◆05 オヅ教授
オヅ教授はにこやかな顔で言った。
「君の論文は読んだことがあるよ、去年メルボルンであった学会の」
「音波干渉下での結晶生成のですかっ」
「うちの研究室で
感激でトオルの心臓が鼓動を速くしていく。オヅ教授はトオルの専門である有機メタル結晶の分野における世界的権威の一人だ。この研究センターにいるのは把握していたし、知り合うことができたらと期待していた。しかしこんなに早く、こんなに親しく話ができるなんて。
「マリコくんの研究室に来ると聞いてね、私も会えるのを楽しみにしていたんだ」
また教授はマリコさんの方を見た。
「いやいや、なかなか好青年だね。将来有望そうだ」
彼女はくすぐったそうな笑い方をした。
「うちが獲得するのは勿体ないくらいの、期待の若手ですよ」
トオルの胸は誇りでいよいよはち切れそうになる。頬が紅潮しているのが自分でも分かった。
けれど、マリコさんとオヅ教授はずいぶん親しそうに見えた。確かに研究分野は同じだが、
「そうだ、次の打ち合わせは明日の午後でいいのかな?」
「ええ。よろしくお願いします」
「……何か、お二人でなさっているんですか?」
トオルがおずおずとながらも口を挟むと、教授とマリコさんは一瞬互いへ視線を投げた。そしてマリコさんが答える。
「この研究センター主催で研究会を開く計画があってね。その世話役がオヅ先生と私なんだ」
ああ、責任者と実働担当という組み合わせなのだろう。納得顔で
「ところでさっきはずいぶん困った様子で話していたけれど、どうかしたのかい」
「……えっと、それは……」
マリコさんは少し迷うようにして、それから口を開いた。
「実は修理課のサノ課長に、また意地悪をされて」
「……なるほど。何か部品が手に入らないとかかな?」
「ええ、これなんですけど」
テーブルの上に置いてあった布袋から基板を見せた。「これかぁ」という苦笑気味の言葉が教授からも出る。
「うちの研究室にストックが山ほどあるよ。回そうか?」
「えっ?」
驚いた声をトオルは上げてしまい、教授がおかしそうに笑った。
「困ったときはお互い様だろう?」
「そうしてもらえるととても助かります、正直」
マリコさんが後を引き取ったのに教授は軽く応じる。
「次に手に入った時に返してくれるのでいいよ」
「ありがとうございます!」
トオルは勢いよく頭を下げた。勢いのあまりオムライスに顔が突っ込みそうになる。
「いやあ、本当に好青年だね」
年長者に笑われても、この時ばかりは一切気にならなかった。
「君とは一度話がしてみたかったんだ」
サンドイッチを手に取ったオヅ教授が言い出す。
「結晶生成のコントロールに音波照射を使うというのは、実にユニークな発想だ。論文によれば成果も期待できそうだね?」
「はいっ。まだ予備実験的な条件でも、最新の結果では従来の方法より速度で十一パーセント、量的効率で七パーセントの改善になっています」
トオルは頬に熱が集まっているのを自覚した。
「条件の精査は方針が立っているのかね? なにしろ前例のない手法だから、参考にできるものも少ないだろう」
「トライアンドエラーを繰り返して、おおよその傾向は見えてきたように思っています。それに沿って、音波の周波数と強さを調整していくつもりです」
教授は「興味深いなぁ」とサンドイッチを口に運んで飲み込んでから続ける。
「これは純然たる好奇心で
ここで初めて、トオルは答えに詰まった。脳裏に「あの時」の情景がよみがえる。
家に帰るのが嫌で研究室に泊まり込んでいた。白色灯が
幻影を振り切って、トオルは教授の問いに答えた。
「……使う実験装置ごとに結晶生成の結果にかなり癖があるのが気になって、その原因を探しているうちに、装置ごとに稼働時に鳴る音が違うことに気づいたんです」
「ほう、そんなことからだったのか」
トオルの
「あと
違う話題を振ると、教授の目が輝いた。
「それについては、机上の仮説だが一つ思いついていることがあってね」
「えっ、なんでしょうか!?」
思わずトオルも身を乗り出す。
「うちの研究室でやっている、電磁場下での結晶生成と比較して――」
そうして突発的な
二人が議論を繰り広げる間、マリコさんは一言も口を挟まず、微笑んだまま食事を続けていた。
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