◆03 試運転

 弱小研究室の実験装置は旧式の物ばかりだった。以前トオルがいた中央の研究室ではとっくに廃棄処分になった物が大きな顔をして並んでいる。唯一、トオルがメインに扱うことになる高密度結晶生成装置だけは型落ち程度で済んでいるのが、不幸中の幸いだった。


 そんな弱小研究室で、トオルはさっそく実験に取りかかろうとしていた。


「どうだい、何か分からないことはある?」


 が後ろからのぞき込むようにして話しかけてくる。彼は振り返らずに答えた。


「大丈夫です、使い慣れた物と同じ型式かたしきですから」


 二年ほど前に使っていた物と、だが。それを知ってか知らずか安堵したらしい声が聞こえた。


「良かった、中央から来た君のお眼鏡にかなって」


 トオルは曖昧にうなずき、うずくまった大人ぐらいの大きさの装置に改めて向き直った。いずれにせよ彼の研究のためには装置にオリジナルの改造を施す必要がある。必要な部品は既に用意されていたので、さっそく工具を手にして装置を分解し始めた。


「私が手伝うこと、あるだろうか?」


 またマリコさんが声をかけてくるのに、短く「いえ」とだけ答える。もともとこの古い型式は最新式の物より構造が単純で、改造もかなり楽だ。


 あっという間に外装をバラし、内部を露出させる。そして肝である結晶生成部に音波発生機を密着させ固定する。コードの取り回しに注意して防音材で隙間を埋めていき、外装を再び組み立てていった。


「器用なものだねえ」


 まだ彼の作業を眺めているらしい。よほど暇なのだろうか。


「アイデアがあっても、実際に装置の改造にまで手を出せる研究者はなかなかいない。君は才能がある」


 トオルの指先がびくりと震えた。しかし彼は黙って最後の外装部品を取り付け、そこに音波発生機のコントロール装置を据え付けた。仕上げに冷却剤のアルゴン気体の供給機から伸びるホースをつないで、屈めていた背を戻して立てる。横目で一瞬うかがうと、マリコさんはまだにこにこと彼の方を見ていた。


 パッと彼女に背を向け薬品棚へ行く。試運転のために、少し考えてから本来のターゲット素材ではない酸の溶液と有機メタルを選んだ。新入りの学生が最初に練習するような、ほぼ失敗のない実験素材だ。古い装置がきちんと稼働するかの確認も必要と、判断したからだった。


 トオルの研究分野は有機メタル結晶。特に、シリコメタルと呼ばれる物の、産業利用を想定した特定形状の結晶生成が研究の中心テーマだった。


 装置の投入トレイを引き出し、粒状固体の有機メタルを少量置いてトレイを元通り押し込む。そして溶液ボトルのキャップを外して注入用部品に交換し、装置の上部に差す。


 電源の物理スイッチをオンにしてから、固体素材の融解温度を設定した。旧式なので装置本体のタッチパネルで入力する方式。軽い駆動音を響かせ融解工程が始まる。その間に素材の配合量などを順に入力していった。


 通知サインが有機メタルの融解完了を示すまで待って、アルゴン供給機の物理スイッチを押し、さらに装置パネルの結晶生成開始ボタンに触れる。最新式なら接続したコンピュータで自動化できることが全て手動、本当に旧式だった。


 装置に内蔵された高精細顕微鏡の映像が壁面の大型ディスプレイに映し出される。まだ音波発生機は使わない。本来は失敗しようのない、ただの試運転第一工程だ。


 そして、トオルが懸念していた通りになった。ものの数分で三角形を敷き詰めたような構造の薄膜結晶が出来ていくはずが、ディスプレイに映るのは半融解のゲルがドロドロと流れる様子ばかり。


「おや、これは……」


 マリコさんの呟きを無視して、まずは装置の設定数値を確認する。温度、素材注入速度、アルゴン注入速度、どれもおかしくはない。次に念のため、投入した有機メタルの瓶のラベル、装置に差している溶液の瓶のラベルも見る。正しい。それから外装の全ての固定具を触って確かめるが、これも問題ない。


 ここで本来なら、トオルが行った改造に不具合があったことを疑って一度また装置の外装を外すべきだが、彼はその作業を省略してアルゴン供給機へ顔を向けた。いくつか表示されている値をさっと眺めてから、アルゴン気体を供給するホースを無造作に掴む。一気に、強く。案の定、ホースはまったく手応えなくペコリと凹んだ。


「うわあ、アルゴン機か!」


 彼女が言って、立ち上がる音。


「すまない、こっちの問題だった! すぐ修理する!」


 ガチャガチャと工具を取り出す音も鳴る。トオルはこっそりとため息をつきながら装置とアルゴン供給機の電源を落とした。シュウンと縮こまるような音がして、二つの機械は静かになる。


「気体がそもそも出てないってことは……」


 マリコさんが足早に近づいてきて、アルゴン供給機に手をかけた。エアコンの風がそちらから吹いてきて、トオルは急に香りを感じた。爽やかで甘い、おそらく香水の香り。反射的に彼は顔を背けた。


 それを気にした様子もなく、彼女が機械を分解していく音がする。ずいぶんと手際がいいように感じられた。


「あー、やっぱりこいつのショートか」


 やっと彼が振り向くと、マリコさんはてのひら大の電子回路基板を外そうとしていた。一部が焦げているそれに、とても見覚えがあった。高性能だが故障しやすいことで有名な汎用制御基板――しかし、この旧式のアルゴン供給機には使われていただろうか?


「本当にすまない、修理課で替えをもらってくるから」


 外した基板を握ったマリコさんが「あちっ」という声を上げて取り落としかける。とっさに彼は手を出した。


 基板を二人の手が同時に掴んだ。互いの目が合う。ふっと、彼女の目がうれしそうに微笑んだ。


 トオルは視線をそらして言った。


「ショートしたなら、高温になっていて……」


 そのまま基板を強く引き寄せる。彼女は逆らわずそれを渡してきた。基板の持つ熱を、彼の手は感じた。


「袋か何かに入れたほうがいいね」


 バタバタと彼女は自席に戻り、どこからか布袋を取り出してきた。はいと袋の口を開けて示されるので、トオルはそこに基板を入れ、しかし袋を引ったくるようにして取った。


「僕が行ってきますから、修理課での手続きの仕方を教えてください」


 どうもこの人は頼りないから。彼は胸の中でそう呟く。ところがマリコさんはフーフーと掌を吹き冷ましながら、


「ああ、それならちょうどいいから、一緒に行こう」


 先に立って部屋を出ていこうとする。


「いえ、教えていただければ一人で――」

「いやぁ、あそこのやり方ってややこしいんだよー。説明マニュアルでもあっちで作っといてほしいくらいで」


 ほら行こう、と彼女はドアの前で振り返って仁王立ち。これは駄目だ、梃子てこでも動かないとトオルも悟ってしまう。渋々、マリコさんについていく形をとらざるを得なかった。


 彼は隣ではなく斜め後ろを歩いた。ちらちら、ちらちらと目をやって、結局どうしても気になって言葉に出した。


「手……大丈夫ですか?」


 彼女は驚いた表情をして立ち止まった。ついで笑みが、彼女の顔一面に広がっていく。


「大丈夫だよ、ありがとう」


 トオルは押し黙り、うつむいた。

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