第9話 自己覚醒〈河原崎沙衣〉

 どうしたことかトシエが俺に特別のおかずをくれた朝食。


「沙衣はお兄ちゃんだから、野菜も食べなきゃね」


 その頃の俺は、叩かれた跡とは別に、全身に謎の黒アザが出来ていた。黒アザは痛くはない。それに口の中には無数の口内炎。こちらは堪らなく苦痛だ。喉の奥まで出来ている感覚。


 もちろん俺は黙って耐えている。俺が具合が悪いって言うと、トシエの機嫌が悪くなる。余計にひどい目にあうから。


 物を食べるのは苦痛だった。だが、トシエが俺のために用意したというニラ玉炒めを食べなければ、更なる苦痛の時間が始まるのはわかりきっていた。


「全部食べるのよ。沙衣は痩せっぽっちだし」


 ふだん、腹が減った、ハムとか肉を食べてみたいと言っただけで卑しいガキだと罵って来るのに、何を今さらだったが、俺がほとんど食べた事がないウインナーが入っている。


 口の粘膜が塩気で悲鳴を上げたが、滅多に食べられないウインナー様だ。俺はその皿を完食した。


 そして、それからすぐに俺は胃に違和感を覚えた。それは急激に増して行って、頭もクラクラし出した。気持ち悪い。吐きそうだ。


 そんな状態でも、俺はランドセルを背負わされ、家から一人出された。


 通学路の途中で、ふらふらして歩ける状態じゃなくなった。


 俺は側溝の網になっている部分にゲロを吐き、そのまま倒れてしまった。



 通行人の通報により、俺は救急搬送されて、それでもその日の内に迎えに来たトシエに、無理やり家に戻された。



 ──水仙中毒だった。


 トシエはニラを買った時に、飾ろうと思って一緒に買ってきた水仙が、いつの間にか混ざってしまったと保健所には話したらしい。


 白々しいな。まったく。


 この一件で、これまでの意味不明の心のさわさわは、ハッキリ輪郭を現した。


 トシエは俺を殺ろうとしてるって。



 思い当たることが次々浮かんで来る。


 急に体がふわふわしておかしくなったり、気分が悪くなることが今までにも何度かあった。それって全部、トシエに出されたものを食べた後だ。


 俺の食事に何かを混入させていたんだ。


 トシエと階段ですれ違いざま不意にぶつかられて、落とされたこと数回。だけどその度に俺に謝ってきて、すごく優しくされるから、ついオヤジにも言えずに黙っていた。


 海に連れて行かれたことも、俺の事故死を狙っていたと、この時ようやく悟った。



 このままでは俺はトシエに殺されると確信した。


 このままでは俺は確実に消されるって。



 俺が事故死を装い殺されたら、警察がトシエの罪を見抜いて捕まえてくれる? いや、大人は大人の味方だ。信用なんて出来はしない。俺が生きようが死のうが大人はシカトするに決まってる。


 病院の医者だって看護師だって忙しそうにしてて、俺の体のアザを見たって変な顔しただけで知らんぷりしていたし。



 恐怖ではなく、怒りが沸々と湧いていた。



 水を飲むのを禁じられたり、トイレを使用するのにもトシエの許可が要る生活も、もう嫌だ!



 俺は決心した。



 ──殺られる前に殺ってやる!



 ちょうどその時期、テレビでは、俺と似たような境遇の子どもが殺られちまったニュースが繰り返し流れていたのを知っていた。ニュースの言っている全部は理解出来なかったけど、子どもがいくら周りの大人に訴えたところで、助けては貰えないってことは知れた。っていうか、実感としてそれは前から感じていたし。


 だから俺の決断は間違ってはいない。


 殺されてから世間に同情を寄せられたところでもう遅い。俺の次はレイラかもしれないのに。



 まずは敵をよく知らなきゃなんない。殺るのはどんな時が一番良さげなのかな?


