意味のない文章に意味はあるのか(有益度★★★)

 つい先日まで入院してまして。今はもう退院してるんですが、安静期間なので毎日家でダラダラしています。

 入院中、暇すぎて雀魂(っていうネット麻雀ゲームがあるんです)を延々打ち続けて、総プレイヤー数の上位0.8%まできちゃいましたね。

 このゲームは雀士1~3→雀傑1~3→雀豪1~3→雀聖1~3→魂天という格付けなんですけど、雀聖2です。最上位ランクまであと2つなんですけど、ここから先は長い道のりになりそうです。なんならまた雀聖1とか雀豪3まで落ちる可能性も十分ありますね。

 まぁ、病気自体は手術で取っちゃったのでもう大丈夫です。腫瘍界最弱みたいなやつだったので大したことはありませんでした。

(SNSとか近況ノートに書こうかなとも思ったんですけど、なんか変に心配されるのも嫌だし、同情引きたいわけでもないし、かといって面白い感じにもならないかなと思って、退院するまで特に何も発信しなかったんですけど)


 さて、今日の本題です。

 私、意味のない文章書くのあんまり好きじゃないんですよね。なるべく余計なことを書かず、一文字でも少なく先の展開に読者を連れていきたいなと思って小説書いてます。

 かといって、必要な情報を書かないというわけではなく、いわゆる"行間"が多い書き方で、あえて書かずに想像に委ねるというか、書いてないけどそうとしか読めないでしょ?というのをやりたいっていうイメージです。

 なんですけども……っていう話です。

 編集者さんとやりとりしていたりする中で、もうちょっと描写とか書き込んだ方が文芸作品としては良いかもしれないよね的なことを言われまして。

 要するに、少ない文字数に情報詰め込んだり、あえて書かないことで作った空白を読者の想像で埋めさせることで文字数を削減するっていうのは編集者とかライター視点では上手いって評価されるかもしれないけど(記事とかキャッチコピーとか決まった文字数に収める技術が重要だから)、もうちょっと丁寧にストーリーの本筋に絡まない描写で雰囲気を出したりとかっていう演出もやった方がいいんじゃない?っていう話でした。

 答案用紙のマス目に無理やり解答押し込むわけじゃないので、別に文字数ケチる意味もないですし、おっしゃる通りではあるんですよね。

 素敵な描写とか表現は「これカッコいいなー」とはなりますけど、あえて書いてないものは誰にも気づかれることがないという。

 心情描写を直接書かないために、天候とか風景とリンクさせたりとかはまぁいいかなっていう気はするんですけど(受験国語の比喩みたいなことです)、なんとなく雰囲気出すため以外に意図がない文章っていうのはどうなんだろうなとも思うんですけどね。

 少なくとも編集者さんはある程度雰囲気とかのために存在する文章というのも評価しているらしいということがわかったわけですし、今後は色々と今までやってきたこととは違う書き方とかも模索していこうかなと思います。

 しかしこれ、けっこう苦手分野かもしれません。

 ではでは。

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