ジル 人と魔の狭間で③

 その夜、納屋で休んでいたジルの元に、リーゼルがこそこそと隠れながらやって来た。

 ジルがリーゼルを中に入れると、少女は神妙な顔をして話し始めた。


「こんなことになって、ごめんなさい。まさか父さんが、採掘場で働けと言うなんて……」

 

 リーゼルは申し訳なさそうに言った後、手当てするわ――、と言って、薬の入った小瓶を取り出した。


「気にしなくていい。それより、あんたオレを助けてくれたんだろ?……えと、ありがとう」


 ジルは、なぜか逆らおうと思えず、素直に、リーゼルに腫れた足や傷付いた腕に薬を塗ってもらう。この村に来る前、魔族との戦いの時に負った傷だ。



「私のことは、リーゼルと呼んで。年もきっと、近いよね?」

「わかった、リーゼル。オレはジルだ」

 リーゼルが手を差し出すと、ジルは躊躇いながらその手に触れ、きゅっと握った。


 その時リーゼルはそっと笑んでいて、愛らしかった。

 先ほどのびくびくとした時とは印象が違う。


 リーゼルは、他の、同じ年頃の少女よりも痩せて儚く見えるが、瑠璃るり色の瞳と長いふわっとした薄茶色の髪を二つに結った彼女は、可愛らしかった。


 リーゼルがじっと自分を見ていると気づくと、ジルは何だか照れ臭かった。



「――私、ジルを助けたってほどのことはしていないの。ただここに運んだだけで。お金はあの人が全部持っていて、あなたを病院にも連れて行けなかったから……」

 リーゼルは薬を塗ったばかりのジルの足や傷付いた腕を見る。



「正直言って、ジルは死んでしまうかと思っていたわ。だって、随分と傷が深いし、呼吸も荒かったから。だけど、不思議ね。あなた、昨日よとは別人のように傷が癒えているみたい」

 ジルはぱっとリーゼルから離れ、

「大丈夫だ、この傷は薬がなくてもその内治る」

 と慌てて言った。

 魔の血を持つジルは、傷の治りが人よりも数段早い。



 ――流石さすがに、人ではないと気づかれたか? 



「さっき言っていた採掘場のことだけど……」


 ジルは内心焦ったが、リーゼルはジルの焦りに気付いた様子もなく、ぼそぼそと口を開いた。


「本当に酷いところなの。洞窟の奥深くまで入らないと質の良い石はほとんど手に入らないし、もし良い石を見つけても、壁の石がすごく硬くて、掘り出すのがとても大変だと聞いたわ。それにね、空気の通り道があまりなくて、ずっと息苦しくて、倒れてしまう人も多い。命を失った人も何人もいるの。あなたみたいな子供じゃ、死んでしまうかもしれない……」


 ジルはじっとリーゼルが言ったことを聞いていた。

 リーゼルはジルの手を取り、心配そうに視線を合わせた。

 

「だからね、ジル、あの人はああ言ったけど、採掘場なんて行かなくてもいいんだよ。あなたがそんなことする必要ないよ。だって、あなたは、怪我をしてたまたまここに来ただけで、この村の人じゃないもの」


 ジルはリーゼルの温かな手の平に包まれて、心が休まるような、それでいて鼓動が早まるような、不思議な感覚がした。


 リーゼルの汚れたドレスの裾からのびた細い手足には、幾つかの痣があった。

 ジルはそのことを訊ねられなかった。

 きっとあの男の仕業だろうが、それをリーゼルから聞けば、あの男を殺したくなるだろうとジルは思った。



(――オレには関わりのないことだ)



 ジルは自分に言い聞かせる。

 リーゼルのいう通り、自分は部外者で、数日後には村を出て行く身なのだ。

 


(余計なことを考えるのはよそう。金を稼いで、ロミオの元に向かうんだ)


 

 ジルはリーゼルの出て行った扉から目を離し、ラグに横になって天上を見上げた。

 

 この地上には多くの魔のものが放たれたが、この村には魔のものの臭いはしない。 

 明日から採掘場で働かされるが、それでも、体が元に戻るまでは、ここにいる方が安全だろうとジルは思った。

 


(三日の辛抱だ)



 しかしジルの思惑を無視して、瞳を閉じて眠りに落ちるまでの数度、ジルの頭の中にはリーゼルの笑顔が浮かんでは消え、ジルは何だか落ち着かなかった。




 翌朝、ジルは村の男と採掘場へと向かった。


 朝早くヘインズの家にやって来た男とヘインズは挨拶を交わすと、

「この子を採掘場に? ヘインズ、いい加減にしろ。どういう理由か知らんが、こんな子供、すぐに死ぬぞ」

 男はジルをちらと見た後でヘインズに言った。


「いや、こいつはこう見えて力がある。足を引き摺りながらだが、大して支障はなさそうだ。銀貨十枚分は働けるさ」

 男は眉根を寄せたが、面倒なことを避けたいのか、それ以上は追及せず、

「ひとまず銀貨五枚だ。後は働きを見てからだ。死ぬかも知れんからな」

 男は銀貨五枚を取り出し、ヘインズに渡した。


「小僧、しっかり働けよ」

 ヘインズはにやにや笑いながら銀貨を受け取ってジルに言った。

 ジルはヘインズを出来るだけ視界に入れないようにすぐに背を向け、男の後を付いて行った。


 ジルの手には、リーゼルが持たせてくれたサンドイッチの入った小さな袋が握られていた。


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