第1章 第29話 月と俺とシリウスと先輩

 重い扉を開けて家に入る。

 誰もいない。

 当たり前だ。たまに母親は帰ってくるが基本連絡がある。


 「ただいま」


 発せられたその声はまだそこにいる。

 にぎやかに会話が続いているNineのグループの通知を切ってドスンと大きめの音を立ててソファに座った。

 さっきまでの楽しさが嘘のように黒い感情が俺を襲ってくる。

 誰かといるときは笑っていられるのに独りになると「海原雄志」が現れる。

 あいつが出ていったその日から「海原雄志」はたぶん成長していない。

 俺以外には見せないからわかんないけど。

 信じていた、すぐ近くにいた人がいなくなるあの絶望と悲しさと憤りまだあの感情を持っている。

 一人には大きすぎるリビングが黒い感情に埋まって息苦しい。

 後1日、学校にいったら夏休みが始める。

 ただ泣きそうな夜と何もできない朝の繰り返しが始める。


 ピロン


 誰かからNineだろうか。

 今は見たくない。見れない。

 今は誰かを傷つけてしまう。

 

 ピロン


 もう一度鳴る。

 急用だろうか。

 手を延ばそうとしたが止まる。


 ブルブル


 電話?やはり急用だろうか。

 重い手を延ばして画面を見ると

 望先輩……?

 俺は1回咳ばらいをして電話に出た。


 「はい。もしもし」

 「もしもし。夜遅くにごめんね」

 「いえ、大丈夫です」

 

 さっき送ってきたNineも先輩からだろうか。


 「すみません、Nine見れてなくて」

 「え?えっと送ってないよ」

 「え?」


 ということは風香か遥からだろうか。


 「今、雄志君何してるの?」

 「何もしてませんね。すみません」

 「そっか、何もしてないのかー」

 「はい。強いているなら夜ごはんどうしようかなとか考えてます」

 「夜ごはんたべてないんだ。何にしようか」


 先輩にはほぼ一人暮らしということは言ってないけど知っているのだろう。俺と遥が幼馴染ということを知っていたのだから。


 「先輩話し方ちょっとラフになりましたね」

 「え?そうですかね」

 「戻りました」


 ふふっと笑い声がスマホから聞こえてくる。


 「なにかあったのですか?」


 俺はすこし低い声で質問した。


 「後輩が心配になって」

 「え?」

 「ほら、たまに雄志君怖い顔してるでしょ?だから」

 

 そんな顔してたの気が付かなかった。無意識だろう。


 「無意識ですね、ごめんなさい」

 「謝ることないんだよ?でもやっぱ私も先輩だからね」

 「そうですか」


 俺最低だな。察してくれた先輩にいつもより冷たい態度をとってしまう。


 「雄志君、すこし話したいな」

 「はい」

 「いま外出れる?」

 「はい」


 俺は自分の部屋に行ってベランダに出た。

 夜風がひらひらと髪を揺らす。


 「出ました。気持ちいいです」

 「私も出たよ。気持ちいいね。雄志君も空好きなんだよね」

 「そうですね。空というか宇宙が」

 「そっか。宇宙の何が好きなの?」

 「わからないところです。僕たち人間の想像なんかはるかに超えてくる」

 「確かにね。私は宇宙とかは嫌いじゃないけど漠然と夜空が好きだなぁ」

 「夜空僕も好きです。小説の中にいるみたいで」

 「私もだよ。空を見上げてると自分が分からなくなるよね」

 「一緒ですね」

 「今日は月がきれいだよ、雄志君」

 「ですね」


 夏目漱石の翻訳した小説に出てくるI love you を月がきれいですねという言葉があるが今のは多分、望先輩なりの「ありがとう」だろう。

 今日の月は満月ではないけど丸く見える。

 日本でいうとウサギがいるというのだろう。星空もきれいだ。街灯はあるけど田舎の光なんて知れている。

 夏目漱石のような文章力は俺には無いしそんなロマンチックなことはできない。

 だから自分の言葉で伝えるのが一番いい……はず。


 「先輩、学校の先頭に立ってくれて俺たちを導いてくれてありがとうございます」

 「そんなことないよ。君たちが手伝ってくれるおかげ」

 「先輩の輝きは本当にいつもまぶしいです。でも……」

 「でも……?」

 「光があれば闇があります。闇とまでは言わなくてもずっと光り続けるのは太陽でも無理です。だから僕といるときは僕がたくさん光るので隠れていてください。ゆっくり休んでください。生徒会みんな先輩を支えたいので」


 一瞬の時を置いて、

 

 「うん」

 「先輩を守るれるぐらいは頑張ります」

 「ありがと」

 「こちらこそです」


 心地いい夜風とともに沈黙が俺たちを包む。

 

 「そろそろ寝よっか」

 「はい」

 「おやすみなさい」

 「おやすみなさい」


 先輩の震える声に気づかないふりをして俺はスマホを置いた。






 

 








 














 

 

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