第3話 告解(3)

「あ、ありがとう、ございます……」

 空き教室まで、二人は珍しく校則を破って走った。

 空っぽの席に座って落ち着くと、ルチルはイリクに頭を下げる。

「いえ、僕は当たり前のことをしただけなので」

 なんでもないことのようにイリクは言うが、実際あの場面であのように振る舞える人物など現実に何人いるだろうか。

 罪作りだな、と少し思う。そんなことをされたら、自分でなくとも想いを募らせてしまうではないか。

「しかし、大変でしたね」

「ええ、まあ……」

「いっそ意中の相手がいると肯定してしまってはよかったのでは?」

「そんな出任せは……相手に失礼ですから」

 語尾が萎んでいく。きっとイリクは自分に意中の相手がいるとして、それがイリクのことだとは、思うまい。

 譬そう告げたとしても……この上ない優しい笑顔で、断られるのだから。





 この想いは、告げない。




 そんなことがあったため、その日の放課後のイリクは大変だった。

 女子からの告白が殺到し、イリクの放課後は潰れた。

 夕焼けが、赤々となり、もう日が沈むという頃、勉強をするというルチルを気遣ってイリクが出た廊下がようやく静かになった。

 ルチルのノートは一ページも進んでいない。



 集中できるわけないじゃないか。

「すみません、僕はそういうのはお断りしているんです」

「なんでですか? ルチルさんとはいつも一緒にいるのに」

「ルチルさんとは互いを高め合う好敵手として……」

「でも今日ルチルさんのこと助けていたじゃないですか」

「それはそうですが、あの場合、当然の対処でしょう?」

 いちいち自分の名前が聞こえてくるのだ。──それに懇切丁寧に受け答えするイリクの一言一言が、ルチルに恋愛感情を抱いているわけじゃないと証明しているようで……ルチルは知れず窓の外を見ていた。

 自分の泣き顔を今見られたら、イリクに迷惑をかけるだろうから。

「遅くなりました、ルチルさん」

 イリクは未だ帰らず、机でぼーっとしているルチルに声をかける。

 もはや下校時刻だ。そんな時刻まで律儀に待っていた彼女に対しての最低限の礼儀として、イリクは声をかけた。

「大丈夫ですよ」

 振り向き様、イリクに向けられたのは、満面の笑み。

 それがイリクの罪悪感を掻き立て、気まずく目を落とすと、そこには空白のノート。……まさか、自分を気にして待っていてくれたのだろうか、と思う。

 すると更に申し訳なさが込み上げてきて、「ごめんなさい」という言葉が口をついた。

 ルチルの表情に一瞬痛みが走る。けれどすぐに微笑みに戻して「大丈夫です、お疲れさま」と言った。

「お互い、大変だねぇ」

 そんなことを言って、ルチルはぱたんとノートを閉じる。下校の準備を始めた。

 より申し訳なさが込み上げるイリクだが、もう下校時刻なのは変わらない。彼女の傍らで準備をする。

 先に準備を済ませたルチルが、去り際、言った。


「また明日、やろうね」


 翌日。前日がすごい騒ぎだったからか、いくらか静かに感じられる。さすがにあんな騒ぎになったルチルに告白しようなんて輩は来ず、ルチルはせっせと勉強した。

 一方、イリクの方は女子が絶えない。昨日より少ないが、言い寄ってくる者はいた。ほぼほぼ休み時間には廊下などでいつもの情景──イリクが丁重に女子の告白を断る姿。

 イリクの顔を見るのが苦しくて、ふと、相手の少女に目をやる。茶髪に黒目の特に主だって特徴のない女子生徒。イリクにぺこりと頭を下げて、こちらを見た彼女は、目尻に涙を溜めながらも、どこか清々しい表情をしていた。告白前までの悶々とした姿はどこへやらだ。




