場面転換の一行空きについて(有益度★★★)

 シーンの切り替えどうやってますか?

 上手く文章で繋いで切り替えたり、一行空けたり、もう章ごと切り替えちゃったりと方法は色々あると思いますが、たまに話題に上がるのが一行空きの是非ですよね。


 以前、新人賞の下読みの方がTwitterでシーン転換で一行空きを多用するのは手抜きであるというようなことを言って物議を醸したことがあります。(私の記憶が確かであれば)

 え? 一行空きって手抜きなん? じゃあ、どうするん? っていう疑問は解消されないままボヤみたいな炎上で終わったような気がするんですが、ある時一冊の本に出会って、この件は私の中では解決しました。


 貴志祐介先生の『エンタテインメントの作り方』という小説指南書の中にこれについての記載があります。

 同じ章の中でシーンを切り替える際には……「一行空きで良い」とありました。

 シーンが切り替わるまでの経緯を描写したり章を切り替えたりしているとスピード感が損なわれ、読者が退屈するからという理由でした。

(今、読み返したので大丈夫です。ちゃんとそう書いてあります)


 なぜ一行空きでのシーン切り替えがダメという人がたまに現れるかというと、テレビドラマのような映像作品での切り替えで暗転が使われるのに毒された邪道な手法だという考えが根強いからということのようです。

 小説で同じ手法がダメであるとする根拠としてはあまり納得がいくものではありませんし、別にシーンの切り替えに文字数を割いたからといって作品の藝術性が高まるとかいうわけでもない気がするので、私は貴志先生の意見を採用しています。

 書く側としてもそこに脳のリソースを割いて、手が止まったりするのはよくないとも思っています。他にもっと書くことがありそうですし。


 ちなみにコメント欄で節記号を使っているという話題が出たので追記しておきますと、私は短時間の時間経過や同一建物内の移動は一行空き、日付を跨いだり、別の建物や屋外などやや長距離の移動は節記号でシーンの切り替えをしています。

(移動中を描写する時は、A地点→一行空き→移動中のやりとり→一行空き→B地点とする場合もある気がします)

 こんなのは同一作品内でだいたい統一されたルールがあれば個人の自由ではないでしょうか。


 ちなみに『エンタテインメントの作り方』は基本的にエンタメ小説は読みやすさが命である、というのが大前提の本で、すべてが読みやすいかどうかを基準に語られているので極端なところはあると思うんですが、良書です。

 決してKADOKAWAから出版されているから褒めているわけではありませんが……皆さん買いましょう。

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