第10話 決行当夜〈河原崎沙衣〉
秋も深まった10月最後の水曜日。
決行の夜が来た。
今夜から日曜日の夜まで、オヤジは出張で帰らない。
夕方5時過ぎのいつもより早めの夕食。
トシエの機嫌がいい。ウキウキ鼻歌なんか出ちゃってる。きっと俺たち3人は、早めに子供部屋に押し込められ、さっさと寝かされるだろう。
俺はこの計画のことは誰にも話してはいない。レイラにだってバレないように気をつけていた。
今の俺は、自分が自分じゃないようなおかしな気分‥‥
頭はハッキリしてるのに、体が浮わついていて妙な感覚。
‥‥これって緊張してるのかな?
大丈夫。俺の計画は誰にも知られてはいない。
思った通り、俺らは子供部屋に3人押し込められた夜8時。この部屋は外側からカギが掛けられてる。
レイラと俺の間で布団に入ってあやされた夜明が、スースー寝息を立て始めた。
シーリングライトが消された子ども部屋。
枕元に置いた俺の宝物のソーラーライトの小さなランタンのオレンジ色の灯りが、仄かにレイラの顔を浮かび上がらせている。
俺はレイラに頼んだ。
「
「‥‥お兄ちゃんいないと怖いよ。それにお母さんに見つかったらレイラも怒られるよ」
不安そうな顔のレイラ。俺がいないのは寂しいし、トシエにバレるのは怖いんだ。
「俺だって宿題忘れたら先生に怒られちまうんだぞ? お母さんにバレる前には帰るって。指切りするから」
俺は緊張で強ばっていたけど、無理やりニカッと笑って見せた。
自分の寝床は毛布を巻いたもので膨らませてカムフラージュ。
これで部屋が暗ければ、トシエがもしパッと見覗いたところで、俺がいないことには気がつくことはないだろう。
用意していたリュックサックを背負う。この部屋は3階だけど、ベランダの柵を乗り越えれば配管を伝って降りられる。もう、練習済み。音は最小限に。細くて身軽な俺には造作もない。
もうじきトシエも家を出るはずだ。それは玄関からではなくて、1階テラス窓から。そして隣との低い柵を乗り越えて茉莉児さんの部屋のテラス窓から入るんだよね? 玄関から出たら、誰から見られてるかわからないから気をつけてるんだ。
特に二見さんとか。あのおばさんはトシエとはバチバチしてるし。トシエはあのお金持ちっぽいおばさんが自分を見下してるってよく家で愚痴ってる。
俺からみたらどっちも化粧の臭いをプンプンさせた厚化粧のおばさんなんだけど。事故に見せかけて子どもを殺ろうとしてるトシエと比べるなんてごめんなさいだよな。
俺は地上に降りられたらまず、拾って来た靴をリュックから取り出す。自分の足よりずいぶんと大きいスニーカー。奥に詰め物をしてあるし、ヒモをキツく結べば大丈夫。ちょい歩きづらいけど。
これは足跡対策。だって、トシエが見ていたテレビドラマでチラッと見たし。警察が現場の足跡調べてんの。
髪の毛は大丈夫。俺の髪がトシエの服についていたところで不自然なことなんてないし、茉莉児さんの部屋に落ちていたとしてもトシエから落ちた可能性は否定出来ないはず。でも、
手には軍手。指紋対策は常識だね。
これは、つい最近学校の自然体験で芋掘りに行った時に、誰かが捨てた泥だらけの軍手を拾って洗ってとっておいたもの。また軍手が必要な時のために拾っておいたんだ。今回役に立つね。
俺の軍手? そんなのトシエが用意してくれるわけないから持って行ってないよ。オヤジだってなんもしてくれない。欲しいって言っても忘れてる。
あん時は弁当だって、当日朝にオヤジからもらったお小遣い300円で、コンビニでおむすびを2つ買っただけだってのに。
それ見られて周りからから憐れまれて、おかずが集まってなぜか豪華弁当になったけどな。
