜいと吐く荒い息の下で、ヘインズは思う。



 ――あれは化け物だ。

 

 怒らせてはいけなかった。

 関わりを持つべきじゃなかった。

 あれが、魔のものというヤツなのか……? 恐ろしい力を持ち、人のような姿をするものもいると聞いたことがある。そうだ、あいつは、始めから普通じゃなかった!

 


 ヘインズはちらりと背後を見遣る。

 そこにジルの姿はない。

 ほっと息を付いたのも束の間、頭上に気配を感じて見上げると、小柄で痩せた少年は宙に浮き自分を見下ろしていた。


「お前……何をする気だ……?」

 ヘインズは恐怖に震えながら言った。


「オレはただ、リーゼルが目覚めた時に安心できるようにしてやるだけだ。あんたが居たんじゃ、リーゼルは怖がる。また、同じ目に遭う」


「や、止めてくれ、ジル! もう、リーゼルに酷いことはしない! 誓う! あの家からは出て行く!!」

 ヘインズは必死に、宙に浮いたジルに向かって叫ぶ。

 するとジルの瞳に、再び怒りが燃えるように浮かび上がった。

 

「あんたのいうことなんか信じない。それに、もう、駄目だ。もう遅い……」

 ジルが、なぜか憐れみを込めた声で言ったそれが、ヘインズが聞いた最期の言葉だった。

 


 ジルは空から風のように降り立ち、そのまま、一縷の狂いもなく、ヘインズの胸を刺し貫いた。

 ヘインズには叫び声を上げる間も、充分に痛みを感じる余裕もなかった。


 どさり……。

 ヘインズの大きな体躯が芝生に横たわり、草花の上に血が染みていく。

 

 ジルは暫くじっと見つめ、ヘインズの命の灯が消えたことを確信すると、爪の剣を戻し、手の平をヘインズの死体へと向けた。

「〝深紅の炎クリムゾンファイア〟」


 ジルは呟くように呪文を唱える。

 赤黒い炎が舞い、大きく凄まじい炎へ育つと、ヘインズの死体を焼き払う。

 二分と経たずに、男の体は骨まで燃え尽きて消えて無くなった。

 後には、焼け焦げた臭いと微かな煙だけが残った。

 


 ――迷っていたのは、失うのが怖かったからじゃない。

 正しく在りたかった。

 オレが知る正しい人間たちのように、純粋な普通の子供のように、生きてみたかった。

 

 でも本当は、魔でも人でも、どちらでもなくて。

 どっちになる気もなく。

 

 オレはオレで在り続ける――。




 ジルはその場を後にして、リーゼルの方角へと足を向けた。少年は振り返ることもなかった。





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