◆06 才能

 その日のうちにオヅ教授から構内便で基板が送られてきた。配送ロボからありがたく受け取ったトオルはさっそくアルゴン供給機を修理しようとしたが、「ちょっと待った」とマリコさんに制止される。


「こんなに古いアルゴン機、君は直したことないんじゃないか?」


 笑顔付きの言葉とともに近づいてくる。彼は一瞬記憶をあさった。確かに経験はない。


「……僕がノダ研究室に入ってすぐの頃に使わなくなった型式なので……」


 新しい物に置き換えられたのは配属の二ヶ月後だったと思う。その間に故障もなかったため、内部構造をよく知らないのは事実だ。


「でも構造図面を見せていただければ」

「いやぁ、さっきから探してるんだけど、データを紛失したみたいで……すまない」


 一転、マリコさんはしゅんと肩を落として謝ってくる。さすがにトオルは呆れた。ありがちなことではあるが、本当にこの人は頼りない。


「ということで、お詫びに私が修理するよ!」


 トオルの手にあった基板をさっと取り上げて、彼女は決然といった雰囲気でアルゴン供給機へ突き進んでいく。ひとまずトオルも後ろから見ていることにした。今後は自分も修理できるようになるべきだ。


 やはり、手際がいい。マリコさんの作業をじっと見つめつつ、彼は内心で舌を巻いた。そして配線の様子からもう一つ確信する。このアルゴン供給機はもともと、この汎用制御基板が普及するよりも二世代前の型式だ。彼女は旧式の装置に、最新の部品を組み込んでいる――独自の改造を加えている。


 トオルはぐるりと周囲を見回す。廃棄処分になっておかしくないような旧式の実験装置ばかり。これら全てが、彼女によって改造され、最新式と同等の性能を持つのだとしたら?


 彼がメインで使う高密度結晶生成装置が一世代前の物だったのは、最新式よりずっと改造がしやすいからだったとしたら?


『実際に装置の改造にまで手を出せる研究者はなかなかいない。君は才能がある』


 午前中にマリコさんが言った、その声を思い出した。


「よしっ、完了!」


 ボンといささか乱暴に外装を叩く音がして、我に返ったトオルは振り向いた。目が合って、だが彼女はすぐに視線をそらす。


「あー、うん、図面をなくしてしまった装置が多いから、また何か壊れたら言ってくれ……」


 気まずそうな、恥ずかしそうな、表情。


「……そうですね。改造されてて、メーカーの図面と違ってる装置が多そうですし」

「あーあーあー、うん……」


 つまりこれで、午前中の彼女の台詞は「私は才能がある」と言ったのと同じ意味を持ってしまった。たぶん本人にそんな意図はなかったのに。


 ますます気まずそうな顔をするマリコさんに、トオルはちょっと笑った。


「故障の修理は遠慮なくお願いすることにします」


 彼女はパッとこちらを向いて目を見張った。そして言葉もなく、ただ深くうなずいた。


 その後は装置の不具合もなく、トオルがした分の改造に関する試運転はとどこおりなく終わった。さらに試験テスト生成を数回行って個々の装置で異なる数値的揺れの確認を済ませれば、いよいよ研究本番の開始だった。


  △ ▽ △


 五月初め、ミワ研究室に来てからおよそ一ヶ月がった頃のトオルは、ターゲットにしているシリコメタル結晶の生成を繰り返し、加える音波の周波数と強さが結晶に与える影響を精査し続けていた。


 三月までいたノダ研究室では大ざっぱな傾向をつかむところまでしか行けず、その状態で学位を取るための論文をまとめなければならなかった。非常に悔しかったし、彼は飛び級を繰り返していたこともあって、指導教官であるノダ教授からもう一年残って研究するよう強く勧められた。それでもトオルは、無理に学位論文を書いて高等教育課程を修了した。


 だからこそミワ研究室での研究にも力が入るというものだった。音波と生成結晶の関係を説明する理論を組み立てるには、まずは条件を変えながら実験を繰り返す必要がある。


 マリコさんは、トオルのやっている研究にあまり口を出さなかった。週に二回、簡単なミーティングをして進捗は報告しているが、その場でもオヅ教授とのような血の沸く議論ややり取りは起こらない。放置に近い状況だった。


 トオルとしてもそれでよかった。ミワ研究室は彼にとって踏み石で、ごく短期間在籍するだけ。次を探すためにも、早く研究成果を出さなければならないと思っていた。


 実は、トオルが無理やりにでも学位を取得してしまうと決めた時、ノダ教授はそれならトオルを研究員として雇用したいと熱心に言ってきたのだが、それも辞退していた。また、オヅ教授も話題に挙げた昨年の国際学会カンファレンスでの論文発表以降、国内の研究組織からの勧誘スカウトが数件あった。


 研究ポストというのは水物で、一度タイミングを逃すと次の機会は滅多めったにない。けれど彼は、成果さえ出せばきっと他にも、採用されると期待できるポストが見つかるだろうと期待していた。


 一方、マリコさんは例のオヅ教授との研究会準備で頻繁に外出していた。二日か三日に一度、約二時間ずつという、かなりの時間の費やし方だった。


 オヅ教授に会いたいトオルが理由をひねり出して何度か同行を申し出ても、いつも断られた。


「だってさ、私とオヅ先生が顔を合わせて打ち合わせするのはせいぜい三十分くらいなんだよ。その前後はずーっと、事務方との打ち合わせだったり交渉だったりゴリ押し合戦だったり。オトナの事情ってやつだね」


 あははと笑って言われて、トオルもそれで諦めざるを得なかった。


「その研究会はいつ開催されるんですか?」

「それもちゃんと決まってなくてねぇ。早いほうがって意見と遅いほうがって意見が戦ってて、ゴタついてるんだよ」


 オヅ先生にあまり迷惑もかけられないし。彼女はよくそう言っていた。


 事務方とのやり取りがよほど厄介なのか、出かける前のマリコさんは毎回どこか元気がなく、顔色も悪く見えた。しかし帰ってくると表情が明るくて血色も良くなっている。


 緊張するたちだが実際の交渉では負けないということだろうか。トオルはそんな風に捉えていた。

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