◆15 決心

 リスク管理課にもやはり受付のようなカウンターがあり、とうとう泣きだした女性に代わってトオルがごく簡単に事情を説明すると、応対の女性職員も顔色を変えた。すぐさま課長と他の職員たちも呼ばれる。


 年配女性である課長と年かさの女性職員に抱えられて、被害に遭った女性は面談室らしき小部屋へ入っていった。トオルも別の小部屋へ、やや年上の男性職員に連れられて移る。


 トオルは先ほど見たこと聞いたこと全ての詳細を話し、男性職員は険しい表情で録音と記録筆記の両方を行っていった。トオルの身分証の埋め込みチップ情報もしっかり確認され、むしろトオルは安心した。


「これで証言は全部、でいいかな?」

「はい。ただ、さっきのこととはまた別に、お伝えしたいことがあります」


 まだあるのかという顔をする男性職員へ、以前トオルとミワ研究室が必要かつ適正な修理部品の受領をサノから妨げられたことを話す。修理課の他の職員たちはサノの言動に口出しできないようであったことも。


「あの件だけでも、サノ課長の不適格さは明らかでした。他の研究室でも似た事例があったかもしれません。どうぞ厳正な対処をお願いいたします」


 しかし聞き終わった男性職員は、苦々しいと言わんばかりの表情に変わっていた。


「……それは、今回の件とは別のことだな」


 ペンをとっくに離していた手が軽く振られた。


「そういったことを修理課の職員はこちらへ報告していないし、他の研究室からの連絡もない。だから――」

「僕が今言ったことには意味がない、ですか」


 管理部門うちのことに研究部門よそものが口を出すな。そう言いたげである理由は推測できた。今回のサノの所業はサノ個人が行ったことだが、修理課が部品を渡さなかったとなるとそれは修理課全体の問題、そして管理部門ひいてはリスク管理課の責任となる。だが、


「そちらにはそちらの面子めんつがあるように、こちらにも面子があります。サノだけでなく、あなた方まで僕とミワ研究室を軽んじるのであれば、を取ります」


 男性職員の顔がかっと赤くなったが、トオルはじっとその目を見つめ続けた。テーブルの下に隠れて、震える拳を握りしめながら。


 息詰まる時間が流れてから、先にトオルが口を開いた。


「では、僕はもう失礼してよろしいですか?」

「……ああ。通報と証言、感謝する」

「はい。それでは」


 彼は立ち上がって会釈し、堂々と見えるよう注意を払った足取りで、その場から去った。


  △ ▽ △


 六月も下旬に入った月曜の朝、心地よい空気に包まれたミワ研究室でトオルは通話端末で祖父へ通話の呼び出しをした。「音声のみ」の設定にしたのは、上手くしゃべれる自信がないからだった。


 祖父が応じるまでに時間がかかったのは、予想通りだった。


「なんだ! この忙しい時間にかけてきおって!」

「すみません、早めにお知らせしておこうと思って」


 期待通り、出社時間が迫っている祖父は焦っている。そこに乗じてトオルは続けた。


「中央へ戻ることになりました」

「っ、そうか!」


 喜色満面と分かる声が返ってくる。


「やっと研究者をやめるのか! いつ家に帰る!? 今からでも教育し直せば――」

「いいえ。お祖父さんの家には戻りません」

「なっ……!?」


 祖父が一瞬言葉を失った隙にトオルは畳みかけた。


「中央にある研究所の研究ポストにくんです。通勤には不便な場所なので、付属の宿舎に入ります」


 後半は完全にうそだった。実際は祖父の家からでも充分通える。しかしトオルはもう絶対に、あのには戻りたくなかった。


 ワト教授とは既に通信越しに面談をしていた。トオルの研究の進展度合いに教授も驚き興奮し、そのせいか、勤務開始を七月中旬以降にしたいというトオルの頼みに快くうなずいてくれた。「とてもお世話になったので、大きな手術を受けるミワ先生に少しでも恩返しがしたい」と理由を説明したのに「良いことだ、ぜひそうしたまえ」と笑顔で答えてくれた。


 そして半月ほどいた期間で、先端科技研から斡旋あっせんできる賃貸住居の一覧を送ってくれることになった。そこからいくつか候補を選んで映像などで詳細を確認していけば、現地に行かずとも新しい住まいは決められる。


 トオルの表情は祖父に見えないのをいいことに、彼はしゃべり続けた。


「カザミから直接、宿舎に引っ越します。お祖父さんの家にもしまだ僕の物が残っていたら、全て処分してくださって結構です」

「待て! お前、いったいどういうつもり――」

「お忙しいところに失礼しました」


 祖父はまだ何事か叫んでいたが、トオルは構わずに通話を切断する。さらに通話端末の電源も切った。


 これで、しばらくすれば祖父は諦めて会社へ向かうだろう。そのタイミングで祖父の番号を端末の拒否リストに追加すればいい。


 大きく息を吐いて、思い切り伸びをした。バラバラと、砕けた何かが落ちていく、気がした。


 十九年間で一番すっきりとした気分で、彼は再び実験装置に向き合った。


 その日は色々な作業が非常にはかどり、午後の遅い頃にトオルは印刷した結晶写真の束を机いっぱいに広げていた。


 結晶写真をターゲットの巨視的マクロ形状に近い物とそうでない物に分け、さらに互いに似通った形状を持つ物が隣になるよう並べ替える。そういう手動の作業を繰り返すうちに、ふと彼の手が止まった。


 それは音波を変化させた最初の結晶だった。中心が正六角形で周りをクモの巣状の形状が囲む物。ターゲット形状である正六角形と正三角形からなる平面とは大きく異なっているが、それでも不可や不要と仕分けるのが惜しい気がして、彼はそれを第三のグループに分けた。


 しばらく時間をかけて写真の整理を終え、トオルは首を回した。それからイスを持ってきて座り込み、写真それぞれに書き込んである生成時の実験データをざっと眺めて気づいた点をタブレット端末に走り書きしていく。視線を何度も結晶写真とタブレット画面の間で往復させ、走り書きを増やし、数式の修正案を列挙する。


 時間を忘れて目と手を動かし、ようやく修正版数式を決めたら、最も日の長い六月でも外は暗くなっただろう時刻になっていた。自分でも苦笑しながらトオルは立って、固まっていた腕や肩をぐるぐる回す。そして、休憩のつもりで第三のグループを手に取った。


 そのグループには四枚の結晶写真が含まれていた。どれも正六角形を核にしてそこから枝が伸びている。その形状が、彼の記憶のどこかを刺激していた。


 トオルはタブレット端末の画面を切り替え、いくつかの単語でデータベースを検索した。


「ああ……そうか」


 結果として表示された画像を見て、彼は一人呟いた。もう一度結晶写真を手に持ち、タブレット端末の画像と比較する。


 長い間考えてから、トオルは第三のグループを一つのバインダーにはさんだ。

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