ジル 人と魔の狭間で⑫

 暗闇の中で、ヘインズは眉を寄せ、痩せた少年を見た。

 冷たい風が頬を撫で、男は酔いが醒めていく。

 ジルの反抗的な態度に、ヘインズは舌打ちし、不機嫌な顔に変化する。

 

「おい、お前、人が下手に出ていればいい気になりやがって……! やっぱりお前は、生意気なガキだ!」

 

 ヘインズはジルのシャツの襟を掴み、引き寄せた。

 ジルは抵抗せず、なされるがままされているが、ヘインズを見る瞳は、鋭いままだ。

  

「……何で、リーゼルをあんな目に遭わせた? リーゼルは今も、痛がって、苦しんでいるんだ」

 ジルはヘインズにシャツの襟首を掴まれた格好で、ヘインズの濁った目を睨みながら、言う。

 首を絞めている筈なのに、ジルは苦しみもせずに、平然と文句を垂れている。



 ――やっぱりこいつは、不気味なガキだ。

 

 ヘインズはジルを掴んでいた腕を放し、無意識に後退あとずさる。


「お前、やっぱり、そのことを怒ってたのか。お前を引き留めようとして、少しばかり手を上げただけだ。リーゼルが怪我すりゃ、お前は村に残ると思ってな。俺はお前を買っているんだ。お前は生意気だが、よく働くし、聞き分けもいい」

 

 しょうがなかったんだ――、ヘインズはそう言い、薄笑いを浮かべた。

「しょうがない……?」

「まさか、あれだけのことで、あんなに苦しむなんて思ってなくてよ」


 ヘインズがそう言ったと同時に、ジルはゆらりとした足取りでヘインズに近付き、なんだ――、と警戒するヘインズの目の前で、突如足を下から突き出し、ヘインズを転ばせた。


「てめえ、何しやがる!」

「大したことはしてない。まだ……。この何倍も、リーゼルは痛くて、怖かったんだ」


「この、ガキっ!!」

 ヘインズは懐から、ナイフを取り出し、走り出すと、ジルの懐に向けて突き出した。


 ジルは軽くそれを避けると、ふわりと飛び上がって背後に回り、ヘインズの背を足蹴りした。ヘインズの体が地面を滑り、次いで、ヘインズはその場でうずくまった。

「ぐ……はっ……」

 蹴られたヘインズは呻き、あまりの痛みに背骨が折れたかと思われた。

「く、そ……」

 ヘインズはすぐには動けないようだった。



(オレのせいだったのか――)


 ジルは腹の底からヘインズへの怒りが噴き上げたが、それ以上に、自分が馬鹿だったと思い知った。



(オレがすぐに村を出ていれば、こいつはリーゼルをこんなにも殴らなかっただろう。……いいや、それ以前に、早く、何とかしていれば良かったんだ)

 

 ジルは、自分が選び取った選択肢が全て間違っていたのだと理解した。


「悪かったよ、リーゼルには、やり過ぎた。けどよ、お前、そんなにリーゼルが好きだったのか? へへっ、いいぜ、あいつ、お前にやるよ。好きにすりゃいい。リーゼルのやつ、まだ、生きてるんだろ?……」

 ヘインズは下卑た薄笑いを浮かべた。

 やり過ぎた――、と言いながら、リーゼルを労わる気持ちなど少しも感じられない。


 ジルは分かっている。

 この男は、例えリーゼルが死んだとしても、一粒の涙も流しはしないし、彼女を哀れむ心など持ち合わせてはいないのだ。

 ヘインズはジルに敵わないと実感し、媚びを売り始めただけだ。

 


 ヘインズを目の前にして、ジルは、己に最後の問いかけを課す。




 ――オレは何を怖がっていたんだ?

 半分人であることを失うことか?

 元々、人の世界に馴染んでいた訳でもないのに。


 ロミオが繋いでくれていただけだ。

 あの人はオレが人の世で生きられるように尽くしてくれた。オレに居場所を与えてくれた。心から嬉しかった。

 だけど、オレは……、本当は、ロミオやアルたちとは違う。

 死んでも誰も悲しまないような、そういうクズみたいなやつを殺すことに、抵抗なんてないんだ。

 


 人間の振りをして、護りたいものを護れないなら、失いたくないものまで失うなら、オレの心も体も、全て、魔のものでいい――。

 





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