ジル 人と魔の狭間で⑩

 黒い靄は、エルロアの首を、ぐっと絞めていく。

 エルロアが黒い靄をどうにか外そうともがいても、その靄は一向に外れることはなく、やがて、エルロアは、ゆっくりと目を閉じた……。

 ジルの周囲から靄が消え、暗闇と静寂だけが訪れた。


「……ごめん、ごめん……」

 ジルは涙を流して、倒れたエルロアの前で何度も謝り続けた。


 どれだけか時が経ち、ジルは、今度は急いで、洞穴の中で倒れた人たちを、亡骸を含めて皆、担いで外へと出してやった。

 全ての人たちを運び終えた時、辺りはすっかり深い闇へと移り変わっていた。


(こんな時間になっても戻らないオレを、リーゼルは心配しているだろうか? でも、もうここにはいられない)


 死んだ者たちを村の者が見つけた時、生きているジルの仕業だと皆は思うだろう。


(まだ約束の日じゃないけど、魔術が使える。ロミオを探しに行こう)


 その前に、最後に、リーゼルに会って、彼女に探し出した価値のある石をあげよう。それでお金を作れるから、ヘインズからお金が貰えなくても、少しは楽ができる――。

 何も言わずに出て行けばリーゼルに心配をかけてしまう。

 リーゼルのことは心配だが、自分には出来ることはもうないのだ。ここにいれば、自分の無力さも痛感し、ジルは辛かった。別れを言い、この村の事は忘れるんだ……。

 

ジルが、〝浮遊術フロート〟を唱えると、少年の体は高く舞い上がり、空を駆けるように飛んだ。

 


 およそ五分ほどで、ジルは採掘場から、リーゼルの住む家屋へと降り立った。

 ヘインズに見つかると厄介なので、ジルは足音を立てずに家の中に入って行った。

 家の中は灯りが点いておらず、しんと静まり返っていた。


 ――なんだ?


 家の中が暗いせいではなく、ジルは妙な胸騒ぎがした。

 

「リーゼル、リーゼル……!」

 ジルはヘインズのことなど構わず、大声で少女の名を呼んだ。

「誰か、来て……」

 

 静寂の中で、今にも消えそうなか細い声がジルの耳に届いた。聞いたことのない女の声だ。女の声は切羽詰まっている様子だが、大声を出す体力がないのか、声には力がなく、聞き取り難い。

 

 ジルは、そこがリーゼルの母、アイシャの部屋だと知っていた。ジルは声のする方へ駆け出し、少しだけ躊躇いながら扉を開く。

 ……怖かったのだ。


 小さな部屋に置かれたベッド脇の床に、痩せ細った四十代位の女が座り込んでおり、その女は、

「誰か、早く……!」

 と、ジルが来てもまだ声を上げ続けていた。

 ベッドから降りたものの、アイシャはそれ以上動けないようだった。


「リー、ゼル……?」


 ジルは唾を飲み込んでから、その名を呼んだ。

 窓から差し込む淡い月光と、サイドテーブルに置かれたランタンの灯りが映し出していたものは……、床に倒れ、ぐったりとして動かずにいる少女――、リーゼルだった。

 アイシャの手は、床の上でぴくりとも動かない娘の体を、必死に揺すっていた。

 どくどくと、ジルの脈がけたたましく鳴り出す。

 

 しかし少年は冷静に、膝を付いて、そっとリーゼルの体を起こした。心臓に耳をあてると、心音が聞こえた。


(良かった、生きている……!)


 それだけが唯一の救いだが、少女の命が危機であることは間違いない。リーゼルの体には、今朝はなかった、大きな痣と腫れや傷が至るところに見受けられた。

 ジルは無意識にリーゼルの体を抱き寄せていた。

 

「まだ、息がある。オレがリーゼルを医者に連れていく」

「あなた、……ジルね? リーゼルを、リーゼルをどうか、助けて――」

 アイシャは、リーゼルとよく似た瞳でジルを見つめ、少年に懇願する。


「教えてくれ、リーゼルをこんな目に遭わせたのは、誰だ?」

 ジルは、答えの分かっている問いを、アイシャに問う。

「それは……」

 アイシャは、震える唇で、あの男の名を告げた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る