第四話 花魁玉菊の出自

 山田浅右衛門は気鬱の病にかかっていた。それが、時折、狂的な所業におのが自身を向かわせるのである。

 幇間に向かって刃を一閃させた瞬間、その胸に一人の女性の姿がよぎった。

 自分を首切り役にした家康の愛妾、阿茶の局である。


「叔母上、浅右衛門はかような男になり果ててござる」

 片頬に自嘲の笑みを浮かべたとき、浅右衛門は男の悲鳴でわれに返った。

 幇間がまげのなくなった頭を押さえて、

「ひ、ひっ、ひゃあぁぁーっ」

 と声にならぬ声で叫んでいる。


 上座からその哀れな姿を見て、「ほほ」と笑っている女がいた。

 花魁玉菊であった。

 玉菊はそもそも武家の娘であった。と言っても三十俵二人扶持、貧乏旗本の娘である。

 彼女が十三を迎えた頃、父の井上伝七郎はささいな喧嘩で同輩を刺し殺した。伝七郎は屋敷に帰宅して、すぐに武士らしく自害しようと腹に脇差をぶすっと突き立てた。が、鮮血はドクドクと噴き出すものの、なかなか死ねない。同輩との斬り合いで、腕に傷を負い、右の指は小指が残るのみで、手に力が入らないのだ。


 このとき、伝七郎の苦悶の呻きに気がついたのが玉菊こと、その当時の静江であった。

「お父上!」

 駆け寄った娘に、血まみれの伝七郎があえぎながら言う。

「静江。あ、あわてるでないっ。ち、父は同輩の孫九郎どのを殺めた。よって、自裁せねばならぬ仕儀と相なった……」

 どうしてよいか分からず、茫然とする静江に父の声がする。

「た、太刀でわが首を刎ねよ」

「そんなこと、できませぬ」

「できる。太刀を抜き、上から思いきり振りろすのじゃ」


 後日、同輩を殺めた罪により井上家は改易処分となった。残されたのは、三十路の母とまだ幼い妹三人。無論、屋敷も没収された。幕府の咎めをうけたとなると、親戚縁者の態度も酷薄なものに豹変するものである。

 寄る辺ない身の上となった静江らは、裏長屋での生活をはじめたが、蓄えはたちまち底をついた。結句、静江は家族を支えるため吉原に自ら身売りし、今日に至っている。


 その玉菊の「ほほ」という笑い声が座を圧する。

 浅右衛門は抜き身の脇差を手に携えたまま、玉菊に一瞥をくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る