◆07 進捗

「今日の報告は以上です」


 定例のミーティングで、トオルは二日半で進めた内容を説明した。といっても、ただひたすら様々な音波を試していただけの進捗だ。ひどく手短な説明か逆にやたら細かい説明になるうちの、彼はその日も手短なほうを選んでいた。


 マリコさんは「うん」と呟き、頷いた。


 次にいつも通り彼女が「順調かい?」と尋ねて、トオルが「はい、順調です」と答えて、進捗報告は終わる――そう思って彼はタブレット端末を持ち直したが。


 ここで彼女はいつもと違う質問をした。小さく首をかしげて。


「どうだい、何か……ここはどうしようとか、いい方法がなかなか思いつかないとか、悩んでたり困ってたりってことはあるかい?」


 トオルはぴたりと静止した。おそるおそる相手の表情をうかがう。そんな彼の視線に気づいたのか、マリコさんは無邪気な、まさに邪気のない笑みを浮かべた。


「いちおう年の功は持ち合わせているからね! 相談やアイデア出しの相手くらいはなれるよ」


 ……彼女は、とがめていない。怒っていない。罵声を浴びせようとしていない。


 それでもトオルは怖くて、返事ができない。無言でいる彼を気にした様子もなく、彼女は笑顔のまま続けた。


「君が私の研究室に来てくれてから、雑用やらを引き受けてくれて私は助かってるんだ。だから――」


 雑用をするなんて新入りには当然の仕事で、ただの義務で、なのに研究室の長であるマリコさんは、胸を張って意気揚々と言う。


「私も君の役に立ちたいんだ!」


 トオルの呼吸が止まった。相手を凝視する。にこにこ笑いながら、マリコさんは返事を待っている。


 やがて、彼の口から言葉がこぼれた。


「悩んで、いる、というか」

「うん」


 こっくりうなずいた彼女に励まされるように、たどたどしく話し始める。


「かなり色々、音波を、試したのに、大まかな傾向、以上、より詳しく、は見えてこなく」

「うん」

「なので、一度、ターゲット結晶から、離れたほうが、いいかも、と、考えて」

「ふむふむ」

「ターゲットの、有機メタルは、かなり複雑、な結晶、構造なので、傾向が見えにくい、のではないか、だから、一度もっと単純な結晶で、理論を組めるか試し」

「なるほど」

「それが、ターゲット結晶や他の複雑な結晶に、適用できるかを見るのが、最終的にはより早く、結果につながるのではと考えたんです、が」


 徐々に滑らかに説明できていたトオルはここで、へにゃと眉を下げた。


「単純な結晶として何を選ぶか、悩んで、いて」


 有機メタルは大なり小なり複雑な結晶構造となるため、どのような基準でどれだけ複雑さの少ない物を選ぶかは、研究方針としてそれなりに大事だ。物性の近い物からか、素材が似通った物からか、あるいはそれ以外の基準か。決めきることができず、前週から進捗がやや停滞していた、自覚はあった。


「そうかぁ。確かに悩ましいねぇ」


 マリコさんはまた首を傾げて、あごに指を当てて「んー」と考える顔になった。


「ええと、これは私の思いつきで単なるアイデア出しなんだけど。いっそ無機メタルで試してみるってのは、どうかな?」

「……え?」


 いささか間の抜けた声がれた。


「私、もともと基礎研究寄りの畑の出身だからさ。無機で理論が立っただけでもすごいし、それが有機に適用できたらすっごいし、できなくてもじゃあ理由はってワクワクするし」

「え、あ、ああ……」


 トオルは目を瞬いて、そして一気に頭で思考が動きだした。


 それこそ目から鱗が落ちた気分だった。無機メタルつまり単純金属の結晶は、応用面での価値が高くないとされている。ずっと有機メタル分野、しかも応用指向だった彼には、無機メタルを研究材料にする発想がそもそもなかった。


 彼女の言う通りだった。基礎研究の視点に立てば、ここで無機メタルを用いることには大きな意味がある。その上、段違いに単純な結晶であるから音波干渉の与える影響もかなり見やすくなるだろう。


「ありがとうございます」


 顔を上げ、トオルははっきりした明朗な声で言った。


「マリコさんのアイデアのおかげで、研究スピードが上がりそうです」


 すると彼女は本当にうれしそうに笑った。


「君の役に立てたなら良かった」


 トオルは身を翻して自分の机に戻り、猛然とタブレット端末にペンを走らせ方針と計画を組み直す。良い意味で気がはやって仕方なかった。


 にこにこと笑顔のままのマリコさんに見守られながら翌週までの実験計画も立て、さっそく無機メタルでの実験を始めようとした、その時に。は起きた。

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