第3話 わたくしの誤算でしたわ!

「おーほっほっほッ! 逆水平チョップですわ! くらいなさいッ!」


 私は、フローラの胸元に逆水平チョップをぶつける。パシィーンッ!とむちを打ったような破裂音が響き、その度に「きゃあッ!」とフローラが悲鳴を上げる。良い気分だ。


「まだまだですわ! ほらッ! ほらぁッ!」


 フローラに何度も逆水平チョップを浴びせる。フローラは、反撃もできず。ただ悲鳴を上げるだけだ。


 試合は、圧倒的に私の有利に運んでいた。無理もない。相手のフローラは、光属性の魔法の才能を持っているだけのただの17歳の少女である。


 それに比べて、私には悪役レスラー『ザ・グレート夜叉』として、幾千もの強者つわものと戦ってきた前世の記憶がある。そして、百を超えるプロレスの技がある。


 最初から勝負になどなる訳がなかったのだ……


「楽しかったですわ。フローラ! でも、そろそろフィニッシュのお時間ですわ。さようなら!」


 もはやフローラには抵抗する力は残っていない。さあて、フィニッシュホールドはどの技にしようか。私は、鼻歌交じりでフローラの髪の毛を引っ張った。その時だった……


 突然、フローラは私の髪を掴む手を振りほどいた。まだ力が残っていたのか。そして、フローラは私をにらみつけてきた。


「……ま、負けてません! 私、まだ負けてませんッ!」


「な、何ですって……!?」


 私は、思わず驚きの声を上げた。フローラの目。今まで何度も見た事がある。闘志を宿した目だ。彼女の目はまだ戦意を失っていない。


 私のプロレスラーとしての本能が警告を告げる。この目をした相手は危険だ。しかし、彼女は今まで戦ってきたプロレスラーとは違う。ただの普通の女の子のはずだ。


 一瞬の迷いが、私の攻撃を躊躇ちゅうちょさせた。思わず後ずさる。その瞬間をフローラは見逃さなかった。


「ええいッ!」


 なんと、フローラが殴りかかってきたのだ。しかし、素人まる出しのパンチ。予備動作の大きいテレフォンパンチだ。避けようと思えば造作もない。


「ふん! そんなのろいパンチ。ハエが止まりますわ! わたくしに当たる訳が…… うッ!?」


 そう言いかけて私の体が止まる。フローラの拳が私の左頬にめり込んだ。避けられなかった。いや、これは違う。


 避けるのを拒否したのだ。私の体が……


 これは『相手の技は全て受け止める』というプロレスラーの本能。その本能が、彼女のパンチを避けることを拒んだ。


「ぐうぅッ!!」


 顔面にパンチを受けて、私は後ろにのけぞる。しかし、これしきの痛みは屁でもない。私には、悪役プロレスラーとして何百試合も戦ってきた経験がある。痛みには馴れているのだ。


 相手の技は全て受け止めるのが、プロレスラーとしての矜持きょうじ。それ故に、鍛え抜かれた肉体は、どんな攻撃にも耐えることができる。それこそが、プロレスラー。


 私は、パンチを受けた左頬をこすり。鼻で笑った


「ふふん! こんなパンチ。痛くも痒くもありませんわ! その辺の野良猫の方が、まだマシなパンチを打ちましてよ! さあ、お返しをさせていただきま…… あれ?」


 そして、反撃しようとして1歩前に踏み出そうとした瞬間だった。突然、膝がガクガクと震えだした。


 ま、まさか…… そんなはずはない。あの程度のパンチを受けただけで。そんなはずはあり得ない。


 背中に冷たい汗が流れる。ヒヤリとした感覚。


 それを見て、フローラがゆっくりと間合いを詰めてくる。その目に闘志を宿している。


「私は、ジェシカ様のような貴族のお嬢様とは違います…… 私は、庶民の。いいえ、貧しい農家の娘。でもね。あなたたちと違って、家の仕事で力仕事はしているし。近所の男の子と取っ組み合いの喧嘩だってしているの! 生まれてから何の苦労もしていないお嬢様なんかに負けるもんですかッ!」


 フローラはそう言いながら、拳を握りしめて振りかぶった。早く反撃しなければ…… 私は、焦りながらも体勢を整えようとするが、膝がガクガクと笑い、立っているのがやっとである。


「そ、そんな…… これしきのパンチが…… 効いているというの?」


 私には、ひとつ大きな誤算があった。


 そう。今の私は、貴族の令嬢であるジェシカの記憶と悪役プロレスラーであるザ・グレート夜叉の記憶が混ざり合っている。精神的には、普通の女の子よりずっとタフな存在である。


 しかし、それは精神メンタル面だけの話であった。


 肉体の方は、まったく鍛えていない。貴族のお嬢様そのものである。肉体労働などもちろんしたこともないし。取っ組み合いの喧嘩のひとつもしたことはない。それどころか、ナイフとフォークより重い物は持ったことがないと言っていいほどの。筋金入りのお嬢様。


 そう。肉体フィジカル面では、私は負けているのだ。貴族のお嬢様としての体力は、庶民の娘であるフローラよりも完全に下だったのである。


「ええいッ! このォッ!」


 1発目のパンチでフラフラとふらついてる私に、フローラが2発目のパンチを繰り出してくる。モーションの無駄が大きい女の子の素人パンチだ。


 避けようと思えば、簡単に避けることはできる。だが、避けることはできない!


 プロレスラーとしての本能が、避けることを許さない。相手の技を全て受け止めるのが、プロレスラーとしての矜持である。結果……


「ぐふぅッ……! ですわ!」


 今度は、右の頬にフローラの拳が突き刺さる。ガクガクする膝でよろよろと後ろに後ずさる。私の体は、今にも倒れそうであった。


「ま、まだまだですわ…… こんな…… これしきの攻撃で…… はぁはぁ」


 今にも倒れそうな私の体を支えているのは、強靭な精神力だけだった。悪役プロレスラー『ザ・グレート夜叉』の魂が辛うじて私の体を支えている。


「ジェシカお姉さまーッ! がんばってーッ!」


 観客席からキャシーとロッテの応援する声が聴こえた。


「ま、まだまだ大丈夫ですわ…… これしきのダメージで、わたくしが倒れるはずなどありませんわ!」


 自分を鼓舞こぶするために声を上げる。だが、立っているがやっとの状態だ。たった2発のパンチを受けただけで形勢は逆転してしまった。


 そんな私を真っすぐな目でフローラは見つめてくる。そして、何かを決意したように再び拳を握りしめた。


「ジェシカ様! これで、とどめです!」


 再びフローラが殴りかかって来ようとする。私は、歯を食いしばった。その時だった……


「いったい何をしているんだッ!? すぐにやめないかッ!」


 大きな声が決闘場に響いた。1人の青年が声を上げ、そして決闘場の舞台へと上がってくる。


 180㎝以上はあるスマートな長身。男だが、長くてサラサラした綺麗な金色の髪の毛。青く輝く瞳。イケメンなんて呼び方は相応しくない。超絶美形。まるで彫刻のように整った顔立ちの美形の青年だ。


「生徒会は決闘の届出なんか受けていないぞ! しかも女の子同士が決闘だなんて! どうなっているんだ!? すぐにやめるんだッ!!」


 声高に叫ぶこの青年のことを私は知っていた。この魔法学園の生徒会長。キース・エヴィンである。実家は、超エリートの貴族であり。この学園の女子生徒なら誰もが憧れる存在であった。


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