シャルル

九JACK

さよならの回顧

学生時代の一瞬の煌めき

第1話 告解(1)

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 暮らしていた街は汽車の窓から遠ざかる。彼のいた場所が遠く、手の届かない場所になっていく。

 それを感じながらもルチルは諦めを抱きながら、車窓を眺めていた。


 いつまでも、未練たらしいぞ、私。

 そんな苦笑いを汽車の個室でこぼした。


 こうなったのは、全部自分のせい。ルチルはそれを自覚していた。

 あのとき、彼への──イリクへの想いを告げずにいたなら、学園に退学届けを出さずに済んだ。父が、イリクの父──上会社の社長から脅しを受ける、なんてことはなかったはずなのだ。


 私は、イリクに何も伝えず、ただいつものようにただ、自分の気持ちを押し込めて生きていればよかった。

 それなのに──










「好きです」










 そんなたった一言でたくさんの人を振り回してしまった。その結果がこれだ。


 がたんがたん。

 汽車の揺れる音が彼女──ルチルの嗚咽を掻き消した。




 イリク・タルデス。今や一大企業と化したタルデス社の社長子息。

 何をやっても一番で、陽光を紡いだような金糸の髪、新緑を思わせる碧眼。眉目秀麗な彼に惹かれない女子などいなかった。

 ルチルもその一人であるが、その心は秘めていた。


 ルチル・ラミアスはタルデス社傘下の子会社の社長令嬢。イリクほどではないが恵まれた地位にいる少女だ。

 彼女はいつも、イリクと一、二を争う成績を収めていた。

 それにイリクと同じ金糸の髪に、透き通った琥珀の瞳。これはこれで様々な男子の支持を集めていたし、成績を鼻にかけたりしない彼女は女子からも羨望の眼差しを受けていた。


 いつしか人々はこの二人を双璧、と呼ぶようになり、称えた。


 そんな二人にはそれぞれにファンレターやらラブレターやらが殺到していた。

 けれど二人は誰とも結ばれることを望まず、全て丁重に断っていた。

 そんな潔さも人気に拍車をかけていた。

 二人は言うまでもなく、気質が似ていた。

 今の自分の実力に満足などしておらず、互いのことを好敵手として、切磋琢磨する……ある意味理想的な関係だった。




 二人が二人共、恋愛に興味がなかった。

 イリクは「愛」という概念が理解できなかった。彼は社長子息という立場上、言い寄ってくる女性に事欠かなかったが、そこに「愛」がないのは知っていた。彼女らが求めるのは、己が持つ権力だけが目当てだろうと、冷めた心地で、けれど、形式上、無下にするのもどうかと思い、丁重に断っていた。