 そんな女子生徒の姿を見て、ふと、ルチルは思う。

 告白は断られるかどうかが問題ではないのではないか。

 告白したという事実こそが何よりも重要であり、尊いことなのではないか。




 イリクを困らせるかもしれない。けれど、






 この気持ちに蹴りをつけるには、いい方法なのではないだろうか。

 一日中考えた。迷いはあった。

 イリクを困らせてしまうのは嫌だ。けれど……このままでは前に進めない。

 言ってしまえばたった一瞬。

 フラれることなんてわかっているのだから、「気持ちの整理をつけたいだけ」と前置けば、イリクの辛さも軽くなるだろう。


 ──このときルチルは、そう軽く考えていた。

 だから、いつものように放課後、勉強を始めようとしたときに何気なく声をかけたのだ。

 伝えたいことがある、と。


「貴方がどう答えるかはもうわかってる。私は私の気持ちに蹴りをつけたいだけなんです。

 ……だから、聞いてほしい」


 イリクは一瞬呆けるが、ルチルの真剣な眼差しに、無言で頷く。

 それを確認し、ルチルは意を決して言った。

 正しいか間違いかもわからぬその想いを、言の葉に乗せて。










「好きです」


 イリクは驚愕し、動揺した。

 夕陽が赤らむにはまだ早い時刻。故に、ルチルの頬が赤らんで見えるのは、気のせいではないだろう。

 瞳には、今まで自分に想いを告げてきた者たちにはなかった潤むほどの涙が湛えられている。

 ……つまり、


 ルチルの告白は真剣で、

 ルチルはイリクの性格を知っているから、もう諦めてはいて、

 それでも抑えきれない哀しみが、瞳に湛えられているのだ。


 その事実に戸惑った。

 長い間、好敵手として関わりを持ってきたルチルだ。その目がイリクの持つ権力地位なんて薄っぺらなものに向くはずもないのはわかっている。

 つまり、

 ルチルは純粋にイリクが好きなのだ。

 地位や権力なんて関係ない。明け透けなことを言ってしまえば、そんなもの、ルチルにだってある。イリクと同等とまではいかないまでも、彼女の父が経営するラミアス社はタルデス社傘下の子会社の中でも営業実績のある会社だ。イリクの父が「あそこに抜けられては困るな」とふとした拍子に呟く程度には。

 だから、ルチルがイリクに求めているのは、向けているのは、媚びへつらうための好意などではない。

 じゃなきゃ、答えはわかっているなんてこと、言いはしない。それを言えるのは、

「随分と僕のこと、見てきてくれたんだね」

 その事実。

 イリクが何故、毎日告白を断るか、その理由をずっとちゃんと見て、その上で脈なしとわかって、断りを入れたのだ。

 女子から毎日のように媚びられ、地位や権力をほしいままにするために、イリクと付き合おうと考える輩がイリクは虫酸が走るほど嫌いだった。自分がのしあがるために手段を選ばないような人間が嫌いだ。その裏に親の影があろうとなかろうと。

 自分で考えて、イリクのそんな態度を間近で見てきたのだから、そんな言葉をイリクに向けていいのか、ルチルは散々悩んだだろう。悩んだ果てに彼女が出した誠実さとして「玉砕覚悟である」と前置いたのだ。

 そんな誠実さに心打たれた。

 誠実さには誠実さを。答えはわかっていると言っているから答えなくてもいいかもしれない。けれどイリクは答えた。


「僕には恋愛感情というものがまだ理解できません。故に、君の気持ちは受け取れない」

「……はい」

 予想していた通りの返答にルチルは頷いた。陽光色の髪が縦にさらりと揺れる。

 次の瞬間イリクが目にしたのは信じられない表情だった。

 満面の笑顔。

「ありがとうございます」

 そんなこと、言わなくていいのに。

 今にも泣きたいだろうに。

 彼女は何事もなかったように「昨日の分も勉強しましょう」と教科書を開いた。

 それからルチルはいつも通りに接していく。イリクの動揺を置き去りに。

 何をどうしたかなんて、その日のことはよく覚えていない。

 ただ、ルチルは最後まで笑顔だった。

「さようなら、気をつけて」

 イリクが言った何気ない一言を、ルチルは一体どう受け止めたのだろうか。


 イリクにはわからない。恋愛感情そんなもの、わからないはずだった。

 ただ、家に帰って気がつくと、ぼろぼろと涙を流していた。誰に見られているとは関係なく、目から生まれる滝は止めどなく流れ続けた。

 泣いたのなんて、いつぶりだろう。どうして泣いているのだろう。

 イリクは自分の涙の理由がわからず、どこか他人事のように受け止めていた。ただ、今涙を流さなかったら、いつ涙を流せばいいのかわからなくなる。そんな、人間としての欠陥品になりたくないがために、イリクは涙を流した。

 何気なく「さよなら」なんて言ってきてしまったけれど、もっと他に言うこと、言うべきことがあったんじゃないだろうか。例えば「ありがとう」とか。

 イリクは「さよなら」が今生の別れみたいに自分の中で谺するのを感じていた。

 そんなことを思う自分に、何を馬鹿な、と笑いが込み上げる。明日、学校に行けば、またルチルとは会えるのに。ルチルは一区切りつけたかっただけだ。だから、あの一言で踏ん切りをつけて、改めて、自分と対等な存在として、明日からまた向き合うのだ。




 そんなことを、信じていた。

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シャルル 九JACK @9JACKwords

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