第14話

「私、もう妃教育なんて受けません!」


 父の執務室を突撃したカサンドラは紅玉の瞳をカッと見開きながら言い出した。

「私はあくまで仮の婚約者!今までは自分が得るものも大きいと判断して妃としての教育を受けて参りましたが!もう二度と妃教育は受けないと断言いたしますわ!」


 クラルヴァイン王国の第一王子であるアルノルトの婚約者であるカサンドラを、憂いを含んだ瞳で見上げた父は、誘拐された事がそれほどまでにショックだったのだろうと判断した。

 アルノルト王子の機転もあって無事に娘は助け出される事となったのだが、普通、誘拐された時点でカサンドラには瑕疵が付き、王子の婚約者という立場を降りる事になる。


 カサンドラが婚約者の立場を降りたとして、次に殿下の婚約者候補となるべき二人の令嬢はすでに婚約が決まっている。コンスタンツェ嬢はカサンドラの兄となるセレドニオの婚約者となっているのだ。


 自分の娘を王子の妃にしようと意欲満々だったバルフェット侯爵も、

「さすがに今の娘とセレドニオ殿との間を引き裂こうとは思わない。そもそも、我が領地にはセレドニオ殿のような機動力がある男が必要なのも確かな事ですしな」

と言って、王子の婚約者にするために娘と恋仲のセレドニオとの婚約解消は考えていないと断言した。


 もう一人の候補者となるカロリーネ嬢は隣国のドラホスラフ王子との婚約が成立している、これを解消させる事などできるわけがない。


 三人の侯爵令嬢が王子の婚約候補を退くとなると、後は、伯爵家以下の家の令嬢を娶る事となるのだろうが、伯爵位でありながら権勢を誇っていたアイスナー伯爵家は悪事が明るみとなって没落して以降、伯爵以下の貴族といえば似たり寄ったりという感じで、王子妃にしてうまみがあるような家が見当たらない。


 国内にめぼしい令嬢がいない為、国外に視野を広げて考えてみると、近隣諸国の王族関連で言えばアルノルトに適した年齢の王女様が存在しない。

 一番年齢が近い王女で八歳差(年上)十歳差(年下)となる上に、年齢差に目を瞑って婚姻したところで、それほどうまみがある国というわけでもなかったりする。


 王宮の偉い方々もそこまで考えて、

「誘拐されたと言っても何かあったわけではないのだから、殿下の婚約者はカサンドラ嬢で良いのではないのか」

という意見で一致する事になったのだった。


「カサンドラはやはり怖いのかい?」

「お父様?」

「君も誘拐された事で心に大きな傷が出来たのは良く分かっているけれど、また同じ事が起こったらという恐怖心から、王子の妃になるが嫌になったという事だよね?」

「まあ!どういう事でしょうか?」


 キョトンとした表情を一瞬浮かべると、自分の頬に手のひらを添えて、カサンドラは物憂げな調子で言い出した。


「私はあくまで悪役令嬢として、王子が真実愛する人を見つけた時には立派な当て馬として活躍する所存でございますのよ。学園では私以上に悪役、いえ、真の悪女と呼ばれるクラリッサ様の活躍が明るみとなり、学園の紳士淑女もドン引き状態なのは間違いございませんわ」


 カサンドラはフーッとため息を吐き出しながら言い出した。


「学園に入学した殿下には是非とも楽しいラブを体験してもらおうと思っていたのに、私の誘拐事件の所為で、殿下はレディ達から遠巻きにされ、ただ眺められるだけの存在になってしまいましたの。正直に言って由々しき事態ですわよね?だって、殿下との接触がなければ、後の発展に繋がりませんでしょう?」


 成長するに従い、輝くばかりに美しくなった自分の娘を呆れた眼差しで見つめながら、父はカサンドラの思考が十歳の時から全く変化をしていない事に改めて気付かされた。


「カサンドラと殿下はとても仲が良いように私の目には映っていたのだが、君たちは一体どういう関係性を今は築いているんだい?」

「ですから、私は殿下が真実愛する人を見つけるまでの契約婚約者みたいなものですわね。私が殿下と愛する恋人との逢瀬を見守り、必要に応じて二人の仲を邪魔するアクセントとなり、そうして最終的には卒業式のダンスパーティーの場で婚約破棄宣言をされる予定でおりますの」


