ジル 人と魔の狭間で⑧


 ――ころ、される……?



 ジルの心を戦慄が覆っていく。

 同時に芽生える、ふつふつと湧き上がる、もう一つの感情があった。

 


(こんなやつに、殺されてたまるか……!?)



 一瞬で沸点に到達したかのように、感情がたかぶった。


 生への執着、本能、いや、これは、怒りだ。

 自分の命が脅かされていることへの、耐え切れない怒りが、自身の考えや冷静さを奪い去る。


「うう……ウォオオオオン……」


 ジルは無意識に、遠吠えのような声を上げていた。


 痩せた少年の体が、一瞬の内に鈍色にびいろの毛で覆われ、人型から狼のような一回り大きな獣の形へと変化を遂げた――。


「な、何……?!」


エルロアは目を剥き、声をもらす。掴んだ少年の体が狼のような姿に変化したことに、驚きを隠せない。

 変身が出来る魔族は、それほど多くない。

 混血の、魔のものの半分の血しか持たない子供が、まさか変身するとは驚いた。


「グ……ウウッ……!」

 

 獣姿のジルは、前足を掴まれたまま唸り、身を捩った。

 ジルの力は強く、エルロアは今にも手を放しそうになった。


「このまま、殺してやる!」


 エルロアは焦りながらも腕の鎌をジルの首に振り下ろす。

   

 ジルはその牙で、向けられた鎌を咥えた。

 

「ウウッ……、ガウッ」

 ジルは、獣姿の時、少年の時よりも力もスピードも三倍ほどの力を発揮できる。

 鎌を咥えたままエルロアを振り回し、投げつけた。


 ダンッ!

 エルロアは受け身も取れず、壁に激突する。

 肩をぶつけ痛みを堪えて態勢を整えようとしたところを、ジルは止めを刺しに来る。

「ガウウウウウ……!!」


 ジルの爪がエルロアに届こうとした時、エルロアの体から大量の霧が噴き出した。

 ジルは、その霧をまともに浴びてしまう。

 

(これは……毒の霧!)


 ただの毒ではない、魔物すら仕留めることができるだろうほどの、強く濃い毒の霧だ。

 ジルは毒の瘴気に当てられ、体が麻痺したように動かなくなってしまった。


「……フン、てこずらせてくれたな。動かない内に、殺してやる」


 ジルの動きが止まり、エルロアは額に浮かんだ冷や汗を拭い、そのまま、腕の鎌を振り下ろす。

 バシュッ!

 

「ウウッ……」

 ジルの獣の腰からは血が流れたが、致命傷とまではいかなかった。

 思いの他、エルロアの鎌はジルの体の深くまで刺さらなかったのだ。


「おい、何て硬い体なんだよ。ジル、オマエは鋼鉄で出来ているのか? 面倒なヤツだ、殺すまで時間がかかる」

 

 獣姿のジルはずっとエルロアを睨んでいた。

 一撃で殺されずに済んだが、何度も攻撃を受ければ致命傷になる。


 

 ――魔素を感じない。

 体の中に魔素を感じれば、魔術を発動できるのに……!

 


 ザンッ! ザシュッ……。

 エルロアの刃が鋼鉄のようなジルの硬い体を更に切り刻んでいく。まだ傷は浅いものの、徐々に飛び散る血の量は増えていく。


「どうした? 終わりかい? 例えジルが変身しようとも、所詮混血だな。人の血の混じっているオマエがボクを倒せる筈はない」



 ――違う。

 オレの力はこんなものじゃない。

 混血だろうが、そんなの、関係ない。



「う……ウォオオオオン……!!」


 更に腕の鎌を強くジルの体に押し込めようとするエルロアだが、ジルが大声を上げると、斧は、それ以上突き刺さらず、弾かれたのだ。

 エルロアは、ジルの獣の体から、雷のような電気が走った気がした。


「な、何だ、今のは……」


 エルロアが一瞬戸惑っている内に、ジルの体は再び少年へと戻っていた。


「人型に戻ったということは、限界かな?」


 エルロアは言ったが、ジルの黒い瞳は闇の中で異様に光り、魔族のエルロアでさえも、なぜか恐ろしいと感じた。

 エルロアは感じていたのだ。

 ジルの中に、何か得体の知れない力が表れようとしていることを。


 ジルは今はっきりと、体内に宿る魔素を感じた。



「……エルロア。先に、謝っておく。やっぱり、オレは、あんたを倒す。

本当は、ころ……したくない、けど……。でも、人を食らう魔族を、放っておくことはできない……」


 

 ジルの黒い瞳は今にも涙を流しそうな悲しみを映していたが、ぽつぽつと紡いだ言葉は、瞳とは真逆に、感情の欠片さえも見当たらなかった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る