「いい子に寝てろよ、レイラ。夜明がもし起きちゃっても騒がせるなよ。このミルクキャンディ一個づつあげるね。友だちに貰ったやつ。じゃ、兄ちゃんは行ってきます」
ベランダから配管を伝ってスルスルと地上に降り立った俺は、ドキドキで胸が苦しい。深呼吸した。
見上げる茉莉児さんの家の2階には電気はついてない。明かりが漏れてるのはのは1階の部屋だけ。まだ大人が寝る時間じゃないし、ここ数日2階と3階の電気はついてなかったから、たぶん親は旅行にでも行っていると思う。トシエの噂話によれば、しょっちゅう旅行で留守してるらしいし。
家の中には俺にラーメンを食わしてくれた茉莉児さんしかいないはず。
冷たい夜気を肌に感じながら辺りを伺う。
正面の通りには今、通行人はいない。
向かい側の家から楽しげな笑い声が漏れて来た。
周りの家の窓は皆、雨戸やカーテンが閉まっている。レースのカーテンのまま明るい窓はあるけれど、暗い外は家の中からは見えないね。
あは。ラッキーなことに、この茉莉児さんの家のピンポンは旧式で、カメラがついていないんだ。
俺はこっそり茉莉児さんの玄関に回り、ピンポンダッシュしてから、家と家の隙間に駆け込んだ。
そのまま家の裏側へ回る。
後ろ側は2階建てのアパート。アパートのこちら側の壁は、お風呂とトイレの窓だから、そうそう俺が見られることもないよ。
明かりがついてないなら、場所的にはそこに人はいない可能性の方が高いし、電気がついてる窓もあるけど、明るい内側からは暗い外は見えてないはず。音を立てなければ大丈夫。
そして、裏側のここは茉莉児さんの部屋のテラス窓。
レースのカーテン越しに部屋の中が見える。厚手のカーテンが半分開いていたから。
トシエのためにカギも開けてあるはずだ。
向こう側で玄関の開く音。
「‥‥なんだよ? ちっ、誰もいねーじゃん」
茉莉児さんの声がモソモソ聞こえた。
今だ!
俺は茉莉児さんの部屋に忍び込む。
リュックを下ろしてハンマーを手にし、再び胸側でしょってからベッドの下に忍び込む。リュックは腹ばい体勢のクッション。ついでに防御のために。ハンマーは攻撃のために。
埃っぽいベッドの下。ごちゃごちゃとゴミやら雑誌やら押し込まれてる。
ここまで10秒もかからないよ。ちゃんと2回下見して練習してあるから。
空き地に放置されてるサビサビで蔓の草に覆われた車のトランクの中で見つけた工具セットの中のハンマー。これなら重くないし俺にも使える。
腰にはベルトに挟んだ小さなナイフ。
これは金物ゴミの日に、イケそうなゴミ袋を見繕って拾って茂みに隠しておき、人目を避けて中身を確認する‥‥を数ヶ所で試し、5袋目でやっと見つけたもの。
青くガビガビに錆びてたけど、皿の裏側の足のとこに何百回も擦り付けて刃を
茉莉児さんが廊下を戻ってくる足音。俺が忍び込んだ時は開けっ放しだった部屋のドアが、パタンと閉まった。
下手くそな鼻唄が聞こえてくる。マックスだった部屋の明かりが落とされてオレンジ色に薄暗くなった。
俺の息の仕方が浅くなる。茉莉児さんに聞こえてしまいそうで呼吸がしづらい。どうか、見つかりませんように。
カラカラカラ‥‥‥
サッシが開いて閉じる音。
潜んでいるベッドの下に、冷たい新鮮な夜気が、さあっと流れて来た。
「‥‥こんばんは、待ってた?」
密やかに話す女の声。
トシエだ!
「待ってた。誰にも見られてない?」
「もちろんよ。うふふ‥‥」
カーテンが引かれる音がシャーっと大きく響いた。
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