 娘の頭の中の今後の予定がまったく変わっていない事に激しい頭痛を感じながら、

「それでは、君という婚約者が居るのにも関わらず、殿下はカサンドラ以外の恋の相手を見つけようと躍起になっているという事なのかね?」

と、問いかけると、カサンドラの形の良い眉がハの字に開いた。


「殿下は・・・恋なんかよりも食い気の男なのですわ・・・」

 アルノルト王子はどんなに可愛らしい女の子を目の前に連れて来られても見向きもしない。

「殿下が今、興味を持たれているのは『肉』なのです。あらゆる部位をあらゆる調理法を試す事で、どれが至高なる逸品となるのか探求する事に夢中なのです」


 王子の料理好きは宮廷内でも有名な話だった。

 そもそもクラヴァイン王家は、建国王の代から料理好きとして有名で、今の国王陛下は手製のデザートで王妃を十キロ太らせ激怒されたという逸話も残っている。


 王子の肉料理のご相伴に預かるカサンドラも、通常の貴族女性が摂取するエネルギー量以上のものを食べているため、肥満防止として、乗馬、護身術の特訓、散歩とカロリー消費にいとまがない。


「婚約者である私が誘拐をされた後も王子妃教育など受けているからこそ、まだ私が婚約者なのだなと判断した女子生徒たちが遠慮をしてしまうのです」

 遠慮したままで良いと思うのだが、カサンドラとしてはそうでは無いらしい。


「婚約者である私が誘拐され、そして王子妃教育も中止となれば、きっと皆様思うでしょう。カサンドラ・アルペンハイムは王子の婚約者から外れる事になるだろうと」

 そう考えるのは、時世を読まないごく一部の貴族令嬢だけになると思うのだが。

「となれば、我こそ王子妃にならんと、クラリッサ嬢のような方が出てくると思うのです」

「その令嬢と殿下は交際されるつもりだと?」

「ええ!そうです!」


 娘の頭の中には良くある恋愛小説のストーリーが展開されているようではあるが、世の中、物語のように都合よく進むなんて事があるわけがない。

 実際にアルノルト殿下の暴挙の残骸(放置されたクラリッサ嬢)を目の当たりにした生徒は多く、殿下の行いの激しさに恐怖心を抱いた生徒が大半と言えるような状況だ。


 つまりは、婚約者であるカサンドラを傷つけたら、アルノルト王子は何をやらかすか分からない。だから、二人の仲を裂くような行いは慎むべきなのだ。

 だから娘が思うような展開など起こるわけがないのは知っているのだが、カサンドラの意向を無視するのもかわいそうだと父親として判断したようで・・・


「それじゃあ、王子妃教育は一旦取りやめにするよう進言しよう」

「お父様!ありがとうございます!」

「それで、殿下の婚約者としてアルマ公国へ行く予定だったけど、これもやめてしまうので良いのかな?」

「は?」


「新大陸の表玄関と言われるアルマの香辛料は我が国としても安価で手に入れたいと思っているし、殿下も新作料理に出会える旅を楽しみにしているようだった。カサンドラは殿下の婚約者としてアルマを訪れる予定だったけど、婚約者じゃないって事にするのなら、殿下の公務への同伴もやめる形にしようか?」


「いやいやいやいやいやいや!行きます!行きます!私はアルマ小説を手に入れる為に!是非ともアルマには直接出向きたいと思っていたのですもの!行きます!」


 アルマ小説では、王族の姫君が平民の男性と恋をする。その平民の男が女神に誑かされ、悪の神に唆され、様々な困難を乗り越えながら後に英雄となって姫の前に現れるという、一大スペクタクルな内容なだけに、本国では歌劇として興行されていたりするのだ。


「それじゃあ、教育はやめるけど、殿下との公務は続けるって事でいいんだよね?」

「はい!大丈夫です!」


 カサンドラの王子妃教育はほとんど終わっており、後は、王家としての裏側を含んだ内容や閨教育だけ。今すぐ取りやめても何も問題がない。

 もはや趣味の延長線上となっている公務は続けるというのだ。到底、王家からは足抜け出来ない状態の娘を眺めながら、カサンドラの父は小さな笑みを浮かべたのだった。


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