 俺はそれからトシエの行動を出来るだけ監視した。


 それで結構すぐに気がついたんだ。


 オヤジが月に何回か出張でいなくなる夜に、トシエは度々家を抜け出していることに。


 ──隣の茉莉児まりこさんの家に。




 あのおじさんのことは少しだけ知っていた。


 ずっと前に、一度だけだけど、おじさんの部屋に入れて貰ったことがあった。俺は怒られて家の外に閉め出されていた時に、コンビニの袋下げて、ちょうど帰って来た。


「ボウズ、お前いつもうっせーぞ? ビービー泣きやがって弱虫小僧が」


「‥‥‥おじさん、何買って来たの? 美味しいもの?」


 俺は茉莉児まりこさんの持ってる袋の中身が気になって目が離せなくなってたら、腹がキュルキュル鳴った。


 俺をしげしげ見てから言った。


「ちっ、おじさんじゃなくて、おにーさんだろーが。‥‥しゃーねーな。ボウズ、ラーメン食うか?」


「ラーメン! 本当にいいの?」


「ま、インスタントだけどな。ミックスもやしと焼豚も買って来たし」


「焼豚ってお肉だよね! やったー! 絶対食べるっ。でも、お母さんには内緒にして。よそで貰うと乞食小僧って怒られるから」


「ふ~ん。ボウズんちの母ちゃんって、美人で色っぽいよな~‥‥」


「‥‥‥」



 茉莉児まりこさんの部屋は隣の三階建ての家の一階にあり、そこには小さなキッチンと冷蔵庫もあって、食器も揃っていた。


「上の部屋はどうなってるの?」


 初めて入った家の中の作りに、俺は興味深々だった。


「上は俺の両親が使ってる。俺は滅多に行かないけどな」


「見て来てもいい? おじ‥‥おにーさん」


「別にいいけど、今は誰もいないぜ。あ、今のうちに上の冷蔵庫から、食料調達しておくか。ボウズも運ぶの手伝え」


「うんっ」



 その時、俺はあっちこっち見て回ってこの家の間取りを知った。一階の茉莉児まりこさんの部屋に床下収納の扉があることも。


 茉莉児まりこさんが、両親とはあまり干渉し合って暮らしてはいないことも。



 あー‥‥あの時のインスタントラーメン、めっちゃ旨かったな‥‥‥


 いまだにあれより旨いものなんて食べたことはない。



*********


 


 俺は子ども心にもトシエと茉莉児まりこさんが、そういう関係だってすぐに気がついた。


 だって、茉莉児さんはトシエの外見を褒めていたのは直接聞いていたし、トシエも大型トラック運転手のたくましい茉莉児さんを俺たちに褒めていたし、トシエの夜の外出に気づいてからは、二人が外で偶然会うと、すれ違いざまに目配せしているのが有り体に見て取れた。



 ──躊躇なんて無かった。



 トシエを殺るなら、茉莉児さんとあの部屋で会うその夜だと決めた。



 俺は準備を始めた。


 学校で借りて読んでいた探偵小説により、いつの間にか得ていた知識があれこれ役に立ちそうだった。


 俺の頭の中で、実行プランが構築されてゆく。これに関してメモ書きなんて不要だった。



 ******



 必要な道具は、新しいものは使えない。犯行直前にお店で買うなんて頭悪過ぎでしょ。そんなの小学2年の俺にだってヤバいってわかる。使えそうなものはゴミの回収日にあちこち回って拾って来よう。お金持ちそうな家があるとこを回ろうっと。いいもの棄ててあるかも。少し遠いけど、空き地にたまってるゴミの中にも漁れば使えるものがありそう。



 ──俺が死ぬかトシエが死ぬか、2つに1つ。



 子どもを甘く見てる大人さん。俺がいつまでも弱っちい子犬だと思ってたら間違っている。


 俺、体はまだ小さい。でもね、本気出せば何でもやれそうな気はしてるんで。




 


 

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