時代物の縛りプレイエグい&『姫君と侍女』を読んだ(有益度★★★★)

 先日、本エッセイにコメントを書いてくださった、澄田こころ先生(伊勢村朱音先生)の著作『姫君と侍女 明治東京なぞとき主従』を読んだんですよ。

 私、普段は歴史モノっていうのを読まないんですね。

 別に歴史モノアレルギーとかではなく、TwitterのTL上とかAmazonのオススメで出てこないとか、書店で歴史モノコーナーにあんまり行かないとかで特にこれといって理由があるわけではないです。

 以前のエッセイで取り上げた松井今朝子先生とか歴史モノといっていいのか怪しい山田風太郎先生くらいですかね。今ざっと本棚を眺めたところ。

 『駿河城御前試合』とか『神州纐纈城』もありますね。(漫画原作!)

(あと山本周五郎先生の『正雪記』は最近Kindle版買いました。ペンネームの由来なのに読んでいなかったので……)


 で、『侍女と姫君』に戻ります。

 最初に書影を見て、NHKの土曜午前にアニメとかやってそうな感じの健全な可愛らしさであるな、ふむふむと思った後、最初に私は最後の参考文献リストを見るという行為に及びまして……。

 参考文献リストが見たかったわけじゃなくて、あとがきってあるのかなーって思ったからなんですが。

 ビックリしましたね。20作弱がリストに載っているわけですよ。

 ひえー、この1冊書くのに20冊かぁっていうのを澄田先生ご本人に言った(メッセージ送った)ところ、実際はこの4倍は作品のために読んでいるというお返事をいただきまして。

 いやー、その労力のこと考えたらいっそう丁寧に読まないと申し訳が立たぬ。

 というわけで丁寧に読んだわけですが、やっぱり書くのすごく大変だったろうなぁと思いました。


 歴史モノ・時代モノってその時代にそぐわない語彙が使えないというのはもちろんなんですが、比喩表現とかも現代のモノにたとえることができないのってすごく難しいんじゃないかなぁと。

 これ時代を過去にすればするほど使える表現が減っていく中で、バリエーションを出していかなければならないので、難易度すごく高いと思います。

 好きな人はやっぱりもともとのインプット量が多いから自然とそのあたりの調整ができるものなんですかね。


 私がSF好きなのって、何を何でたとえてもいいという自由の権化みたいなところですね。未来に何が残っていて、どんな新しいものが生まれているかっていうのを自分で決められますからね。まぁ、それには理屈が通っている必要があるのでそこはちょっと頭使うところですが。

 ただ自分が読み直すためだけに置いている『スシ・テンプラ・サツジン』という作品なんかもう語彙とかめちゃめちゃですからね。一応、なんであんなニホン語になっているかっていうのは設定作ってありますが、そこに到達できずに頓挫しているので見直しをすることにしたわけですが……。


 さて、あとこの作品はミステリーとしてもよく出来ていて、最初の事件は定番の美術品盗難の犯人捜しなんですが、当時の知識で謎を解くことで逆に新しく感じましたね。

 盗難品が出てきてからもう一つ展開、どんでん返しがあるのも良かったです。

 一休さん的なオチはちょっと笑いました。

 一章の時点では序章がどういう意味なのかイマイチわからないんですが、作品全体を通した謎の伏線として提示されているんですね。

 これも二章で序章の謎が明かされるシーンよかったです。まぁ、そんなハッピーな感じではないんですが、最終的には爽やかで読んでよかったなって作品です。


 『姫君と侍女 明治東京なぞとき主従』は作品自体も面白かったですし、歴史モノを書くということについて考えるきっかけにもなったので、オススメです。

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