 そんな誠実さが彼の人気に拍車をかけていたのだが、それを本人が知る由はない。


 一方のルチルはというと、もちろん彼女も言い寄られることはあった。

 ただ、彼女の場合は感情の機敏というものに無頓着で、自分で無知だと判断していた。

 わかりもしないものを受け取ることはできない。

 そうばっさりと断っていた。


 そんな二人の様はどこか似ていて、「孤高の二人」と並び称された。


 イリクとルチルは好敵手であった。

 運動神経などは男女の差があるため比較はできないが、勉学の面では双璧と呼ばれるほどだ。学年主席と次席は常に二人が維持していた。

 しかし、二人はどちらもそれを鼻にかけたりはしなかったし、二人は天才などではなかった。


 人間というのはある程度までは才能で成長できるが、ある程度から先に行くためにはやはり努力は必須なのだ。

 二人は早いうちからそれを悟っていた……というわけではないが、二人共親が権力上位者であるが故、子どもである自分らも上位であらねばならないと教えられていた。

 故に、自分の限界を感じると努力を始めた。その努力の結果が今の二人を形作っているのである。


 こんなにもそっくりな二人に違いがあったとするなら、やはり最大のものは、「親」だろうか。


 権力地位、男女の差は当然として……イリクとルチルでは、親の質が全く違った。


 それが二人の明暗を分けたとも言える。


 タルデス社社長……つまりはイリクの父親は、会社経営は上手かった。あらゆる事業展開をしていることからも察せられるだろう。

 しかし、性格がいいかというと、否である。しかし、それを知る者は少ない。

 裏では女癖が悪く、いつもとっかえひっかえして遊んでいるのは、イリクの知るところでもあった。

 イリクに見られていることを知った父は、息子に口止め料として毎月一般人からしたら目も眩むような額の「小遣い」をやっていた。




 イリクはそんな父を薄汚いと思っていた。






 一方、ルチルの父は裏表のない一口で言うとお人好しな人物だった。

 人並みに失敗することもあるが、失敗を失敗のままにせず、他のことに生かす、機転の利く人物だ。

 その妻も聡明で、夫のミスを陰ながらフォローする、そんな理想的な補い合いの夫婦だ。

 ルチルはそんな両親の在り方を誇りに思っていた。


 イリクはそんな後ろ暗さの中を、ルチルはほのぼのとした中を歩き、過ごしていた。


 イリクとルチルは、共に学ぶ好敵手として、良い関係を築いていた。お互いにお互いがどれだけ努力しているか知っていた。

 放課後教室に居残って、教え合いをする程度には仲が良かった。

 恋仲説まであったほどだ。

 けれど、イリクやルチルにフラれた者たちが二人を妬むことはなかった。むしろ、この二人なら仕方ない、お似合いだと認めて過ごしていた。




 イリクがどう思っていたかは知らないが、ルチルはイリクのことが気になっていた。

 何かに集中するとき、緑の瞳が透明度を増しながら色濃くなっていくところや、女子も羨むほどに綺麗に鋤かされた金糸の髪が朝陽に照らされてはより輝きを増し、夕陽を返して橙に透けたり、様々な美しさを持つことなど。

 見つめていればいるほどに惹かれていった。




 ただ、毎度イリクが女子からの告白を断るのを見て、ルチルは自分の心は秘めておこうと決めていた。


 恋愛というのはよくわからないが、イリクと同じくルチルも告白されて、断って、の連続であったから、なんとなく断る辛さはわかる。きっとイリクも心ない人ではないだろうし。

 むしろ──フラれた女性陣には悪いが──丁重に断るそのときの、申し訳なさそうな笑顔にも、ルチルは惹かれていた。

 こんな誠実な人になら、砕けるとしても想いを託してもいいかな、なんて。


 けれど、断る辛さを知っている身としてはそれは身勝手だから、とできなかった。

わかっているのなら、振り回したくない。

故に、見守ることを決めた。






「ええと、答え合わせ……」

「おや? また数字が違いますね」

「ん、イリクくんの途中式は……」

 放課後の他愛のないやりとり。何気ないいつものやりとり。

 授業では遠く感じる距離も、このときばかりは隣同士で、こう考えるのは不謹慎かもしれないが、頑張ってよかったなぁ、と思う。




 イリクの顔が近くにあるのは、次席の特権だ。




「今日のはイリクくんのが合っていましたね」

「そうですね。でも解答が違うとどっちが間違っているのか、ひやひやしません?」

「あ、イリクくんも思います?」

 一緒ですね、と笑い合って過ごした。他愛のないことだ。けれど、そこで微かに笑うイリクの顔は、普段の教室では見られないものだ。

 イリクは──本人が気づいているかどうかはわからないが──あまり笑わない。その裏には家庭のことや父の本性という陰がちらついていたが、それをルチルが知る由はない。

 ルチルは心配していた。イリクには何か悩みがあるのではないか、と。それはあながち間違いではないのだが、イリクとの距離感を考えるに当たって、どこまで踏み込んでいいものか悩んでいたため、あまり突っ込むことはなかった。






 自分はせめて、こうしてイリクの笑顔のためであれればそれでいい。




 ルチルはいつも、そう考えていたのだ。

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