第2話 告解(2)

 ある日のことだ。

「ルチルさん、結婚を前提にお付き合いしてください!」

 そんな風に告白してきた男子がいた。

 珍しいことではない。ルチルの金髪もイリクに負けず劣らず美しいわけだし、本人が無自覚なのが非常に質が悪いのだが、ルチルはイリクと比べると親切心が強く表に出ていて、その態度にルチルに脈ありと勘違いしてしまう男子は跡を絶たないのだ。

 ただ、「結婚を前提に」と重い言葉を乗せてきたのは彼が初めてだったかもしれない。ルチルは告白してきた彼を見る。黒髪に青い瞳。平凡ではあるが、整った顔立ちをしていると思う。ただ、イリク・タルデスという頂点がいるだけに、どこにでもいるような少年でしかない。

 タルデス社のイリクが通う学校は公立校ではあるものの、社長子息が通うだけあって、生徒たちは皆、親が会社経営者だったり、会社でそこそこの地位にいたりする。だから、大物のタルデス社長子息のイリクを射止めようとする女子生徒も跡を絶たないのだ。

 それはルチルにも同じことが言えた。何故なら、ルチルの両親の会社はタルデス社傘下の会社である。つまりはルチルからもタルデスという大物に繋がれる可能性があるのだ。

 だが、幼少よりいつか社を背負って立つという心構えを植えつけられ、育ったルチルたちと、この男子生徒は全く違う。彼が口にした「結婚」という言葉が立場や生い立ちでどのくらい重い意味を持つのか、彼はまだ、きっと理解していないだろう。

 故に、ルチルはいつもの、もはやテンプレートと化した言葉を返す。

「ごめんなさい。私にはまだ恋というのも愛というのも理解できない、手に余るものです。ですから……」

 ルチルは惚れた腫れたに現を抜かしている場合ではないのだ。父の跡を継ぐために、やらなければならないこと、学ばなければならないことはまだまだ山のようにある。だから、恋愛に割いている時間などない。

 時間はいくらあっても足りないのだから。

 そう、いつものように断ろうとした。しかしそのときの男子はやたら食いついてきた。

「愛も恋もわからないのなら、一度くらい経験してみたらいいじゃないですか! 経験しなきゃ、何もわかるわけがないでしょう?」

 それはその通りである。何事も経験に勝るものはない。それは手痛い指摘で、ルチルは口をつぐんだ。

 男子生徒は火が点いたように捲し立てる。

「それともそれは方便で、もう意中の相手がいると?」

「え? そんなことは……」

 不意の問いかけに、ルチルは圧倒されて、声が細くなってしまう。

 それは──意中の相手、と言われ、一瞬イリクを思い浮かべてしまったからだ。が、すぐに首を横に振る。

 それを見て、男子はぐいぐいとルチルとの距離を詰めてくる。ルチルは頭が混乱した。

「意中の相手がいないのなら、俺と付き合ったっていいじゃないですか」

「好きという感情を理解できてもいないのに、恋仲になるのは相手に対して失礼だと思うので、控えて」

「じゃあ貴女はいつになったら『好き』という感情を理解できるんです!?」




 ルチルの言葉を遮って放たれた男子生徒のその言葉が、やけに胸に刺さった。


 上手く言い返せない。ああ言えばこう言う、といった感じで煙に撒けない。

 今までここまで食らいついてくる人物がいなかったため、ルチルはばっさり切り捨てきれず、戸惑うばかりだった。結婚を前提に、という言葉の重さを、本当に理解していないのだろうか。彼とてどこかの企業の重鎮の息子であろうに。

 今までのようにかわすのが難しいかもしれない。それでも勇気を振り絞って告げる。

「とにかく、貴方の申し出は丁重にお断りさせていただきます」

「嫌です!」

 即答で返ってきた言葉に、ルチルは頭を抱える。

 やけにしつこいな。

 さすがのルチルもそう思った。

 どうやって袖にすればいいのか、迷った。

「俺の何が駄目だって言うんですか!」

「別に貴方が駄目とかそういうことはありません。ただ、私じゃなくても人はいるでしょう?」

「貴女じゃなきゃ嫌です」

 またしても即答。それだけ執着されているのがわかって、溜め息が出そうになるのをルチルはなんとかこらえた。

 この人物の言い方は、普通の女子なら言われて喜ぶことであろう。

 けれどルチルには迷惑でしかない。

 いかに彼が真摯で誠実だとしても、「結婚を前提に」という言葉のせいで、「ルチル」ではなく、それに付随する地位や権力を求めているようにしか見えないのだ。そういう口説き文句が、ルチルは苦手で、嫌いだった。自分という存在の肩書きという上辺しか見られていないようで。

 どうせ恋をするのなら、私の内面を見てくれる人がいい。それがルチルの願いだった。

 だから、この少年からもう逃げたいような気持ちに駆られながらもそこにいたのは、断る相手に誠実でありたいと思うから。

 けれどそれは逆作用で、逃げないことで、気を持たせてしまったらしい。

 気づいたときには、もう遅かった。




 ぐい、と強引に腕を引かれたのだ。


 一瞬何が起こったのかわからなくなる。

 気づくと相手の顔が吐息がかかるほど、間近にあった。

「なっ……!」

 ルチルの脳内で、がんがんと警鐘が鳴る。

 頭に血の昇った男子生徒の目が理性なくぎらぎらと輝いている。せっかく綺麗な青い瞳も、獣性に染められていて、ルチルはぞくりと背筋に冷たいものが走った。

 やけくそのような行動、その目に宿る獣性。簡単に振りほどけそうにない、強く握りしめられた手首。その顔がルチルに近づいてきた。ルチルは何が起ころうとしているのか察し、咄嗟に目を瞑る。

 ゼロ距離に近づいていく顔と顔。恐怖で逃げ出そうにも、相手は曲がりなりにも男だ。逃げ出そうにも押さえ込む力が強かった。


 最後の抵抗のように、ルチルは脳内で目一杯に祈る。誰にも許したことがない、唇を許したくなくて。吐息が交ざる感触を知るのが怖くて。


 やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて──


 強く、そう思った。

 そのときだ。


「何をしているんですか」


 凛とした声と共にルチルとそいつを引き離す手があった。

 聞き馴染みのある声の介入にルチルが恐る恐る目を開けると、ルチルと相手の間に立っている、陽光の金糸。──今日も綺麗だ、とルチルは場違いに思った。

 細くしなやかな指はルチルの手首を優しく、けれどしっかりと掴まえていた。その感触に嫌悪も恐怖も抱かない。

 それどころか、知れず、ルチルはその手、その人物に安堵する。

 冷徹な声が廊下に響いた。

「女性に対してこのような暴挙に出るなど紳士の風上にもおけません──恥を知れ」

 呆気にとられる少年に対し、最後に低く唸るように告げた声は底冷えのするものだったが、ルチルに振り向いた人物──イリクの表情は、温かかった。

「さあ、行きましょう」




 そう、手を引かれて、二人で廊下を駆け抜けた。

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